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29 砂漠の王
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ハートンとロイツ聖国の間には広大な森が広がっている。
その森を通る一本道に、長い、とてつもなく長い行列が出来ていた。
「お越しになったようですわね」
塔の最上階から望遠鏡をのぞき、独り言のようにつぶやくとフェリオスがかすかに頷いた。気のせいか渋面になっているような――いや、気のせいではない。
どうやら彼にとっては、嬉しい客人ではないようだ。
「イスハーク陛下のこと、お好きではありませんの?」
「女を大量に侍らせる男なんか、好きになれるわけがない」
「今はいいですけど、イスハーク陛下の前では機嫌良いお顔をなさってくださいね?」
「…………努力する」
あらら、大丈夫かしら。
レクアム様から歓待するように命じられたのに。
私とフェリオスの結婚は、相変わらず皇帝陛下に認められていない。フェリオスは一計を案じ、ひとまず皇太子であるレクアム様に後押しを頼んだようだが、その代わり大国ディナルの王を持て成すように言われたのだ。
西大陸を支配するディナルの王、イスハーク。
砂漠の国の王様らしく、よく日焼けした褐色の肌に琥珀の瞳を持つ野生的な人物である。
かの国は鉱石の産地として有名で、時にはイスハーク王みずから商人に混ざって旅をすることで有名だ。彼が鍛えた商人は世界情勢に詳しくなり、有能な諜報員として活躍するらしい。
今回はロイツへ行ったついでにハートンへ来ることになったようだ。
「でもどうしてハートンなのでしょうね。エンヴィードに来るのに、皇都ではないなんて……」
「イスハークと父上は犬猿の仲だ。下手をすれば戦争も起こりえる」
「……イスハーク陛下の前では、お父上の話はしないほうが良さそうですわね……」
急に危険な仕事に思えてきた。
結婚を認めてもらうために歓待するんです、なんて事情は隠しておいた方が良さそう。
行列の先端がハートンへ入ったので、私とフェリオスは塔を降りて城の門へ移動した。街道をラクダの行列が進んでくる。
「久しいなぁ、フェリオスよ! 相変わらず無愛想な顔だ!」
行列の中心付近で、日差しよけの布を頭にかぶった三十歳前後の男性が大きな声でさけんだ。
褐色の肌に琥珀の瞳――イスハーク王である。
「……ようこそ、イスハーク陛下。歓迎する」
「歓迎する顔ではないようだがな! ははは!」
「ちょっと、フェリオス様……! ようこそお越しくださいました、イスハーク様」
小声でフェリオスを叱りつつ、薄っぺらい笑顔で挨拶するとイスハークはラクダから飛び降りた。
そして、私の手を取り――。
「巫女姫! お会いしたかった……!」
何の遠慮もなく、手の甲にキスしてしまった。
隣から「ぶちっ」という、変な音が聞こえたような。
「勝手にララシーナに触れるな! 手の甲へのキスは、特別な女性に対してするものだろうが!」
「ケチくさいことを言うな。余は巫女姫に婚約してもらえなかったのだぞ。これぐらい大目に見ろ」
「見れるか!」
「ちょ、ちょっとお二人とも。とりあえず、城の中へ入りましょう? 熱いですし」
夏本番を迎えたせいで、頭の上がじりじりと焼けるように熱い。
日差しだけでもしんどいのに、暑苦しい戦いを始めないでほしいんですけど。
フェリオスは不機嫌さを隠しもせずに「どうぞ城へ」と棒読みで告げ、私の肩をぐいっと引っ張った。イスハークから隠すように、自分の後ろへ私を押し込めようとする。
おかげで黒い壁の向こうからイスハーク陛下を見る羽目になった。
「くっ、ははは! 妹ばかり可愛がっておったそなたが、そこまで変貌するとは! さすが巫女姫だ」
「申し訳ありません、イスハーク様。さあ、お城へどうぞ」
私の隣にフェリオス、その隣にイスハークが立ち、門から城までの道を歩く。
フェリオスが張り詰めた空気を撒き散らしているせいで、私の肌までピリピリして痛い。
「巫女姫、なぜフェリオスを選んだのだ? 余へ嫁げば何の苦労もさせなかったのに。皇帝ウラノスはガイア嫌いで有名だ、難儀しているのではないか?」
「フェリオス様と一緒なら、苦労してもいいのです。私はフェリオス様に付いていくと決めたのですから」
あ、急に空気が軽くなった。
フェリオスの機嫌が少しだけ回復したらしい。
にこやかに笑いながらも、内心では「イスハーク様に嫁ぐわけないでしょ」と愚痴りたい気分である。
ディナルの後宮はハーレムがあることで有名だ。
もし嫁いだとしたら、数十人の妃の一人として埋もれていただろう。
演奏家として生きた二度目の人生でも、イスハークの後宮には18人もの妃がいた。彼は踊り子や楽師を妃に迎えることもあったので、それを防ぐために結婚したのだ。
妃になってしまうと、後宮から出られなくなるから。
「イスハーク陛下がお越しだ。客間へ案内するように」
フェリオスが言うと、出迎えた使用人たちが客人を城のなかへと案内する。イスハークは旅に踊り娘まで同行させたらしく、色っぽい衣装をきたスタイル抜群の女性が何人も城の廊下を歩いていった。
ディナルはエンヴィードと違って年中暑いので、薄手の服が多く布の面積も小さい。膝の上まで見えるような短いスカートでも、ディナルの女性にとっては普通である。
