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2 過去の因縁
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わたしの父は医師、そして母は薬師だった。二人は小さな村で診療所を開き、父は患者の治療を、母は医薬と魔術薬を作って父を支えていたらしい。
母がわたしを身篭った頃に父は軍医として戦争の前線に赴き、そのまま帰らぬ人となってしまった。母は一人で診療所を切り盛りしていたが、当時は戦争のため薬の原料が手に入りにくかったそうだ。
そんな彼女を支援したのが前フォックス公爵―――ジオルドの父だった。
前公爵はフォックス領の片隅で働く母の噂をどこからか聞きつけ、医薬品や医療器具の援助を申し出てくれた。お陰で治療は問題なくやれるようになったが、前公爵が頻繁に母のもとを訪れるようになった事、そしてその頃に母のつわりが始まったことが事態をややこしくした。
母が公爵の目に留まらないぐらい平凡な顔だったら問題なかったのかも知れない。
だけど母は美しかった。気の強そうな凛とした顔立ちに、艶《つや》やかな黒髪とルビーのような真紅の瞳が印象的な美女だった。
公爵さまが何を考えて、いく度も母へ会いに来たのかは分からない。だけどとにかく彼の態度が元となって、母のお腹の子は公爵さまの不義の子なのでは……という噂が立ってしまった。
村の人たちは世話になっている公爵さまと母の前では決して噂に関する話はしなかったらしい。でも狭い村の中で暮らしていれば、噂の内容など簡単に耳に入ってしまう。
母は公爵さまの訪問を何とか拒もうとしたみたいだけど、援助を受けている身でしかも相手は公爵だ。はっきりと拒絶できるわけがない。
わたしの父は生前、血液に関する研究をしていた。父の論文によって人間の血液型は六種類に分けられることが判明し、親から子へ遺伝する事も明らかになった。
母は公爵さまから「研究のため」という理由で採血させてもらい、彼の血液型を調べた。そして証明された―――生まれた子、つまりわたしと公爵さまには血の繋がりは無いと。
わたしが物心ついた頃、母は何度も「あなたはお父さんとお母さんの子よ」と言った。わたしはもちろん母の言葉を信じていたけれど、世間はそれほど甘くない。
六歳頃から、フォックス領の主要都市にある学校の小等部に通い始めた。領地内でも優秀な子が通うことで有名な学校だったが、そこで初めて公爵さまの息子であるジオルドと会う事になる。
二つ年上の彼は初対面からわたしを射殺すような目で見ていた。視線だけで人が殺せるなら、恐らくわたしは数え切れないほど何度も死んでいたことだろう。
ジオルドの瞳にはわたしに対する憎悪が宿っていた。
中等部に上がった頃には父と母の研究内容も理解できるようになっていたので、わたしは何度もジオルドに説明したい衝動に駆られた。
公子、あなたとわたしには全く血の繋がりはないのです。
あなたのお父さまは、不義などしていないのです!
―――と、言えたらどんなに心が晴れた事だろう。
だけど言おうものなら瞬時に捕らえられ、不敬罪で投獄される事は分かりきっていた。だから彼と彼の取り巻きからの嫌がらせに黙って耐え続けた。
貧しい家の子が無理して学校に通うのは惨めなものだな、なんて皆の前で言われ、嘲笑の的になったり。
ジオルドを慕う女子生徒から、バケツの水を掛けられたこともある。
周囲の生徒は、わたしとジオルドの背景にある複雑な関係など知らなかったに違いない。それでも彼らがわたしを苛めたのは、ただ単にジオルドがわたしに構うのが気に食わなかったのだろう。
学年が違うのに事あるごとにジオルドはわたしの前に現れた。そして何をする訳でもなく、ただじっとわたしを睨んでいるのだ。まるで周囲の者に「こいつは俺の獲物だ」と見せつけるかのように。
わたしが中等部を卒業する年、ジオルドの父は病で亡くなった。その半年後に母も過労で倒れ、力尽きたように死んでしまった。
母の葬儀を終えたあと、逃げるように村から出た。公爵さまが亡くなった以上ジオルドは憎しみのままにわたしを殺すだろうと思ったから。
貯めていたお金で買った姿を隠すローブは、わたしを難なく村から出してくれた。
学校に通いながら母から医薬と魔術薬の手ほどきを受けていたので、一人で生きていく事にそれほど恐れもなかった。
母は人を隠すには人ごみに混ざった方がいいと言っていたので、その助言にしたがってウォルス王国の首都に移り住み、薬を作り始めたのは16歳の頃だ。
咳止めの薬を売ったり、記憶を取り戻す魔術薬を売ったりしながら暮らし、すでに三年たつ。
首都の片隅で薬を作って生計を立てているわたしを、街の人たちは『薬師の魔女』と呼んだりする。魔女とは言っても魔力が低いわたしに高度な魔術は使えず、薬の収入だけで生きてきたのだ。正直に言えば生活はギリギリだった。
