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44 忘れられた場所
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何日たったんだろう。
キオーン宮は隔離されているせいか、時間の流れが緩慢なように感じる。
相変わらずフェリオスとは会えず、私は寝るときにいつも彼の剣を抱きしめていた。彼は絶対に生きてる、必ず会えると念じながら眠る。
毎晩のように同じことを繰り返しているので、もうほとんど儀式みたいだった。
「ララちゃん、なにを読んでるの?」
「故郷のロイツから持ってきた書物ですわ。ティエラ様も、良かったどうぞ。退屈な内容かもしれませんが……」
ほぼ一日中、ティエラ様と一緒に過ごす。食事もお茶の時間も、散歩のときまで一緒だ。
今日はティエラ様お気に入りの、ガセボの中で本を読んでいる。
皇帝から命じられた以上、ティエラ様の病をほったらかす訳にもいかない。が、心の病についてはロイツでも研究が進んでおらず、分からないことだらけだ。
ただひとつ確信しているのは、本人に無理やり現実を突きつけてはならない、ということ。
無理じいすると、心だけでなく体まで壊すひともいるようで……だから私は、ティエラ様が認識したとおりの日常を過ごしている。
私たちは同年代の友人という認識だ。
「ん~……ひとの体って、よく出来てるわね。とても難しいけど、面白い本だわ!」
ティエラ様の反応は年齢相応ではなく、まるで少女のように溌剌としている。見た目は母親のようでありながら、中身は完全に若いむすめだ。
フェリオスはティエラ様のことをどう思っているんだろう?
息子も娘も忘れてしまった母親を見て、どんな気持ちだったのか――想像するだけでつらい。彼がエイレネ姫を大切にしているのは、家族だと思えるのが妹だけだから。そういう事なんじゃないのか。
――でも、ティエラ様を責めることは出来ないよね……。
どうにかして彼女を救ってあげたい。
でも方法が分からず、途方に暮れている。そんな毎日だ。
「ねえねえ、ララちゃん。今日は秘密のお散歩してみない?」
本から顔を上げたティエラ様が、いたずらっ子のようにニィッと笑う。
「秘密のお散歩……。秘密なのですか?」
「そうよぉ。行ってみたいでしょ?」
子供のように目をキラキラさせるので、思わずこくんと頷いてしまった。ティエラ様はさらに嬉しそうにほほ笑み、私の手を引いてなぜか建物へ入っていく。
「え、ティエラ様? 外への散歩ではないのですか?」
「うふふっ。秘密の散歩はね、地下でするのよ!」
屋敷の奥に入って床にはめられた扉を開けると、なんと階段が出てきた。
「こんな所に階段があったなんて……」
「ね、面白いでしょ。でも誰にも内緒にしてね?」
「え、ええ。この先、危険はないでしょうか?」
「平気よ! わたし、もう何度も行ったことあるもの!」
少女のように元気よく言い、暗い石段を降りていく。何度も行ったというのは嘘ではなさそうだけど、暗い階段を降りるのはさすがに怖かった。
すべって転んだら痛いだろうな。
周りは石の壁だし。
階段の奥からゴウゴウと低い音が聞こえてくるのも怖くて、私はびくびくしながら細い通路を進んだ。
ひとが一人やっと通れるような道の先に、黒い水流が見える。
「まぁ……! 屋敷の下に、川があるのですか?」
「面白いでしょ! さぁ行きましょ」
「ま、待ってください……! 暗くて、怖い……っ」
「あら、ララちゃんて怖がりなのね。じゃあ手を繋ぎましょうよ」
私とティエラ様は手をつなぎながら、水路の端にある道をすすんだ。
フェリオスが今の私たちを見たらなんて言うかな。
想像すると面白い。
ニヤニヤしながら道を進むと、下流へ進むにつれて道が広くなっていく。
「向こうの方、明るいですね。出口かしら……」
「出口は大きなお庭に繋がっているのよ」
ティエラ様が言ったとおり、水路を抜けるとどこかの庭へ出た。しかし誰かが手入れをしている様子はなく、木の枝は伸び放題で足もとは雑草だらけ。
周囲の建物にも、人がいる気配はない。
「皇城のなかのはずなのに……。どうして誰もいないの?」
「ララちゃん、こっちよ。なかも面白いのよ!」