文化の違いだから仕方ない――とは思うけど、フェリオスには彼女たちをあまり見ないでほしい。
私は心がせまいだろうか。
その森を通る一本道に、長い、とてつもなく長い行列が出来ていた。
「お越しになったようですわね」
塔の最上階から望遠鏡をのぞき、独り言のようにつぶやくとフェリオスがかすかに頷いた。気のせいか渋面になっているような――いや、気のせいではない。
どうやら彼にとっては、嬉しい客人ではないようだ。
「イスハーク陛下のこと、お好きではありませんの?」
「女を大量に侍らせる男なんか、好きになれるわけがない」
「今はいいですけど、イスハーク陛下の前では機嫌良いお顔をなさってくださいね?」
「…………努力する」
あらら、大丈夫かしら。
レクアム様から歓待するように命じられたのに。
私とフェリオスの結婚は、相変わらず皇帝陛下に認められていない。フェリオスは一計を案じ、ひとまず皇太子であるレクアム様に後押しを頼んだようだが、その代わり大国ディナルの王を持て成すように言われたのだ。
西大陸を支配するディナルの王、イスハーク。
砂漠の国の王様らしく、よく日焼けした褐色の肌に琥珀の瞳を持つ野生的な人物である。
かの国は鉱石の産地として有名で、時にはイスハーク王みずから商人に混ざって旅をすることで有名だ。彼が鍛えた商人は世界情勢に詳しくなり、有能な諜報員として活躍するらしい。
今回はロイツへ行ったついでにハートンへ来ることになったようだ。
「でもどうしてハートンなのでしょうね。エンヴィードに来るのに、皇都ではないなんて……」
「イスハークと父上は犬猿の仲だ。下手をすれば戦争も起こりえる」
「……イスハーク陛下の前では、お父上の話はしないほうが良さそうですわね……」
急に危険な仕事に思えてきた。
結婚を認めてもらうために歓待するんです、なんて事情は隠しておいた方が良さそう。
行列の先端がハートンへ入ったので、私とフェリオスは塔を降りて城の門へ移動した。街道をラクダの行列が進んでくる。
「久しいなぁ、フェリオスよ! 相変わらず無愛想な顔だ!」
行列の中心付近で、日差しよけの布を頭にかぶった三十歳前後の男性が大きな声でさけんだ。
褐色の肌に琥珀の瞳――イスハーク王である。
「……ようこそ、イスハーク陛下。歓迎する」
「歓迎する顔ではないようだがな! ははは!」
「ちょっと、フェリオス様……! ようこそお越しくださいました、イスハーク様」
小声でフェリオスを叱りつつ、薄っぺらい笑顔で挨拶するとイスハークはラクダから飛び降りた。
そして、私の手を取り――。
「巫女姫! お会いしたかった……!」
何の遠慮もなく、手の甲にキスしてしまった。
隣から「ぶちっ」という、変な音が聞こえたような。
「勝手にララシーナに触れるな! 手の甲へのキスは、特別な女性に対してするものだろうが!」
「ケチくさいことを言うな。余は巫女姫に婚約してもらえなかったのだぞ。これぐらい大目に見ろ」
「見れるか!」
「ちょ、ちょっとお二人とも。とりあえず、城の中へ入りましょう? 熱いですし」
夏本番を迎えたせいで、頭の上がじりじりと焼けるように熱い。
日差しだけでもしんどいのに、暑苦しい戦いを始めないでほしいんですけど。
フェリオスは不機嫌さを隠しもせずに「どうぞ城へ」と棒読みで告げ、私の肩をぐいっと引っ張った。イスハークから隠すように、自分の後ろへ私を押し込めようとする。
おかげで黒い壁の向こうからイスハーク陛下を見る羽目になった。
「くっ、ははは! 妹ばかり可愛がっておったそなたが、そこまで変貌するとは! さすが巫女姫だ」
「申し訳ありません、イスハーク様。さあ、お城へどうぞ」
私の隣にフェリオス、その隣にイスハークが立ち、門から城までの道を歩く。
フェリオスが張り詰めた空気を撒き散らしているせいで、私の肌までピリピリして痛い。
「巫女姫、なぜフェリオスを選んだのだ? 余へ嫁げば何の苦労もさせなかったのに。皇帝ウラノスはガイア嫌いで有名だ、難儀しているのではないか?」
「フェリオス様と一緒なら、苦労してもいいのです。私はフェリオス様に付いていくと決めたのですから」
あ、急に空気が軽くなった。
フェリオスの機嫌が少しだけ回復したらしい。
にこやかに笑いながらも、内心では「イスハーク様に嫁ぐわけないでしょ」と愚痴りたい気分である。
ディナルの後宮はハーレムがあることで有名だ。
もし嫁いだとしたら、数十人の妃の一人として埋もれていただろう。
演奏家として生きた二度目の人生でも、イスハークの後宮には18人もの妃がいた。彼は踊り子や楽師を妃に迎えることもあったので、それを防ぐために結婚したのだ。
妃になってしまうと、後宮から出られなくなるから。
「イスハーク陛下がお越しだ。客間へ案内するように」
フェリオスが言うと、出迎えた使用人たちが客人を城のなかへと案内する。イスハークは旅に踊り娘まで同行させたらしく、色っぽい衣装をきたスタイル抜群の女性が何人も城の廊下を歩いていった。
ディナルはエンヴィードと違って年中暑いので、薄手の服が多く布の面積も小さい。膝の上まで見えるような短いスカートでも、ディナルの女性にとっては普通である。
文化の違いだから仕方ない――とは思うけど、フェリオスには彼女たちをあまり見ないでほしい。
私は心がせまいだろうか。
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