14 / 38
14 猫パンチと試験
しおりを挟む
その夜、ジオルドはこれまでになく執拗にわたしを猫かわいがりした。文字通り、猫化したわたしをしつこくしつこく構い倒した。
どこからか猫じゃらしを持ってきて、「ほれほれ」と言いながらわたしの目の前に揺らす。無視したいのに何故かそれが出来ず、奴の思い通りの動きをしてしまう。
「ほら、ノア」
「うう……、ニャっ、ニャア!」
ふわふわの猫じゃらしに猫パンチ。猫パンチ、猫パンチ!
捕まえたら噛み付きながら猫キック。
はあ、最高―――。じゃなくて!
「……どうしたんだよ。何しょぼくれてんだ?」
「もう嫌ニャ。このままじゃ人間に戻れニャくニャりそう……」
両手で目を隠してうずくまるわたしを、奴はそっと抱き上げた。晴ればれとした笑顔で。
「大丈夫だ。お前のことは死ぬまで面倒を見てやる。安心して猫になればいい」
わたしは奴の顔に向かって、渾身の力で猫パンチを繰り出した。が、簡単に避けられてしまう。
こんの極悪公爵めえええ。
もうあんたが喜ぶ動きなんかしてやらない。
目を閉じて、ジオルドの言葉を全て無視した。奴は「ノア、ノア」と呼びながらわたしの体を揺らし、小さな子供をあやすように高く持ち上げたりしていたが、我慢できなくなったらしい。急にわたしの耳に噛み付いた。
「いニャっ! 何すんのニャア!」
「だってお前が無視するから。何で怒ったんだよ、面倒みてやるって言ってんのに」
……はぁ。この男はどうも、他人の心情が理解できないらしい。本来は人間であるわたしが、猫として面倒見てやるなんて言われても嬉しい訳がないのに。
でもそれを説明したところで、彼がすんなりと理解を示すとも思えなかった。
わたしが子供の頃、前公爵さまはほぼ毎日のように母へ会いに来ていたし、ジオルドは「父親が浮気している家族がどれだけ惨めかお前に分かるか」と暗い声でわたしに言った。
彼の父親は恐らく、自身の家庭はほったらかしにしたのだ。妻も、息子も。
だからジオルドも誰かに愛情を伝えるのは苦手なんだろう。
わたしはジオルドの頬を肉球で撫でてあげた。奴もわたしの頭をぐりぐりと撫でている。気の毒な人だ。見た目は芸術品のように美しいのに……。
このままではこの人も、妻となる女性を愛せないかもしれない。
ジオルドはいつものように、わたしを抱いたまま寝てしまった。後ろから規則正しい寝息が聞こえてくる。
わたしは彼が結婚するまで猫のように飼われないといけないのかな。
そう思うと、胸の上に重たい石でも乗せられたかのような気持ちになった。そんな絶望的な日々を過ごすなんて嫌だ。
誰か、誰でもいい。ジオルドの重たい執着を肩代わりして欲しい。わたし一人ではとても背負いきれない。
大学に入れば素敵な女性が見つかるだろうか。ジオルドは見た目だけならとても魅力的だから、きっとたくさんの女性からモテると思うのに。
入学できたらジオルドが好みそうな女性を探そう。その前に、彼の女性の趣味を調べておかないと。
明日になったらシュウに尋ねてみようと思いつつ、わたしは目を閉じた。
何日か経ち、とうとう編入学試験の日を迎えた。
わたしは今オルタ大学の正門前に立っている。約二週間ぶりに外に出られて嬉しくてたまらない。もうこのままどこかへ逃げてしまいたいとも思うけど、首もとでは相変わらず黒い石が揺れている。どこへ逃げようと無駄なのだ。
ジオルドはシュウに命じて馬車を用意してくれたが、公爵家の立派すぎる馬車は目立つので途中で降りてしまった。わたしは公爵令嬢でも貴族でもない、ただの雇われ人だから。
正門をくぐり、試験会場である第ニ号館へ向かって足を動かす。さりげなく建物や周囲の学生の様子を観察した。当然だけど、二十歳前後の人が多い様子だ。彼等に混じって初老の男性も見えたが、恐らく大学の職員なのだろう。
歩きながらシュウに聞いた話を思い出していた。ジオルドの好みの女性について―――ただ、シュウは娼婦に関する情報しか知らなかったけれど。
ジオルドは最初、ハニーブロンドの美女ばかり指名していたらしい。それがある時から急に好みが変わり、黒っぽい髪の美女ばかり選ぶようになったとの事だった。
周囲の学生の中には黒い髪の女性は見当たらない。入学したらまたゆっくり探そうと思いつつ、第二号館の中へ入った。
試験会場となる大講義室は最前列の席から後方へ向かって緩やかな階段状になっている。前の方は何故か空いているので、わたしはそちらに座ることにした。
室内にいる人は五十人ほどだろうか。皆わたしと似たような年齢だ。
やがて前方の扉から眼鏡をかけた四十代半ばぐらいの男性が入ってきて、試験内容の説明が始まり、問題が配られた。「始め」の合図で試験が始まる。
ジオルドのおかげか、さほどの困難もなく全ての問題を解けたと思う。
途中に一回の休憩を挟み、無事に試験が終了した。退出していく人たちのガタガタという音を聞きながら、持ってきた学術論文を提出。男性は少し驚いた顔をしたが、わたしの論文を受け取ってくれた。他に論文を提出する人はいないようだった。
第二号館を出てからまた黒髪の女性を探してみる。こうして見るとなかなか真っ黒な髪の人というのは少ない。全体的には褐色か薄茶色、亜麻色の髪の人が多い様子だ。
夕食の時にでもジオルドに聞きだしてみようかな。結婚は考えていないのか、婚約者を見つける気はないのか。
正門から出てしばらく歩いた所に馬車があり、横にシュウが立っていた。迎えに来てくれたらしい。わたしは彼に礼を言って馬車に乗り込んだ。窓から紅葉した街路樹が見える。カラマツ、ブナ、ミズナラ―――それらの鮮やかな色を眺めながら公爵家に戻った。
どこからか猫じゃらしを持ってきて、「ほれほれ」と言いながらわたしの目の前に揺らす。無視したいのに何故かそれが出来ず、奴の思い通りの動きをしてしまう。
「ほら、ノア」
「うう……、ニャっ、ニャア!」
ふわふわの猫じゃらしに猫パンチ。猫パンチ、猫パンチ!
