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3 銀の青年
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誰かが頬を撫でている。壊れ物でもさわるような手つきで。
ぱちりと目を開けると、息がふれるほど近くに男の顔があった。切れ長の目に底光りするような琥珀の瞳。まるで野生の獣みたいだ―――と思ったところで、以前もこんな目を見たような気がした。
一体どこで見たのだろう。離宮に若い男性はいないのに。
寝起きのせいでぼんやりしていたが、しばらくしてアイリスは「ひっ」と悲鳴を上げて男から体を離した。いつの間にか服が替えられ、どこかの寝台へ運ばれていたらしい。でもここがどこかというより、目の前の男が恐ろしくてたまらない。
ひとを二人も殺した男だ。
せっかく気を失っていたのに、どうしてその間にアイリスを殺さなかったのだろう。恐怖を味わいながら死ねと言いたいんだろうか?
アイリスはぎりぎりまで寝台の端に寄り、毛織物の上掛けを体に引き寄せる。鋭い琥珀の瞳から少しでも体を隠したかった。
青年は寝台に座ってアイリスの様子を伺っていたが、やがて低い声でつぶやくように言う。
「貴女には兄が二人いたな」
「え? ……ええ」
確かにアイリスには兄が二人いた。どちらも王妃の子で腹違いだし、ほとんど会ったこともないけれど。でもどうして急に兄の話なんてするのだろう。
まさか、と不安がるアイリスの前で青年は一度目を閉じた。言いにくいことをどう伝えようかと、迷っている様子で。
「……貴女の二人の兄は、昨夜討ち死にした。王都の南端、カリフ城で―――」
「そんな! 嘘でしょう」
「嘘ではない。二人の首、そしてヴァーノンの首も、城門前にさらしてある」
アイリスは絶句し、薄い毛布をぎゅっと胸の前で握りしめる。
ヴァーノンというのは父の名だ。この男は、アイリス以外の王族全員の命を奪ったと告げているのだ。
城の中に入ることもできない平民たちは内部でなにが起ころうと分からない。だから武力によって強制的に王が変わった場合、前王の首をさらして平民に知らしめるのが一般的だった。
しかしいくら一般的と言われても、家族を殺された当人にとってはこれ以上ない悲劇である。
震えるアイリスの前で、青年は床からなにかを拾い上げた。細身の短剣だ。見せつけるようにゆっくりと鞘から刀身を抜いている。
今ここで、殺すつもりなのか―――身がすくんで動けないまま、アイリスは青年を凝視した。
彼はなぜか抜き身の刃を手に持ち、柄のほうをアイリスに差し出してくる。
「さあ、手に取れ」
「な、なにをする気なの?」
「貴女の家族はみな俺が殺した。貴女には俺を殺す権利がある……。今なら誰も邪魔しない、ひと思いにやるといい」
「……」
柄を握ると、手の震えによって剣までぶるぶると動いている。青年はアイリスの左手を取り、自身の左胸に押し当てた。
「ほら、心臓が分かるか。ここは肋骨で守られているから、骨と骨の間を狙って突き刺すんだ」
薄いリネンのシャツ越しに拍動が伝わってきて、アイリスはうろたえた。生きている温かい体だ。きっと突き刺すときには肉を切り裂く感触が分かるのだろう。血だってたくさん流れるだろう―――。
青年の苦しそうな顔まで浮かんできて、アイリスは慌てて短剣を手放した。無理だ。自分に、ひとを殺すことは出来ない。そんな勇気もないし、それに……。
「……できません」
青年の手を振り払い、両手で顔を覆い隠す。どんな顔をすればいいのか分からず、アイリスは青年に背を向けた。
親を殺されたのだから、泣いて悲しむべきだ。怒りと憎しみを青年にぶつけるべきだ。なのにそれが出来なくて途方に暮れている。
どうして悲しくないの。どうして涙が出てこないの?
わずか五歳で王宮を出され、王との面会も許されなかった。アイリスに対する命令はつねに使いの者が伝え、父が離宮に来たことは一度もなかった。
この状況で親に愛情を感じろといわれても無理なのだが、アイリスはそこまで割り切ることも出来ず、薄情な自分にショックを受けている。
いま泣いたら自分を憐れむ涙のようで、自分に酔っている涙のようで許せない。歯をくいしばって耐えていると、肩にふわりと柔らかなものが掛けられた。
両手から顔を上げると、琥珀色の瞳と視線が合う。青年がアイリスの体にショールを掛けてくれたのだ。彼の眼差しに労わる光を見いだし、複雑な気持ちになった。
父は一度もアイリスに愛情を向けてくれなかった。でも今、父を殺した青年から情けをかけられている。
とうとうアイリスの目から雫がこぼれ落ち、ぽたぽたと毛布に染みこんだ。
悲しい。一度でいいから、父の愛を感じてみたかった。でもその機会は永遠に失われてしまったのだ。
涙を流すアイリスの背中を、大きな手がぎこちなく撫でている。優しくしないでと叫びたい。いっそ青年を憎めればいいのに。
ぱちりと目を開けると、息がふれるほど近くに男の顔があった。切れ長の目に底光りするような琥珀の瞳。まるで野生の獣みたいだ―――と思ったところで、以前もこんな目を見たような気がした。
一体どこで見たのだろう。離宮に若い男性はいないのに。
寝起きのせいでぼんやりしていたが、しばらくしてアイリスは「ひっ」と悲鳴を上げて男から体を離した。いつの間にか服が替えられ、どこかの寝台へ運ばれていたらしい。でもここがどこかというより、目の前の男が恐ろしくてたまらない。
ひとを二人も殺した男だ。
せっかく気を失っていたのに、どうしてその間にアイリスを殺さなかったのだろう。恐怖を味わいながら死ねと言いたいんだろうか?
