虐げられた令嬢は、姉の代わりに王子へ嫁ぐ――たとえお飾りの妃だとしても

千堂みくま

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7 綺麗なんかじゃない

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 屋敷に戻ったシーナは、ルターナの部屋で詳細なスケッチを描いた。目にした薔薇はすべてルターナに伝えてあげたかった。

「今日は王都にある薔薇園に行きました。色とりどりの薔薇がたくさん咲いてましたよ」

「シーナ、本当に絵が上手くなったわね。よく描けてるわ……薔薇園の様子が伝わってくる」

 ルターナはスケッチの一枚一枚を手に取り、じっくりと観察している。ベッドに座る姉の横で、シーナは迷っていた。歌のことをいうべきだろうか。恥ずかしい失敗だけれど、なんでも報告するという約束だったし……。

「なぁに、シーナ。もじもじして、何か言いたいことがあるんでしょう?」

 こんな時、いつだってルターナは目ざとくシーナの様子に気が付くのだ。それが有難いときもあれば、今のように恥ずかしいときもある。

「あのう……。ごめんなさい、お姉さま。殿下のまえで変な歌をうたってしまいました」

「変な歌? 歌ぐらい殿下は気にしないでしょう」

「そうなんですけど。洗濯場で他のメイドに教えてもらった歌だから、ちょっと恥ずかしくて……。ただ殿下は全く気にする様子はなかったです」

「ふふっ、そうでしょうね。あの方は些細なことは気にしないわよ。そういうところは王族らしいと思うわ……。う、ゴホッ、ゴホッ」

「お姉さま、また熱があがってきたんじゃ……もう休んでください」

 ルターナの額にそっと手を当てると、驚くほど熱かった。シーナは急いで布巾を水にひたし、軽く絞ってから姉の額にのせる。体調が悪いのに、無理してシーナに付き合ってくれていたのだ。
 横になった姉は苦しそうにふうっと息を吐いた。

「情けないわね、すぐに熱を出すんだから……。ねぇシーナ、またこの部屋に来てちょうだいね? あなたと一緒に読みたい本があるの。殿下がくださった、だまし絵の面白い本よ」

「分かりました、きっと来ます。だから今はしっかり休んでください」

「約束よ? 待ってるから……」

 ルターナが不安そうに手を握るので、シーナはしばらく姉のそばで様子を見ていた。痩せた手を包むように撫でていると安心したのか、ようやく寝息が聞こえ始める。シーナは音を立てないように静かに部屋を出た。

 ルターナはいつも本心から「また来てね」と言ってくれる。それが嬉しくて、義父母に会うのが怖くても主棟に来ることができる。

 屋敷の裏手にある使用人の部屋に戻ったシーナは、おろしていた髪をぎゅっと一つにくくった。長い髪はメイドとして働くには邪魔になるが、グレッグは髪が長いほうが令嬢らしいといって切らしてくれない。短いほうが手入れも楽なのに。

(でも、髪が短くても……手入れする気はないのだけど)

 シーナの部屋にはひとつも鏡がない。手に入れようと思えば誰かが古いものを譲ってくれるだろうが、自分から鏡を置くのをやめてしまった。見たくないのだ――ルターナと同じ顔で、ぼろぼろのお仕着せを身にまとった自分を。

 ルターナとしてレクオンに会うのは、他のメイドからすれば素晴らしい褒美のように見えるらしい。実際、年の近いメイドからは「アンタばっかりお洒落できていいわね」だの、「今日は仕事をサボってどこへ行ったの?」だの言われたりする。

 シーナも最初はそう思っていた。申し訳ないと思いつつも、綺麗なドレスを着てピカピカの靴をはき、格好いい王子さまと出かけるのは楽しかった。

 でも屋敷に戻ってきてメイドの服に着替えると、『これが本当のおまえだ』と現実を突きつけられてつらいのだ。出かけている間が楽しければ楽しいほど、天国から地獄に突き落とされたようで惨めでたまらない。

 ルターナとレクオンの婚約が決まってから数ヶ月は姉のためだと耐えていたが、ある日とうとう義父に泣きついた。こんな事はもう出来ない、お願いだから身代わりは終わりにしてほしいと。
 しかしシーナの願いをきいたグレッグは激怒し、引き出しから鞭を取り出して容赦なくそれを振るった。

――『卑しい娘め! おまえが生きているのは何のためだ? 顔しか取り得のない役立たずが、私に意見できると思うな! 今度やめたいなんて言ってみろ、ルターナの薬は全部とめるからな!』

 泣きながらごめんなさいと謝罪するシーナの背中に、グレッグはなんども鞭を振るった。二度目に当たった時に服が破けて、むき出しになった背中に振り下ろされた鞭は皮膚を剥ぎ取って床を血だらけにした。

 あまりの痛みに気を失ってしまい、次に目が覚めたのは寝台の上だった。そのときの傷は痕が残って、今でも触れるとでこぼこしている。

(考えすぎては駄目よ。どうにもならない事より、今できる事をしなくちゃ……。お姉さまとレクオン様が結婚するまで、わたしはただ自分の役目を果たせばいい)

 シーナは自分の部屋を出て、洗濯場へと向かった。廊下を歩いていると、年の近いメイドたちがシーナを見てひそひそと何か言っている。

「またお嬢さまの代わりをしてきたのね。いいご身分よねぇ……。顔が同じだからって、出かけて美味しいものを食べられるんだもの」

「あら、可哀相なことをいったら駄目よ。シーナはお嬢さまのためなら何でもするんだから」

「ご立派なことね。聖母リリアのように、身も心もお綺麗なんでしょうよ」

「お綺麗なシーナ、洗い物がたまってるわよ。早く洗濯場に行きなさいね。サボった分、しっかり働くのよ」

 通りすがりに、わざと聞かせるように囁く声。シーナはぎゅっと手を握り、平静な顔のまま彼女たちの横を通りすぎた。

(違う。わたしの心は綺麗なんかじゃない……)

 本当に清い人間なら、グレッグに泣きついたりはしないはずだ。自分が惨めだとも思わず、粛々と役割をこなすはずだ。

(考えないのよ。自分にできることを、一生懸命やるしかないんだから……。わたしはお姉さまの役に立てたらそれでいいの)

 洗濯場に着いたシーナは、いつも通りシャボンを手にとってリネンのシーツを洗い始めた。

「シャボンを泡立てて、何もかも洗っちゃおう……汚れも嫌なことも、ぜんぶ流してしまおう……」

 手が動いている間は余計なことを考えずにすむ。日が落ちて暗くなるまで、シーナは手を動かし続けた。
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