ティエラ様は迷いなく建物へ入っていく。彼女の後に続いて内部へ入ると、ほこりが積もった廊下にてんてんと足跡が残っていた。ティエラ様の足と同じ大きさで、彼女がひとりで何度か訪れたことを証明しているようだった。
「わたしのお気に入りはね、このお部屋よ。お姫さまみたいでしょ?」
「まぁ、家具はそのままにしてあるのですね。調度品まで……」
ティエラ様が案内してくれた部屋に入ると、『お姫さま』の言葉どおり女性らしい家具が揃っている。花柄の壁に猫足のソファ、鈴蘭の形をしたランプ。
少し掃除をしたのか、鏡はなにかで拭いた形跡があった。
「ティエラ様がお掃除なさったのですか?」
「そうよ! わたし時々ここで、お姫さまになりきって遊んでいるの」
――あなたは元からお姫さまだったのですよ。そして今は、お妃さまになったのでしょう。
言いたい言葉をぐっと飲み込み、力なく笑った。本当は泣いてしまいたい。
この宮がどんな場所か、分かってしまったから……。
ここは後宮だ。
主たちを失って用済みになった、空っぽの後宮。
何年か前には八人のお妃さまが過ごしていたはずだけど、七人は亡くなり、最後の一人は記憶を失った。いや、失ったというのは少し違うかもしれない。
恐らく自我を守るために、記憶を封じ込めているのだ。
そうしないと心が壊れそうだったから。
「どうしたの? ララちゃん、泣きそうになってる」
「……大丈夫です。せっかくですから、ここで遊んで行きましょうか?」
ティエラ様は「ええ!」と嬉しそうにうなずき、私たちはしばらくお姫様ごっこを楽しんだ。鳥の羽がついた豪華な扇を使ってみたり、レースの天蓋がついた寝台へ寝転がってみたり。
ティエラ様。私はあなたを助けて差し上げたいです。
あなたの苦しみを、取りのぞいてあげたい。
祈るような気持ちで過ごし、また二人で水路を通ってキオーン宮へと戻った。
「あっ、姫様! どこへ行ってらしたんですか? お客様がお見えですよ」
「お客様?」
宮へ戻った途端、カリエに呼ばれて応接間へ向かう。後ろからワクワクした様子のティエラ様までついて来てるけど、まあいいか。
「すみません、お待たせして――」
声を掛けると、ソファに座ったブロンドの女性が振り向いた。
蜂蜜の髪に、アメジストの瞳。
「あら、ケニーちゃんじゃない」
ティエラ様がのほほんとした声で言った。どうやら二人は知り合いらしい――が、今はそれどころではない。
ケニーシャ様は、なぜか泣いているのだ。
「ど、どうされました? なぜ泣いて……」
「わっ、わたくし、どうしていいか分からなくてっ……!」
声をかけると、ケニーシャ様はわっと泣いて顔を両手で覆った。ティエラ様が彼女のとなりに座り、心配そうに背中を撫でている。
両手から顔を上げたケニーシャ様は、ひどく小さな声で呟いた。
「皇太子殿下は――レクアム様は、お父上を殺すつもりなんです……!」
キオーン宮は隔離されているせいか、時間の流れが緩慢なように感じる。
相変わらずフェリオスとは会えず、私は寝るときにいつも彼の剣を抱きしめていた。彼は絶対に生きてる、必ず会えると念じながら眠る。
毎晩のように同じことを繰り返しているので、もうほとんど儀式みたいだった。
「ララちゃん、なにを読んでるの?」
「故郷のロイツから持ってきた書物ですわ。ティエラ様も、良かったどうぞ。退屈な内容かもしれませんが……」
ほぼ一日中、ティエラ様と一緒に過ごす。食事もお茶の時間も、散歩のときまで一緒だ。
今日はティエラ様お気に入りの、ガセボの中で本を読んでいる。
皇帝から命じられた以上、ティエラ様の病をほったらかす訳にもいかない。が、心の病についてはロイツでも研究が進んでおらず、分からないことだらけだ。
ただひとつ確信しているのは、本人に無理やり現実を突きつけてはならない、ということ。
無理じいすると、心だけでなく体まで壊すひともいるようで……だから私は、ティエラ様が認識したとおりの日常を過ごしている。
私たちは同年代の友人という認識だ。
「ん~……ひとの体って、よく出来てるわね。とても難しいけど、面白い本だわ!」
ティエラ様の反応は年齢相応ではなく、まるで少女のように溌剌としている。見た目は母親のようでありながら、中身は完全に若いむすめだ。
フェリオスはティエラ様のことをどう思っているんだろう?
