しつこい公爵が、わたしを逃がしてくれない

千堂みくま

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6 髪を切ってやろう

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 目が覚めるとすでに昼近かった。ふかふかと柔らかいベッドの上で体を伸ばし、着替えるためにクローゼットを開ける。
 昨晩から違和感があったが、このクローゼットは何かおかしい。

 普通、客室に下着なんて置いていないはずだ。普段着や寝間着はともかく、数日泊まるだけの客なら自分の下着は用意するだろうから。

 この部屋は何なのだろう。ジオルドが婚約者のために用意した部屋なんだろうか?
 フォックス公爵に婚約者がいたなんて聞いたこともないけれど、用意だけはしていたのかもしれない。

 だから何となく居心地が悪い。本来この部屋を使うべき人物の居場所を横取りしたみたいで。

 わたしはクローゼットの中から白いブラウスと青色の長いスカートを取り出して身につけた。家に帰れないのだから、借りるぐらいは許されるだろう。

 部屋から出ようとした所、見計らったようなタイミングでシュウがやって来た。

「おはようございます、ノア様」

「はぁ、どうも……」

 シュウが用意した水で顔を洗い、部屋の中で朝食を取る。久しぶりのまともな食事だ。分厚く切られたベーコンに焼いた卵、木の実が入ったパン、新鮮なフルーツ……。わたしは夢中で食べた。
 ああ美味しい。胃袋に染み渡るみたいだ。

 それにしても、この屋敷の中は不思議と暑さを感じない。今は初秋とは言え昼間は気温が高くなるはずだし、窓も閉め切っているのに。

 シュウに尋ねると、「屋敷内は魔術回路のおかげで年中心地よく過ごせるのです」との事だった。公爵家ともなると屋敷まるごと空調してしまうものなのか。

 どこで制御しているんだろう。エネルギーは魔力結晶なんだろうか。わたしの専門は薬学だけど、魔術工学にも興味があるから見せてもらいたいな……。

 食事を終えてお茶を飲んでいると、シュウはテーブルの上に本を三冊置いた。タイトルは全て同じで、『令嬢アレクサンドラの波乱万丈な生涯』。著者はフリードという名前の人物だ。どうやら続き物らしい。

「……なんですか、これは」

「ジオルド様からの伝言です。この本を読んでおけ、と」

 どうせなら医学書か薬学書が良かった。なんでこんな若い女性向けの本をジオルドが持っているんだろう。タイトルからして奴の趣味から外れていると思うんだけど。

「分かりました。とりあえず読んでみます」

 シュウは「失礼します」と言って部屋から出て行った。

 わたしは本を読もうと表紙をめくってみた。でも数ページ読んだところで手は止まってしまった。気になる事が多すぎて、物語に集中できない。

 モルダー伯爵から受けた今回の依頼は成功してから報酬を受け取る手はずだった。それに関しては別に問題ない。前金も受け取っていないのだから、違約金が発生することもないし。

 でもわたしが住んでいた賃貸の部屋はどうなるんだろう。魔術薬や魔道具、大切な資料も置きっぱなしだ。服や家具なんかどうでもいいけど、父と母が残した研究資料だけは取りに戻りたい。

 理由を話したら家に帰してもらえるだろうか。婚約者のダリオは―――あてに出来ないだろうな。わたしの事なんか気にも留めずに仕事してそうだ。

 部屋のドアを開けてみた。廊下はひっそりとしていて人の気配が全くない。こんなに広い屋敷なのに使用人の姿が無いのは不気味だ。

 フォックス公爵が人間嫌いというのは首都でも有名な話だけど、シュウに家事をさせてるのかな。
 せっかくの上位精霊に家事させるとか……。

「どこへ行く?」

「ひっ」

 いつの間にか背後にジオルドが立っている。気配を消して忍び寄るのはやめて欲しい。
 奴はわたしの背中を押して部屋に戻らせた。バタンとドアを閉じたあと、わたしの体を上から下まで舐めるように見ている。

「なんでそんな地味な服を着てるんだ」

「か、借り物なのにお洒落する訳にはいかないでしょう。それより公爵さま、いちど家に帰してもらえませんか?」

「なぜ?」

「わたしの部屋は借りているだけだし、大切な物を置いたままなんです。魔術薬とか魔道具とか……あと、両親が残してくれた研究資料も」

 わたしは仕事で客と対面する時、そして外出する時に、老婆の姿に変わる魔術を仕込んだ指輪を使っていた。

 『老婆の指輪』と呼んで大切にしていたのだ。あの指輪のお陰でお客さんに舐められずに済んだし、若い娘でも一人暮らしして来れたのだと思う。

 それに、両親が残してくれた資料は命と同じぐらい大切だ。わたしにとって形見のような物だから。

「――分かった。お前の家に関しては俺が何とかしておく。荷物も全てこの屋敷に移そう」

「…………」

 本当は自分で取りに戻りたかったけれど、やっぱり駄目だったな……。

 俯いて床を見ているとジオルドの長い脚が視界に入った。脚は優雅に動いてわたしの目の前で止まり、次は大きな手が顔の方に伸びてくる。

 ジオルドの手の平は硬く、しっかりとした厚い皮膚に覆われていた。わたしを殺すために鍛錬した成果なのかもしれない。公爵さまはいつまでわたしを生かしておくんだろう。

 長い指がわたしの顎をつかみ、ゆっくりと顔を上向かせた。濃紺の瞳と視線が合う。公爵は大真面目な顔で、わたしの顔を真正面から見たり横から見たりした。何を考えているのかよく分からない。

「髪の長さがバラバラだな。俺が切ってやろう」

「えっ? あ、ちょっと……」

 ほとんど無理やりドレッサーの椅子に座らされた。奴の握力は半端ない。腕を掴まれるとびくともしないのだ。

「こ、公爵さま。髪ぐらい自分で切ります」

「俺を公爵と呼ぶな。ファーストネームで呼べ」

「……お願いします、ジオルド様」

「よろしい」

 背後からぞくりとするような冷たい殺気が漂ってくる。もう大人しくしていよう。

 刃物を持った危険人物がすぐ後ろに立っているのだ。不用意に動いたらすぱっと切られるかもしれない。後頭部とうなじ付近には生命の根幹が集中している。そんな場所をジオルドの眼前にさらすのは本当に怖かった。

 わたしは青色のスカートを握りしめたまま、身じろぎもせずに散髪が終わるのをひたすら待った。背中の後ろからジョキジョキと音が聞こえ、足元に黒い髪の毛が落ちていく。

 ジオルドは肩から少し下の辺りで切り揃えている様だった。鏡を見たら奴と視線が合いそうでいやだ。ドレッサーに置いてある櫛とか髪飾りでも見ていよう。
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