ダリオと知り合ったのは首都に来てから一年経った頃で、彼は薬の原料を売る商社に勤めており、何度か対面している内に仲良くなった。でも収入が少ないから彼に養ってもらおうと考えた時点で間違っていたんだろう。
誰かを利用しようなんて考えたからこうなったのかな。
わたしは馬鹿だ。
目先のお金に釣られて危険な仕事に手を出し、殺されかけている。
こんな事になるなら依頼を受けなければ良かった。別の仕事をしていれば良かった……。
母がわたしを身篭った頃に父は軍医として戦争の前線に赴き、そのまま帰らぬ人となってしまった。母は一人で診療所を切り盛りしていたが、当時は戦争のため薬の原料が手に入りにくかったそうだ。
そんな彼女を支援したのが前フォックス公爵―――ジオルドの父だった。
前公爵はフォックス領の片隅で働く母の噂をどこからか聞きつけ、医薬品や医療器具の援助を申し出てくれた。お陰で治療は問題なくやれるようになったが、前公爵が頻繁に母のもとを訪れるようになった事、そしてその頃に母のつわりが始まったことが事態をややこしくした。
母が公爵の目に留まらないぐらい平凡な顔だったら問題なかったのかも知れない。
だけど母は美しかった。気の強そうな凛とした顔立ちに、艶《つや》やかな黒髪とルビーのような真紅の瞳が印象的な美女だった。
公爵さまが何を考えて、いく度も母へ会いに来たのかは分からない。だけどとにかく彼の態度が元となって、母のお腹の子は公爵さまの不義の子なのでは……という噂が立ってしまった。
村の人たちは世話になっている公爵さまと母の前では決して噂に関する話はしなかったらしい。でも狭い村の中で暮らしていれば、噂の内容など簡単に耳に入ってしまう。
母は公爵さまの訪問を何とか拒もうとしたみたいだけど、援助を受けている身でしかも相手は公爵だ。はっきりと拒絶できるわけがない。
わたしの父は生前、血液に関する研究をしていた。父の論文によって人間の血液型は六種類に分けられることが判明し、親から子へ遺伝する事も明らかになった。
母は公爵さまから「研究のため」という理由で採血させてもらい、彼の血液型を調べた。そして証明された―――生まれた子、つまりわたしと公爵さまには血の繋がりは無いと。
わたしが物心ついた頃、母は何度も「あなたはお父さんとお母さんの子よ」と言った。わたしはもちろん母の言葉を信じていたけれど、世間はそれほど甘くない。
六歳頃から、フォックス領の主要都市にある学校の小等部に通い始めた。領地内でも優秀な子が通うことで有名な学校だったが、そこで初めて公爵さまの息子であるジオルドと会う事になる。
二つ年上の彼は初対面からわたしを射殺すような目で見ていた。視線だけで人が殺せるなら、恐らくわたしは数え切れないほど何度も死んでいたことだろう。
ジオルドの瞳にはわたしに対する憎悪が宿っていた。
中等部に上がった頃には父と母の研究内容も理解できるようになっていたので、わたしは何度もジオルドに説明したい衝動に駆られた。
公子、あなたとわたしには全く血の繋がりはないのです。
あなたのお父さまは、不義などしていないのです!
―――と、言えたらどんなに心が晴れた事だろう。
だけど言おうものなら瞬時に捕らえられ、不敬罪で投獄される事は分かりきっていた。だから彼と彼の取り巻きからの嫌がらせに黙って耐え続けた。
貧しい家の子が無理して学校に通うのは惨めなものだな、なんて皆の前で言われ、嘲笑の的になったり。
ジオルドを慕う女子生徒から、バケツの水を掛けられたこともある。
周囲の生徒は、わたしとジオルドの背景にある複雑な関係など知らなかったに違いない。それでも彼らがわたしを苛めたのは、ただ単にジオルドがわたしに構うのが気に食わなかったのだろう。
学年が違うのに事あるごとにジオルドはわたしの前に現れた。そして何をする訳でもなく、ただじっとわたしを睨んでいるのだ。まるで周囲の者に「こいつは俺の獲物だ」と見せつけるかのように。
わたしが中等部を卒業する年、ジオルドの父は病で亡くなった。その半年後に母も過労で倒れ、力尽きたように死んでしまった。
母の葬儀を終えたあと、逃げるように村から出た。公爵さまが亡くなった以上ジオルドは憎しみのままにわたしを殺すだろうと思ったから。
貯めていたお金で買った姿を隠すローブは、わたしを難なく村から出してくれた。
学校に通いながら母から医薬と魔術薬の手ほどきを受けていたので、一人で生きていく事にそれほど恐れもなかった。
母は人を隠すには人ごみに混ざった方がいいと言っていたので、その助言にしたがってウォルス王国の首都に移り住み、薬を作り始めたのは16歳の頃だ。
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わたしは馬鹿だ。
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