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5 王子との面会2
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「暗い顔をして、どうしたんだ? 何か悩みごとでもあるのか」
「……いいえ。少し考えごとをしていたのです」
馬車のなかで、レクオンが心配そうにシーナを見ている。この三年間、なんど彼にすべてを打ち明けようと思ったことだろう。
わたしはルターナではなく、妹のシーナなんです。姉は体が弱いから、義父に脅されて彼女の代わりをしているんです。どうか、姉とわたしを助けてください――。
レクオンの優しい顔をみるたびにすがり付きたいと思った。でももし王子が激昂して、伯爵家のもの全員を裁くと言い出したら……。今の弱りきったルターナなら、牢に入れられただけで喘息の発作を起こしかねない。
(駄目だわ……。やっぱり何も言えない……)
レクオンに全てを話すのはあまりにも危険な賭けだ。仮に彼が許したとしても、事情を知った国王や重臣たちはケルホーン伯爵家に罰を与えようとするだろう。爵位を失って平民になった場合、シーナとマリベルだけでルターナを守りきれるだろうか?
シーナはグレッグから給金を貰ったことはないが、それでも寝食が確保できるだけ有難いことなのだ。平民として暮らした場合、自分ひとりを養うだけで精一杯になるのは目に見えている。食事をきりつめて、やっとルターナの薬を買えるぐらいだろう。もしそんな事になったら――三人でじわじわと死にむかうだけだ。
暗い思考に陥りかけたとき、馬車がとまった。レクオンが先にドアを開けて、シーナに向かって手を伸ばしている。促されるまま彼の手を取ったが、レクオンの目がシーナの指先を見たので慌てて手を引っ込めた。
シーナの手は貴族の令嬢とはいいがたいほど荒れて乾いている。義父母にはさんざん「手入れしろ」と叱られたが、そもそも手入れに使う香油は希少でシーナの元に回ってこない。髪を手入れする分しかないので、手が荒れたと気づいてもどうする事もできなかった。
「以前、たくさんの薔薇が見たいと言っていただろう? 今日はきみの望みを叶えてやりたい」
「まあ……! なんて綺麗なの」
レクオンは王都内にある薔薇園に連れて来てくれたらしい。開いた門の向こうに、赤やピンク、黄や橙の薔薇が群れるように咲いている。風にのって薔薇のいい香りが漂ってきた。
(この景色を、お姉さまにも見せてあげたい。帰ったらスケッチしなくちゃ)
ルターナとシーナは入れ替わりながら王子と会ってきたので、その日にどんな事があったのか詳細に伝えるようにしている。次に会ったときにレクオンが違和感を覚えないよう、二人で情報を刷り合わせてきたのだ。
ただ外出してどんな場所に行ったかは言葉では伝えにくいので、シーナはいつもスケッチしてルターナに見せるようにしていた。
斜め前に立ったレクオンが、シーナを見ながら腕をすっと差し出す。恋人のように腕をからめようというのだろう。手を繋ぐのかと心配していたシーナはほっとして、彼の腕を取った。
ルターナは食が細いので、彼女の手も乾燥して爪はひび割れてしまった。シーナの手も同じ状態だから困ることはないけれど、レクオンが何も言わずに腕を差し出してくれるのは有難い。
(殿下は本当にお優しい方だわ。お姉さまの好きなものも良くご存知だし……)
ルターナは特に薔薇の花を好み、部屋に飾って香りを楽しんでいる。外を出歩けない彼女は、部屋に花を飾ることで外の空気を感じているのだ。
王子の腕をとって歩きながら、ゆっくりと薔薇を観賞する。
「この薔薇はニュードーンですね。薄いピンクが可愛らしいです。あっ、グラナダだわ。グラデーションが綺麗……」
「詳しいな。薔薇を好きというだけのことはある」
「はい、本当に好きなんです」
ルターナが薔薇を好むので、シーナも品種や名前を覚えるように努力した。でも姉に似せるためというよりは、ルターナを喜ばせたくて覚えたのだ。ルターナは中心から端に向かって色が変わる薔薇が好きで、一輪ざしにして寝台の横に置いたりしている。
「きみは不思議な人だな……。この薔薇園はケルホーン伯爵家の屋敷からそう遠くはないし、なんどか来たこともあるんだろう? でも初めて来たかのように振る舞っている。俺に気を使ってるのか?」
レクオンが意外なことをいうので、シーナはきょとんとして彼の顔を見つめた。よく考えればレクオンの疑問はもっともだ。薔薇が好きだと公言するぐらいなら、自分で薔薇園を訪ねるのは普通のことである。――健康な令嬢であれば。
「気を使っているわけではありません。花はいつでも同じ顔を見せるわけではないでしょう? わたしはその変化を楽しむのも好きなのです」
本当のことをいえば、ルターナもシーナも屋敷から出ることが出来ないだけ。ルターナは屋敷のなかを歩いただけで息が切れるし、彼女と同じ顔をもつシーナはみすぼらしい格好で王都をうろつくわけにはいかない。この薔薇園も来るのは初めてだけれど、新鮮な気持ちで庭園を散策できるのは幸運だった。
「きみの素直で真っすぐなところが、俺はとても好きだ。ルターナと婚約して本当に良かった」
王子は嬉しそうにいって、シーナを小高い丘の上に連れて来た。薔薇を眺めるためなのか、木製のベンチとテーブルがいくつか置かれている。
「ここで少し休憩しよう。軽食を用意してきたんだ」
「ありがとうございます」
「……いいえ。少し考えごとをしていたのです」
馬車のなかで、レクオンが心配そうにシーナを見ている。この三年間、なんど彼にすべてを打ち明けようと思ったことだろう。
わたしはルターナではなく、妹のシーナなんです。姉は体が弱いから、義父に脅されて彼女の代わりをしているんです。どうか、姉とわたしを助けてください――。
レクオンの優しい顔をみるたびにすがり付きたいと思った。でももし王子が激昂して、伯爵家のもの全員を裁くと言い出したら……。今の弱りきったルターナなら、牢に入れられただけで喘息の発作を起こしかねない。
(駄目だわ……。やっぱり何も言えない……)
レクオンに全てを話すのはあまりにも危険な賭けだ。仮に彼が許したとしても、事情を知った国王や重臣たちはケルホーン伯爵家に罰を与えようとするだろう。爵位を失って平民になった場合、シーナとマリベルだけでルターナを守りきれるだろうか?