捕まえたら噛み付きながら猫キック。
はあ、最高―――。じゃなくて!
「……どうしたんだよ。何しょぼくれてんだ?」
「もう嫌ニャ。このままじゃ人間に戻れニャくニャりそう……」
両手で目を隠してうずくまるわたしを、奴はそっと抱き上げた。晴ればれとした笑顔で。
「大丈夫だ。お前のことは死ぬまで面倒を見てやる。安心して猫になればいい」
わたしは奴の顔に向かって、渾身の力で猫パンチを繰り出した。が、簡単に避けられてしまう。
こんの極悪公爵めえええ。
もうあんたが喜ぶ動きなんかしてやらない。
目を閉じて、ジオルドの言葉を全て無視した。奴は「ノア、ノア」と呼びながらわたしの体を揺らし、小さな子供をあやすように高く持ち上げたりしていたが、我慢できなくなったらしい。急にわたしの耳に噛み付いた。
「いニャっ! 何すんのニャア!」
「だってお前が無視するから。何で怒ったんだよ、面倒みてやるって言ってんのに」
……はぁ。この男はどうも、他人の心情が理解できないらしい。本来は人間であるわたしが、猫として面倒見てやるなんて言われても嬉しい訳がないのに。
でもそれを説明したところで、彼がすんなりと理解を示すとも思えなかった。
わたしが子供の頃、前公爵さまはほぼ毎日のように母へ会いに来ていたし、ジオルドは「父親が浮気している家族がどれだけ惨めかお前に分かるか」と暗い声でわたしに言った。
彼の父親は恐らく、自身の家庭はほったらかしにしたのだ。妻も、息子も。
だからジオルドも誰かに愛情を伝えるのは苦手なんだろう。
わたしはジオルドの頬を肉球で撫でてあげた。奴もわたしの頭をぐりぐりと撫でている。気の毒な人だ。見た目は芸術品のように美しいのに……。
このままではこの人も、妻となる女性を愛せないかもしれない。
ジオルドはいつものように、わたしを抱いたまま寝てしまった。後ろから規則正しい寝息が聞こえてくる。
わたしは彼が結婚するまで猫のように飼われないといけないのかな。
そう思うと、胸の上に重たい石でも乗せられたかのような気持ちになった。そんな絶望的な日々を過ごすなんて嫌だ。
誰か、誰でもいい。ジオルドの重たい執着を肩代わりして欲しい。わたし一人ではとても背負いきれない。
大学に入れば素敵な女性が見つかるだろうか。ジオルドは見た目だけならとても魅力的だから、きっとたくさんの女性からモテると思うのに。
入学できたらジオルドが好みそうな女性を探そう。その前に、彼の女性の趣味を調べておかないと。
明日になったらシュウに尋ねてみようと思いつつ、わたしは目を閉じた。
何日か経ち、とうとう編入学試験の日を迎えた。
わたしは今オルタ大学の正門前に立っている。約二週間ぶりに外に出られて嬉しくてたまらない。もうこのままどこかへ逃げてしまいたいとも思うけど、首もとでは相変わらず黒い石が揺れている。どこへ逃げようと無駄なのだ。
ジオルドはシュウに命じて馬車を用意してくれたが、公爵家の立派すぎる馬車は目立つので途中で降りてしまった。わたしは公爵令嬢でも貴族でもない、ただの雇われ人だから。
正門をくぐり、試験会場である第ニ号館へ向かって足を動かす。さりげなく建物や周囲の学生の様子を観察した。当然だけど、二十歳前後の人が多い様子だ。彼等に混じって初老の男性も見えたが、恐らく大学の職員なのだろう。
歩きながらシュウに聞いた話を思い出していた。ジオルドの好みの女性について―――ただ、シュウは娼婦に関する情報しか知らなかったけれど。
ジオルドは最初、ハニーブロンドの美女ばかり指名していたらしい。それがある時から急に好みが変わり、黒っぽい髪の美女ばかり選ぶようになったとの事だった。
周囲の学生の中には黒い髪の女性は見当たらない。入学したらまたゆっくり探そうと思いつつ、第二号館の中へ入った。
試験会場となる大講義室は最前列の席から後方へ向かって緩やかな階段状になっている。前の方は何故か空いているので、わたしはそちらに座ることにした。
室内にいる人は五十人ほどだろうか。皆わたしと似たような年齢だ。
やがて前方の扉から眼鏡をかけた四十代半ばぐらいの男性が入ってきて、試験内容の説明が始まり、問題が配られた。「始め」の合図で試験が始まる。
ジオルドのおかげか、さほどの困難もなく全ての問題を解けたと思う。