アイリスはぎりぎりまで寝台の端に寄り、毛織物の上掛けを体に引き寄せる。鋭い琥珀の瞳から少しでも体を隠したかった。
青年は寝台に座ってアイリスの様子を伺っていたが、やがて低い声でつぶやくように言う。
「貴女には兄が二人いたな」
「え? ……ええ」
確かにアイリスには兄が二人いた。どちらも王妃の子で腹違いだし、ほとんど会ったこともないけれど。でもどうして急に兄の話なんてするのだろう。
まさか、と不安がるアイリスの前で青年は一度目を閉じた。言いにくいことをどう伝えようかと、迷っている様子で。
「……貴女の二人の兄は、昨夜討ち死にした。王都の南端、カリフ城で―――」
「そんな! 嘘でしょう」
「嘘ではない。二人の首、そしてヴァーノンの首も、城門前にさらしてある」
アイリスは絶句し、薄い毛布をぎゅっと胸の前で握りしめる。
ヴァーノンというのは父の名だ。この男は、アイリス以外の王族全員の命を奪ったと告げているのだ。
城の中に入ることもできない平民たちは内部でなにが起ころうと分からない。だから武力によって強制的に王が変わった場合、前王の首をさらして平民に知らしめるのが一般的だった。
しかしいくら一般的と言われても、家族を殺された当人にとってはこれ以上ない悲劇である。
震えるアイリスの前で、青年は床からなにかを拾い上げた。細身の短剣だ。見せつけるようにゆっくりと鞘から刀身を抜いている。
今ここで、殺すつもりなのか―――身がすくんで動けないまま、アイリスは青年を凝視した。
彼はなぜか抜き身の刃を手に持ち、柄のほうをアイリスに差し出してくる。
「さあ、手に取れ」
「な、なにをする気なの?」
「貴女の家族はみな俺が殺した。貴女には俺を殺す権利がある……。今なら誰も邪魔しない、ひと思いにやるといい」
「……」
柄を握ると、手の震えによって剣までぶるぶると動いている。青年はアイリスの左手を取り、自身の左胸に押し当てた。
「ほら、心臓が分かるか。ここは肋骨で守られているから、骨と骨の間を狙って突き刺すんだ」
薄いリネンのシャツ越しに拍動が伝わってきて、アイリスはうろたえた。生きている温かい体だ。きっと突き刺すときには肉を切り裂く感触が分かるのだろう。血だってたくさん流れるだろう―――。
青年の苦しそうな顔まで浮かんできて、アイリスは慌てて短剣を手放した。無理だ。自分に、ひとを殺すことは出来ない。そんな勇気もないし、それに……。
「……できません」
青年の手を振り払い、両手で顔を覆い隠す。どんな顔をすればいいのか分からず、アイリスは青年に背を向けた。
親を殺されたのだから、泣いて悲しむべきだ。怒りと憎しみを青年にぶつけるべきだ。なのにそれが出来なくて途方に暮れている。
どうして悲しくないの。どうして涙が出てこないの?
わずか五歳で王宮を出され、王との面会も許されなかった。アイリスに対する命令はつねに使いの者が伝え、父が離宮に来たことは一度もなかった。
この状況で親に愛情を感じろといわれても無理なのだが、アイリスはそこまで割り切ることも出来ず、薄情な自分にショックを受けている。
いま泣いたら自分を憐れむ涙のようで、自分に酔っている涙のようで許せない。歯をくいしばって耐えていると、肩にふわりと柔らかなものが掛けられた。
両手から顔を上げると、琥珀色の瞳と視線が合う。青年がアイリスの体にショールを掛けてくれたのだ。彼の眼差しに労わる光を見いだし、複雑な気持ちになった。
父は一度もアイリスに愛情を向けてくれなかった。でも今、父を殺した青年から情けをかけられている。
とうとうアイリスの目から雫がこぼれ落ち、ぽたぽたと毛布に染みこんだ。
悲しい。一度でいいから、父の愛を感じてみたかった。でもその機会は永遠に失われてしまったのだ。
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