虐げられた令嬢は、姉の代わりに王子へ嫁ぐ――たとえお飾りの妃だとしても

千堂みくま

文字の大きさ
上 下
8 / 71

8 義理の弟

しおりを挟む
 冬がやってきた。今年の冬は厳しい寒さになるらしい。シーナは裏庭に出て、薪割りをしている老人に声をかけた。

「ティム爺さん、手伝うわ。たくさん薪が必要なんでしょ?」

「おう、その通りだけどな……。おまえさん、日に当たると奥様に叱られるんだろう? 手にまめでも出来たら、お嬢さまの代わりが出来なくなるんじゃねぇのかい?」

 渋るティムを見ぬ振りして、シーナは薪割り台に向かった。手には分厚い手袋をはめている。

「日陰で作業すれば大丈夫よ。手袋すれば、まめだって出来にくいでしょ。もしまめができたら、乗馬の訓練をしたんですって殿下に言っておくわ」

 斧を振るって、パカパカと薪を割っていく。ティムはシーナの横で苦笑いをした。

「まったく、お嬢さまのことになると急に逞しくなるもんだなぁ。おまえさんが薪割りしに来たのも、お嬢さまのためかい?」

「そうよ。今年の冬は寒いみたいだから、ルターナ様の部屋の薪が切れないようにしたいの」

 気温が下がって以来、ルターナはますます体調を崩しやすくなった。冷たくて乾いた空気が肺に入ると咳がとまらなくなり、薬が手放せない。

 マリベルはルターナに付きっ切りだから、姉の部屋の薪はシーナが用意する必要がある。グレッグは自分と妻子ばかり優先するので、ルターナの部屋にはあまり薪が運ばれてこなかった。

「ティム爺さんだけで、屋敷内の薪を全部用意するのは無理でしょ。わたし、冬の間はずっと薪割り手伝うからね」

「そりゃ有難いけどな……。でも無理は禁物だぞ?」

「うん、分かってる」

 しばらく薪割りを続けていたが、何時間も同じ動作をしていたティムは「腰がいてぇ」と呟いて休憩しに行った。ひとりきりになった裏庭で、ひたすら斧を振るう。ぱかん、ぱかんという手ごたえが意外と楽しい。

「へぇ、頑張るじゃないか。顔しか役に立たない娘が」

「……っ、ジェレミー様」

 急にうしろから声をかけられたので、斧を取り落とすところだった。ジェレミーはグレッグとイザベルの息子だが、ときおりこうしてシーナに嫌がらせしにやって来る。薪割りという危険な仕事をしているのに、気配を消して忍びよってくるなんて悪趣味だ。

「なにかご用ですか」

「おまえに話す必要なんかない。黙って手を動かせよ」

 ジェレミーはシーナの一つ下で、14歳である。母アグネスが死んだ直後にイザベルが後妻として迎えられたが、その時にはすでにジェレミーを身篭っていた。グレッグは本当にアグネスに対して何の罪悪感も持っていなかったのだと、証明されたようなものだ。

(何かしら……見られていると、ぞわぞわする)

 ジェレミーはグレッグと容姿がよく似ている。そのせいか、彼に見られると肌が泡立つような感覚があった。気持ちが悪いのであまり見ないでほしいが、それを口にしたらさらにジロジロ見てきそうだ。性格まで残忍で見栄っ張りなグレッグそっくりなので、シーナはジェレミーのことが嫌いだった。

 ティムが割った薪を納屋のなかに運んでいると、ジェレミーは戸口に立ってシーナの動きを見ている。舐めるような視線が気持ち悪い。主棟で使う薪をすべて運び終わって納屋を出ようとしたとき、いきなり手首を掴まれた。

「っ、何を……」

「大きな声を出すな。騒いだら父上に言いつけるぞ」

 ジェレミーがシーナの両手を壁に押し付け、顔を近づけてくる。シーナは必死になって体をよじった。

「やめてください! ジェレミー様には婚約者がいらっしゃるんでしょう!? こんな事して――」

「何が悪いっていうんだ? おまえと僕は血が繋がってないんだ、子供が出来たところで別に構わないだろ。卑しい血の娘でも見た目だけは美しいからな……僕が最初の男になってやるよ」

 冗談ではない。シーナは全身に鳥肌を立てながら抵抗した。体をひねると何とか両手の拘束は解けたが、逃げ出そうと背中を向けた途端、ジェレミーが背後から抱きついてくる。悪寒に耐えられなくなり、大声で叫んだ。

「いやぁっ! 誰か! 誰か助けてぇっ!」

「ジェレミー! そこにいるの? もうすぐ家庭教師が来る時間よ!」

 床に倒れこんだシーナとジェレミーを見下ろすようにして、イザベルが戸口に立っている。怒りのためか彼女のこめかみには青筋が浮かんでいた。

「母上……ちぇっ、いいところだったのに。じゃあな、シーナ」

 ジェレミーが去ってほっと安堵したが、次の瞬間、凄まじい痛みが頬を襲った。イザベルがシーナの頬を打ったのだ。

「この売女がっ……! やっぱり血は争えないわね、おまえは淫乱な母親と同じだわ。ジェレミーを誘惑して、伯爵夫人におさまろうって魂胆なんでしょう。そうはさせないわよ!」