途中に一回の休憩を挟み、無事に試験が終了した。退出していく人たちのガタガタという音を聞きながら、持ってきた学術論文を提出。男性は少し驚いた顔をしたが、わたしの論文を受け取ってくれた。他に論文を提出する人はいないようだった。
第二号館を出てからまた黒髪の女性を探してみる。こうして見るとなかなか真っ黒な髪の人というのは少ない。全体的には褐色か薄茶色、亜麻色の髪の人が多い様子だ。
夕食の時にでもジオルドに聞きだしてみようかな。結婚は考えていないのか、婚約者を見つける気はないのか。
正門から出てしばらく歩いた所に馬車があり、横にシュウが立っていた。迎えに来てくれたらしい。わたしは彼に礼を言って馬車に乗り込んだ。窓から紅葉した街路樹が見える。カラマツ、ブナ、ミズナラ―――それらの鮮やかな色を眺めながら公爵家に戻った。
11
お気に入りに追加
1,218
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
心を病んだ魔術師さまに執着されてしまった
あーもんど
恋愛
“稀代の天才”と持て囃される魔術師さまの窮地を救ったことで、気に入られてしまった主人公グレイス。
本人は大して気にしていないものの、魔術師さまの言動は常軌を逸していて……?
例えば、子供のようにベッタリ後を付いてきたり……
異性との距離感やボディタッチについて、制限してきたり……
名前で呼んでほしい、と懇願してきたり……
とにかく、グレイスを独り占めしたくて堪らない様子。
さすがのグレイスも、仕事や生活に支障をきたすような要求は断ろうとするが……
「僕のこと、嫌い……?」
「そいつらの方がいいの……?」
「僕は君が居ないと、もう生きていけないのに……」
と、泣き縋られて結局承諾してしまう。
まだ魔術師さまを窮地に追いやったあの事件から日も浅く、かなり情緒不安定だったため。
「────私が魔術師さまをお支えしなければ」
と、グレイスはかなり気負っていた。
────これはメンタルよわよわなエリート魔術師さまを、主人公がひたすらヨシヨシするお話である。
*小説家になろう様にて、先行公開中*
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない
斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。
襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……!
この人本当に旦那さま?
って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
関係を終わらせる勢いで留学して数年後、犬猿の仲の狼王子がおかしいことになっている
百門一新
恋愛
人族貴族の公爵令嬢であるシェスティと、獣人族であり六歳年上の第一王子カディオが、出会った時からずっと犬猿の仲なのは有名な話だった。賢い彼女はある日、それを終わらせるべく(全部捨てる勢いで)隣国へ保留学した。だが、それから数年、彼女のもとに「――カディオが、私を見ないと動機息切れが収まらないので来てくれ、というお願いはなんなの?」という変な手紙か実家から来て、帰国することに。そうしたら、彼の様子が変で……?
※さくっと読める短篇です、お楽しみいだたけましたら幸いです!
※他サイト様にも掲載
捨てられた王妃は情熱王子に攫われて
きぬがやあきら
恋愛
厳しい外交、敵対勢力の鎮圧――あなたと共に歩む未来の為に手を取り頑張って来て、やっと王位継承をしたと思ったら、祝賀の夜に他の女の元へ通うフィリップを目撃するエミリア。
貴方と共に国の繁栄を願って来たのに。即位が叶ったらポイなのですか?
猛烈な抗議と共に実家へ帰ると啖呵を切った直後、エミリアは隣国ヴァルデリアの王子に攫われてしまう。ヴァルデリア王子の、エドワードは影のある容姿に似合わず、強い情熱を秘めていた。私を愛しているって、本当ですか? でも、もうわたくしは誰の愛も信じたくないのです。
疑心暗鬼のエミリアに、エドワードは誠心誠意向に向き合い、愛を得ようと少しずつ寄り添う。一方でエミリアの失踪により国政が立ち行かなくなるヴォルティア王国。フィリップは自分の功績がエミリアの内助であると思い知り――
ざまあ系の物語です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる