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62 開戦

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 とうとう開戦することになり、シーナは自分の部屋でハンカチに刺繍をしていた。昔あった戦争のときも、貴婦人たちは刺繍したハンカチを大切なひとに贈ったらしい。それを剣の柄に結んで戦うのだそうだ。今ごろクレアとブリジットも家で父親のために刺繍しているのだろう。

 開戦が決まった直後、クレアとブリジットは大慌てでレクオンの古城へやって来た。青ざめた顔でどうしましょうと尋ねられても、シーナはお父様を信じてあげてとしか答えられなかった。

 半信半疑でクレアとブリジットは帰って行ったが、恐らく家でも父親に同じことを言われたはずだ。必ず戦争は止めてみせる。だから今は信じて待ってほしい――シーナもレクオンからそう言われた。だから今こうして刺繍をしている。まるで、本当に戦争に行く準備のように。

(ダゥゼン公爵を騙すには、嘘のことでも本当のように見せかけなきゃならないんだわ……)

 マシュウは首尾よくサントスの署名を手に入れたようだが、まだサントスを追い詰める用意は整っていない。時間を稼ぐ必要がある。

 でも開戦が決まった以上もたもたしてたら不審に思われるので、戦争に行く振りだけはしなければならないのだ。それも、なるべく真実味があったほうがいい。適当な装備ではどこから嘘が漏れるか分からないから、貴婦人たちは悲しくても刺繍するしかないのである。

 計画の全てを知る人間はひと握りなので、他の者は本当に戦争になってしまったと悲嘆に暮れていることだろう。でもだからこそサントスの目を欺くことができる。いわば国全体を巻き込んだ、大掛かりな詐欺なのだった。

 レクオンが古城を発つ日がやってきた。軍隊の駐屯地となるケリガンまでは軽装で移動し、到着後に武装するらしい。いつものように質素な服を身にまとった彼は、馬に乗る直前にシーナから刺繍されたハンカチを受けとった。

「ありがとう」

「絶っっ対に帰ってきてくださいね。帰って来なかったら、お姉さまに頼んで怒ってもらいますから」

「ははっ、それは怖いな。でもルターナが側にいるのかと思うと不思議な気分だ。彼女はきっと、全てを見届けてくれるだろう」

 レクオンは剣の柄にハンカチを結ぶとシーナの額に軽くキスをした。そして愛馬にまたがる。

「では行ってくる」

「ご武運を!」

 レクオンが騎士たちを連れて城を離れたあと、シーナはすぐに城壁へのぼった。ここからなら遠くまで見渡せる。古城の門が開くと、道の両脇につめかけた人々が悲痛な声を上げた。

「レクオン様、どうかご無事で……!」

「必ず帰って来てください!」

 泣きながら手をふる姿が見え、シーナは胸が苦しくなった。本当は彼らに何もかも話してしまいたい。この戦争はただの見せ掛けだ、心配しなくてもレクオンは帰ってくるのだと教えてあげたい。

(でも、今だけは我慢しなくちゃ……!)

 シーナは首元で揺れる指輪をぎゅっと握りながら夫を見送った。出征するレクオンを見送る行列は王都の端まで続いており、彼の人気振りが伝わってくるようだ。

「レクオン様は皆に愛されてるのね……」

「シーナのお陰でもあるのよ。何度もバザーを開いてあの人たちを助けたからこそ、レクオン様はますます人気者になったんでしょう」

 シーナの呟きにマリベルが答えた。本当なら嬉しい事だし、光栄だと思う。こぼれそうになった涙を拭き、マリベルの顔を見つめた。

「マリベルも気をつけて行ってきてね。必ず帰ってきて」

「任せてちょうだい。女の底力を見せてやるわよ」

 マリベルは得意げにウィンクして城壁を降りていった。今回の計画ではマリベルにも重要な役目があるのだ。シーナも行きたかったが、レクオンが不在となった以上は城を守らねばならないし、夫がいなくなった途端に妻まで城を出たら怪しまれる。だからシーナはアルマと一緒にレクオンの帰りを待つことにした。

 一日、二日と時は過ぎていった。一日がとても長く感じ、レクオンがいなくなった城は火が消えたようだ。シーナはひたすらレクオンの帰りを待った。
 そして彼が古城を出てから15日後、レクオン王子が姿をくらましたという一報を受けたのだった。
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