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30 お茶会3
しおりを挟む「でもシーナ様だけ、社交に出ることもなく隠れて育った……。どうしてかしらねぇ? 何か隠れていなきゃいけない理由でもあったのかしら。――たとえば、父親が卑しい身分の者だったとか」
「まぁシェリアンヌ様、それは言いすぎというものです。もし本当だとしたら大変だわ……。貴族とは呼べない女性が王子の妃になっているなんて」
「そうですよ。たとえ本当だとしても、シーナ様が気の毒です。卑しい男が父親だなんて、私だったら恥ずかしくて外に出られないわ。屋敷に篭ってしまうかも」
まるで打ち合わせてあったかのように、シェリアンヌと令嬢たちがぺらぺらと喋る。しかしシーナは不思議と冷静だった。レクオンがあらかじめ教えてくれたからだ。
ケルホーン伯爵家で働いていたメイドは解雇され、今では他の貴族の屋敷で仕事をしているらしい。シェリアンヌはそのメイドをつかまえて事情を聞き出したのだろう。
いつのまにかサロンはしんと静まり返り、誰もがシーナの言動に注目している。どう言い返すのか成り行きを見たいのだろう。シーナはドレスのスリットにつけたポケットからさりげなく扇を出し、膝の上に置いた。そうしてから堂々とシェリアンヌを見つめ返す。
「確かにわたしの父は貴族ではありません。でもわたしがフェラーズ男爵であり、ヴェンシュタイン公爵夫人であるのも揺るぎない事実。この場でもっとも身分が高いのは、わたしだと心得なさい」
「こっ、心得なさいですって!? なんて無礼なの! 王太子の婚約者たるわたくしに向かって……!」
「そうよ、口を慎みなさい!」
「シェリアンヌ様は由緒正しいご令嬢なのよ!」
シェリアンヌと彼女の取り巻きたちが顔を赤らめながら抗議すると、周囲からぽつりと声が聞こえた。
「でもただの婚約者でしょ。結婚してないんだから、シーナ様のほうが身分が上よ」
「誰!? いま言ったのは誰よ!?」
シェリアンヌが勢いよく椅子から立ち、声をしたほうを睨みつける。倒れた椅子はガタンと派手な音を立てたが、シェリアンヌの問いに答える声はない。さらに別の方からも声が聞こえてきた。
「しかもシーナ様は男爵だものね」
「女性で爵位を持ってるなんて、シーナ様ぐらいでしょ」
「男性でも爵位を持ってない人もいるしね。シーナ様に比べてシェリアンヌ様は、ただ貴族の娘というだけだし」
『令嬢』は何の力も持たないが、『夫人』は独立した貴族としてさまざまな権利や財力が約束される。貴族として生まれた者ならば誰でも知っていることだ。
ざわめきは次第に大きくなり、立ち上がったシェリアンヌへ向けられる視線は氷のように冷たい。彼女に対して敵意があるのは明らかだった。サロンへ集められた令嬢たちは、一枚岩という訳ではないらしい。
シーナは周りのテーブルの様子を伺いつつ、じっとシェリアンヌの動向を見守った。やがて――
「いい気になるんじゃないわよ! 卑しい男の娘が!」
シェリアンヌがグレッグと同じ言葉をさけび、手前に置かれたティーカップをつかむ。
(ああ、来たわ)
シーナは膝の上で広げてあった扇を手に取った。レクオンが用意してくれたもので、水が染み込みにくい特殊な染料が塗ってある。
予想通りシェリアンヌはティーカップの中身を掛けようとする動作をしたが、素早く扇を振るって紅茶をはじき返した。
グレッグの鞭に比べたら何てことはないし、レクオンだったら止まって見えたことだろう。赤い液体はテーブルを汚し、シェリアンヌと取り巻きたちのドレスに染みをつくった。
「きゃあっ、熱い!」
「何するのよ!?」
「何って……。自分の身を守るのは当然でしょう?」
天使のようににっこりと微笑みながらいうと、シェリアンヌと取り巻きの令嬢たちは絶句してぽかんと口をあけ、そのまま動かなくなってしまった。どこかから、誰かが「すごい……」と呟く声がきこえる。
「……っ、ドレスが汚れたから、わたくしは失礼させていただくわ!」
激怒したいのを何とかこらえているのか、シェリアンヌの顔は赤を通りこして黒に近かった。彼女はずかずかと大またでサロンを横切り、出口へ向かう。取り巻きたちもシェリアンヌと一緒に退場してしまい、急に場の空気が緩んだようだった。
シーナはサロンの中央で恭しくカーテシーをし、残された令嬢たちに詫びた。
「お騒がせして申し訳ありません。お茶会という場を台無しにしてしまった責任を取り、わたしも退室いたします」
顔を上げた途端、割れるような拍手がシーナを包み込んだ。令嬢たちは椅子から立ち上がり、頬を紅潮させて必死に手を叩いている。サロンを歩いている間も拍手はおさまらず、シーナはぼそりと呟いた。
「……どうして拍手されてるのかしら」
「感謝してるんでしょう。シェリアンヌ様にいじめられた令嬢は、数え切れないほどいるみたいだからね。シーナがやり返したのを見てスカッとしたんでしょうよ」
「そうなの……」
シェリアンヌのいじめなんて可愛いものだ。確かにお茶がかかったら熱いだろうけど、鞭と違って肉が裂けることもないのに。
貴族というのは生まれた瞬間から使用人に傅かれ、自分の世話すら侍女まかせで育つ。屋敷のなかで蝶よ花よと大切にされてきたからプライドが高く、虐げられることに免疫がないのだ。しかし外の世界をほとんど知らないシーナには令嬢たちの事情など知る由もなく、感謝されるのが不思議でたまらなかった。
古城にもどるとレクオンがエントランスで待ち構えていて、城内に足を踏み入れた途端ものすごい勢いで抱きつかれる。
「た、ただいま戻り……」
「大丈夫だったか? 何もされてないか?」
「今日のシーナはとても格好よかったんですよ。まるで勇ましい騎士のようでした」
マリベルは晩餐のときまでシーナの武勇伝をレクオンに聞かせ、恥ずかしくて顔を上げられなかった。しかもレクオンが我が事のように喜ぶので、シェリアンヌのお茶会よりもつらい心地がした。
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