息子も娘も忘れてしまった母親を見て、どんな気持ちだったのか――想像するだけでつらい。彼がエイレネ姫を大切にしているのは、家族だと思えるのが妹だけだから。そういう事なんじゃないのか。
――でも、ティエラ様を責めることは出来ないよね……。
どうにかして彼女を救ってあげたい。
でも方法が分からず、途方に暮れている。そんな毎日だ。
「ねえねえ、ララちゃん。今日は秘密のお散歩してみない?」
本から顔を上げたティエラ様が、いたずらっ子のようにニィッと笑う。
「秘密のお散歩……。秘密なのですか?」
「そうよぉ。行ってみたいでしょ?」
子供のように目をキラキラさせるので、思わずこくんと頷いてしまった。ティエラ様はさらに嬉しそうにほほ笑み、私の手を引いてなぜか建物へ入っていく。
「え、ティエラ様? 外への散歩ではないのですか?」
「うふふっ。秘密の散歩はね、地下でするのよ!」
屋敷の奥に入って床にはめられた扉を開けると、なんと階段が出てきた。
「こんな所に階段があったなんて……」
「ね、面白いでしょ。でも誰にも内緒にしてね?」
「え、ええ。この先、危険はないでしょうか?」
「平気よ! わたし、もう何度も行ったことあるもの!」
少女のように元気よく言い、暗い石段を降りていく。何度も行ったというのは嘘ではなさそうだけど、暗い階段を降りるのはさすがに怖かった。
すべって転んだら痛いだろうな。
周りは石の壁だし。
階段の奥からゴウゴウと低い音が聞こえてくるのも怖くて、私はびくびくしながら細い通路を進んだ。
ひとが一人やっと通れるような道の先に、黒い水流が見える。
「まぁ……! 屋敷の下に、川があるのですか?」
「面白いでしょ! さぁ行きましょ」
「ま、待ってください……! 暗くて、怖い……っ」
「あら、ララちゃんて怖がりなのね。じゃあ手を繋ぎましょうよ」
私とティエラ様は手をつなぎながら、水路の端にある道をすすんだ。
フェリオスが今の私たちを見たらなんて言うかな。
想像すると面白い。
ニヤニヤしながら道を進むと、下流へ進むにつれて道が広くなっていく。
「向こうの方、明るいですね。出口かしら……」
「出口は大きなお庭に繋がっているのよ」
ティエラ様が言ったとおり、水路を抜けるとどこかの庭へ出た。しかし誰かが手入れをしている様子はなく、木の枝は伸び放題で足もとは雑草だらけ。
周囲の建物にも、人がいる気配はない。
「皇城のなかのはずなのに……。どうして誰もいないの?」
「ララちゃん、こっちよ。なかも面白いのよ!」
ティエラ様は迷いなく建物へ入っていく。彼女の後に続いて内部へ入ると、ほこりが積もった廊下にてんてんと足跡が残っていた。ティエラ様の足と同じ大きさで、彼女がひとりで何度か訪れたことを証明しているようだった。
「わたしのお気に入りはね、このお部屋よ。お姫さまみたいでしょ?」
「まぁ、家具はそのままにしてあるのですね。調度品まで……」
ティエラ様が案内してくれた部屋に入ると、『お姫さま』の言葉どおり女性らしい家具が揃っている。花柄の壁に猫足のソファ、鈴蘭の形をしたランプ。
少し掃除をしたのか、鏡はなにかで拭いた形跡があった。
「ティエラ様がお掃除なさったのですか?」
「そうよ! わたし時々ここで、お姫さまになりきって遊んでいるの」
――あなたは元からお姫さまだったのですよ。そして今は、お妃さまになったのでしょう。
言いたい言葉をぐっと飲み込み、力なく笑った。本当は泣いてしまいたい。
この宮がどんな場所か、分かってしまったから……。
ここは後宮だ。
主たちを失って用済みになった、空っぽの後宮。
何年か前には八人のお妃さまが過ごしていたはずだけど、七人は亡くなり、最後の一人は記憶を失った。いや、失ったというのは少し違うかもしれない。
恐らく自我を守るために、記憶を封じ込めているのだ。
そうしないと心が壊れそうだったから。
「どうしたの? ララちゃん、泣きそうになってる」
「……大丈夫です。せっかくですから、ここで遊んで行きましょうか?」
ティエラ様は「ええ!」と嬉しそうにうなずき、私たちはしばらくお姫様ごっこを楽しんだ。鳥の羽がついた豪華な扇を使ってみたり、レースの天蓋がついた寝台へ寝転がってみたり。
ティエラ様。私はあなたを助けて差し上げたいです。
あなたの苦しみを、取りのぞいてあげたい。
祈るような気持ちで過ごし、また二人で水路を通ってキオーン宮へと戻った。
「あっ、姫様! どこへ行ってらしたんですか? お客様がお見えですよ」
「お客様?」
宮へ戻った途端、カリエに呼ばれて応接間へ向かう。後ろからワクワクした様子のティエラ様までついて来てるけど、まあいいか。
「すみません、お待たせして――」
声を掛けると、ソファに座ったブロンドの女性が振り向いた。
蜂蜜の髪に、アメジストの瞳。
「あら、ケニーちゃんじゃない」
ティエラ様がのほほんとした声で言った。どうやら二人は知り合いらしい――が、今はそれどころではない。
ケニーシャ様は、なぜか泣いているのだ。
「ど、どうされました? なぜ泣いて……」
「わっ、わたくし、どうしていいか分からなくてっ……!」
声をかけると、ケニーシャ様はわっと泣いて顔を両手で覆った。ティエラ様が彼女のとなりに座り、心配そうに背中を撫でている。
両手から顔を上げたケニーシャ様は、ひどく小さな声で呟いた。
「皇太子殿下は――レクアム様は、お父上を殺すつもりなんです……!」
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