しつこい公爵が、わたしを逃がしてくれない

千堂みくま

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1 再会は命がけ

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 金づるが逃げた。

『ノアへ。
 突然ですまないけど、僕たちの婚約は無かったことにしよう。
 その方が君も幸せになれると思う。元気で。
 ―――ダリオ』

 たった一枚の手紙で婚約破棄だなんて、あまりにもお粗末すぎるわ。

 無感動にその紙を暖炉に放り投げた。紙切れはめらめらと燃えて灰になる。
 まあ仕方ないか。もともと口約束の婚約だったし、お互いに愛なんてなかった。友情はあったと思うけど。

 婚約者を失ったわたしは今、魔術師のローブに身を包んでこそこそと道の端を歩いている。このローブはなけなしの金をはたいて買った特別製で、着た者の姿を透明化してしまう優れものだ。

 今回の仕事は実入りがいい特別な仕事。それだけに標的も特別な人物だ。本来なら彼の屋敷にわたしのような身元不明人は出入り不可能なので、高額なローブの力を使って今から忍び込もうとしている。

「……この辺りでいいかな」

 今回の標的―――フォックス公爵の屋敷近く、私有林の中で歩みを止めた。しっかりとローブのフードを被り、ポケットの中を確認。大丈夫、ちゃんと瓶は入っている。

 きょろきょろと辺りを見回し、屋敷の塀に一番近い木に登りはじめた。くすのきだろうか。枝は長く太く、わたしが体重をかけてもびくともしない。
 こんなに登りやすい木を放置しているなんて、フォックス公爵もうっかり者だ。

 枝の上をそろそろと移動し、塀の上に飛び降りる。透明でなければすぐに侵入が露見しただろうけど、今のところ門番をしている騎士も気付いていない様子でホッと息をついた。

 それにしても手や膝がこすれて痛い。もう二度とこんな仕事したくない。

 使用人が使う裏口から屋敷に入り、二階の廊下の突き当たりにあるドアを目指す。依頼人の話では、標的はその部屋で寝ているのではないかとの事だった。

 突き当たりの部屋のドアは明らかに他のドアとは異なっていた。重厚で格式高い作り。間違いない、屋敷の主の部屋だろう。
わたしはドアにぴたりと耳を付けて、慎重に内部の音を拾った。何の物音もしないようだ。それはそうか、もう深夜と言える時間なのだから。

 音を立てないようにドアノブを回して部屋に入り、また静かに扉を閉める。振り返って室内を見回したわたしはがっくりと肩を落とした。寝台はもぬけの空だ。どうやら公爵は留守らしい。

 なんでこんな時間に留守なのよ。夜更かしは体に悪いよ!

 ため息をついて部屋を出ようとした時、廊下の奥からこちらに近付いてくる足音が聞こえた。急いで部屋の隅に移動し、息を潜める。

 ほどなくしてドアが開き、屋敷の主が姿を現した。

 金とも銀ともつかない不思議な色の髪に、黒と藍が混ざる夜空の瞳。
 美しさと男らしさがこれ以上ないバランスで溶け合った美貌の青年だ。冷徹そうな眼差しは見た者を凍らせてしまいそうだが、今は気だるい雰囲気に包まれている。

 彼が通りすぎた瞬間、女物の香水がふわりと漂ってきた。はだけたシャツの襟や青年の首には口紅がべったりと付いている。

 女遊びですか、そうですか。どうでもいいから早く寝てください。

 わたしは息を殺しながら青年が眠るのを待った。若き公爵さまは首からタイを外してベッドに腰掛けている。彼が寝入ったら、ポケットの中の薬を飲ませてしまおう。それで今回の仕事は終わりだ。

 ふと、青年が顔を上げてこちらを見た。わたしも足の動きを止める。

 気付かれた?
 いやいやまさか。透明になったわたしの姿が彼に見えるわけがない。

 だけど公爵は確かにわたしを見ている。わたしの、足元を見ているのだ。そこでやっと気付いた。絨毯がわたしの体の重みでへこんでいる事に。

「……へえ。面白い奴が忍び込んでるみたいだな」

 公爵はベッドの下から剣を取り出し、鞘から引き抜いた。心臓がバクバクと音を立てている。

 どうするべき? 走って逃げるべき?

 剣を持った青年が近付いてくる。わたしは公爵の噂を思い出していた。なんでも彼は魔力で肉体を強化させ、目では追えない程の速さで剣を振るうらしい。

 わたしここで死ぬのかな。
 死―――。
 死ぬ?

 気が付いたらドアに向かって走り出していた。

 嫌だ、まだ死にたくない!

 必死に走るわたしの背後に、ザン!と剣が振り下ろされた。ローブの一部が裂け、ポケットから薬の入った瓶が転がり落ちる。
 思わず振り返ると顔のすぐ横に風を感じた。頬をたらりと水のようなものが伝う感覚と共に、鉄くさい匂いが鼻先をかすめる。切り落とされた黒髪がひと房、床の上に落ちた。

「そこか」

 公爵は身を屈めて長い脚を絨毯の上に滑らせる。足払いをされたわたしは、どたっ、と床に尻餅をついた。

「ぃったぁ!」

「ん? 女か? これぐらいで転ぶとは……」

 鼻の先に剣を突きつけられる。

「お前は何者だ。三つ数える内に正体を現せ。さもなければ殺す。いち、に……」

「わっ、分かりました! ちょっと待ってください!」

 被っていたフードから顔を出し、ローブも脱いで腕に抱える。
 わたし、今から殺されるかもしれない。

 震えながらローブを抱きしめていると、青年がしゃがみ込んでわたしの顔をまじまじと凝視した。
 彼の目は大きく見開かれている。信じられないものでも見たかのように。

「お前……ノアか?」

「…………」

「ノアだよな? ノア・ブラキストンだろう。は、はは……どこに行っていたんだ、ノア! ずっと探していたんだぞ!!」

 ――殺すために探していたんでしょう?

 青年は剣を乱雑に床に転がし、わたしに向かって腕を伸ばしてくる。凄まじい力で抱きしめられながら、ただ震えることしか出来なかった。もう逃がさない、と言われているようで怖かった。

 もうお仕舞いだ。

 彼は―――ジオルド・レクザ・グローヴァは決して許さないだろう。彼の父親を奪った母とわたしを。
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