「違います! ジェレミー様のほうが、わたしに近づいてきて……――っ!」

 また頬を叩かれて、シーナは地面にどっと倒れこんだ。唇が切れたのか、血の味がする。

「金輪際、ジェレミーには近づくんじゃないわよ! 次に近づいたら、グレッグ様に言って鞭で打ってもらうからね!」

 イザベルは肩をいからせて納屋を出て行った。持っていた布巾を冷たい水に浸して叩かれた頬にあてると、ずきりと痛みが走る。

「いたっ……。どうしよう、腫れてきたわ」

 本当は割った薪をルターナの部屋に持っていきたかったのに、この顔で運んだら姉はきっと何があったのかと訊いてくるだろう。具合の悪いルターナに心配をかけたくない。

 薪を腕に抱えたままうろうろしていると、ティムが戻ってきた。腫れたシーナの顔をみて目を丸くし、よく効く軟膏を持ってきてくれる。切れてしまったシーナの唇に薬をぬりながら、ティムは苦い顔でつぶやいた。

「そうか、坊ちゃまと奥さまが……。薪はワシが運んでおくから、おまえさんはもう屋敷に入ったほうがいい」

「ありがとう、ティム爺さん。助かるわ。今日のことは誰にも言わないでね?」

「なぁシーナ。薪割りはもうやめたら……」

「やめないわ。ルターナ様の部屋が寒くなっちゃうもの。今度からは爺さんと一緒に休憩するように気をつけるから、大丈夫よ」

「……はぁ、そういうと思ったよ。しょうがねぇ娘だなぁ」

 ティムが薪を運んでくれる間、シーナは斧を振るい続けた。ジェレミーは今ごろ家庭教師の授業を受けているはずだから、今日はもうここに来ないだろう。今のうちにたくさん薪を用意しなくては。
 ティムが塗ってくれた軟膏はよく効き、頬の腫れは少しずつおさまっていった。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

悪女と言われた令嬢は隣国の王妃の座をお金で買う!

naturalsoft
恋愛
隣国のエスタナ帝国では七人の妃を娶る習わしがあった。日月火水木金土の曜日を司る七人の妃を選び、日曜が最上の正室であり月→土の順にランクが下がる。 これは過去に毎日誰の妃の下に向かうのか、熾烈な後宮争いがあり、多くの妃や子供が陰謀により亡くなった事で制定された制度であった。無論、その日に妃の下に向かうかどうかは皇帝が決めるが、溺愛している妃がいても、その曜日以外は訪れる事が禁じられていた。 そして今回、隣の国から妃として連れてこられた一人の悪女によって物語が始まる── ※キャライラストは専用ソフトを使った自作です。 ※地図は専用ソフトを使い自作です。 ※背景素材は一部有料版の素材を使わせて頂いております。転載禁止

誰もがその聖女はニセモノだと気づいたが、これでも本人はうまく騙せているつもり。

幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・クズ聖女・ざまぁ系・溺愛系・ハピエン】 グルーバー公爵家のリーアンナは王太子の元婚約者。 「元」というのは、いきなり「聖女」が現れて王太子の婚約者が変更になったからだ。 リーアンナは絶望したけれど、しかしすぐに受け入れた。 気になる男性が現れたので。 そんなリーアンナが慎ましやかな日々を送っていたある日、リーアンナの気になる男性が王宮で刺されてしまう。 命は取り留めたものの、どうやらこの傷害事件には「聖女」が関わっているもよう。 できるだけ「聖女」とは関わりたくなかったリーアンナだったが、刺された彼が心配で居ても立っても居られない。 リーアンナは、これまで隠していた能力を使って事件を明らかにしていく。 しかし、事件に首を突っ込んだリーアンナは、事件解決のために幼馴染の公爵令息にむりやり婚約を結ばされてしまい――? クズ聖女を書きたくて、こんな話になりました(笑) いろいろゆるゆるかとは思いますが、よろしくお願いいたします! 他サイト様にも投稿しています。

引きこもり少女、御子になる~お世話係は過保護な王子様~

浅海 景
恋愛
オッドアイで生まれた透花は家族から厄介者扱いをされて引きこもりの生活を送っていた。ある日、双子の姉に突き飛ばされて頭を強打するが、目を覚ましたのは見覚えのない場所だった。ハウゼンヒルト神聖国の王子であるフィルから、世界を救う御子(みこ)だと告げられた透花は自分には無理だと否定するが、御子であるかどうかを判断するために教育を受けることに。 御子至上主義なフィルは透花を大切にしてくれるが、自分が御子だと信じていない透花はフィルの優しさは一時的なものだと自分に言い聞かせる。 「きっといつかはこの人もまた自分に嫌悪し離れていくのだから」 自己肯定感ゼロの少女が過保護な王子や人との関わりによって、徐々に自分を取り戻す物語。

純白の牢獄

ゆる
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」 華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。 王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。 そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。 レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。 「お願いだ……戻ってきてくれ……」 王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。 「もう遅いわ」 愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。 裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。 これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

いつか彼女を手に入れる日まで

月山 歩
恋愛
伯爵令嬢の私は、婚約者の邸に馬車で向かっている途中で、馬車が転倒する事故に遭い、治療院に運ばれる。医師に良くなったとしても、足を引きずるようになると言われてしまい、傷物になったからと、格下の私は一方的に婚約破棄される。私はこの先誰かと結婚できるのだろうか?

処理中です...