シーナはグレッグから給金を貰ったことはないが、それでも寝食が確保できるだけ有難いことなのだ。平民として暮らした場合、自分ひとりを養うだけで精一杯になるのは目に見えている。食事をきりつめて、やっとルターナの薬を買えるぐらいだろう。もしそんな事になったら――三人でじわじわと死にむかうだけだ。
暗い思考に陥りかけたとき、馬車がとまった。レクオンが先にドアを開けて、シーナに向かって手を伸ばしている。促されるまま彼の手を取ったが、レクオンの目がシーナの指先を見たので慌てて手を引っ込めた。
シーナの手は貴族の令嬢とはいいがたいほど荒れて乾いている。義父母にはさんざん「手入れしろ」と叱られたが、そもそも手入れに使う香油は希少でシーナの元に回ってこない。髪を手入れする分しかないので、手が荒れたと気づいてもどうする事もできなかった。
「以前、たくさんの薔薇が見たいと言っていただろう? 今日はきみの望みを叶えてやりたい」
「まあ……! なんて綺麗なの」
レクオンは王都内にある薔薇園に連れて来てくれたらしい。開いた門の向こうに、赤やピンク、黄や橙の薔薇が群れるように咲いている。風にのって薔薇のいい香りが漂ってきた。
(この景色を、お姉さまにも見せてあげたい。帰ったらスケッチしなくちゃ)
ルターナとシーナは入れ替わりながら王子と会ってきたので、その日にどんな事があったのか詳細に伝えるようにしている。次に会ったときにレクオンが違和感を覚えないよう、二人で情報を刷り合わせてきたのだ。
ただ外出してどんな場所に行ったかは言葉では伝えにくいので、シーナはいつもスケッチしてルターナに見せるようにしていた。
斜め前に立ったレクオンが、シーナを見ながら腕をすっと差し出す。恋人のように腕をからめようというのだろう。手を繋ぐのかと心配していたシーナはほっとして、彼の腕を取った。
ルターナは食が細いので、彼女の手も乾燥して爪はひび割れてしまった。シーナの手も同じ状態だから困ることはないけれど、レクオンが何も言わずに腕を差し出してくれるのは有難い。
(殿下は本当にお優しい方だわ。お姉さまの好きなものも良くご存知だし……)
ルターナは特に薔薇の花を好み、部屋に飾って香りを楽しんでいる。外を出歩けない彼女は、部屋に花を飾ることで外の空気を感じているのだ。
王子の腕をとって歩きながら、ゆっくりと薔薇を観賞する。
「この薔薇はニュードーンですね。薄いピンクが可愛らしいです。あっ、グラナダだわ。グラデーションが綺麗……」
「詳しいな。薔薇を好きというだけのことはある」
「はい、本当に好きなんです」
ルターナが薔薇を好むので、シーナも品種や名前を覚えるように努力した。でも姉に似せるためというよりは、ルターナを喜ばせたくて覚えたのだ。ルターナは中心から端に向かって色が変わる薔薇が好きで、一輪ざしにして寝台の横に置いたりしている。
「きみは不思議な人だな……。この薔薇園はケルホーン伯爵家の屋敷からそう遠くはないし、なんどか来たこともあるんだろう? でも初めて来たかのように振る舞っている。俺に気を使ってるのか?」
レクオンが意外なことをいうので、シーナはきょとんとして彼の顔を見つめた。よく考えればレクオンの疑問はもっともだ。薔薇が好きだと公言するぐらいなら、自分で薔薇園を訪ねるのは普通のことである。――健康な令嬢であれば。
「気を使っているわけではありません。花はいつでも同じ顔を見せるわけではないでしょう? わたしはその変化を楽しむのも好きなのです」
本当のことをいえば、ルターナもシーナも屋敷から出ることが出来ないだけ。ルターナは屋敷のなかを歩いただけで息が切れるし、彼女と同じ顔をもつシーナはみすぼらしい格好で王都をうろつくわけにはいかない。この薔薇園も来るのは初めてだけれど、新鮮な気持ちで庭園を散策できるのは幸運だった。
「きみの素直で真っすぐなところが、俺はとても好きだ。ルターナと婚約して本当に良かった」
王子は嬉しそうにいって、シーナを小高い丘の上に連れて来た。薔薇を眺めるためなのか、木製のベンチとテーブルがいくつか置かれている。
「ここで少し休憩しよう。軽食を用意してきたんだ」
「ありがとうございます」
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