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4 王子との面会1

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 レクオン王子と面会する日、シーナは昨日マリベルに用意してもらったドレスに着替えた。貴族の令嬢らしい、薄い水色の清楚なドレスだ。歩きやすいようにスカートの丈が短く、動くたびに足首のあたりで裾がひらひらと揺れる。

「シーナ、この靴を履いてごらん。ドレスに合うはずだよ」

「ありがとう、マリベル」

 マリベルが持ってきてくれたのは、キャメルブラウンの光沢が美しい革靴だ。留め金のところに小さなパールが付いている。グレッグはルターナがレクオン王子の婚約者になった途端、娘のために散財するようになった。ルターナのためというより、自分の見栄のために。

 レクオンに会う以前はルターナも古い服ばかり着ていたが、王子の婚約者がボロを身につけていてはいかにもみすぼらしい。世間から「ケルホーン伯爵は金に困っているようだ」と評価を受けるのは必至である。

 見栄っ張りなグレッグは王子との面会が決まるたびにドレスを新調し、王都のタウンハウスまで増築してしまった。といっても家人が暮らす主棟の部分には手を入れず、周囲の庭を広げただけだ。それに合わせて庭師を増員したので、タウンハウスは常に色とりどりの花で囲まれるようになった。外からはさぞかし羽振りのいい貴族に見えることだろう。

 ケルホーンは豊かな土地ではないし、領民から得られる税金も大した額ではない。ルターナもシーナも、グレッグがぎりぎりの状態で金を回していると知っている。
 ディレイムでは17歳になると成人だと認められ結婚できるので、グレッグはそれを待つつもりなのだ。ルターナがレクオンの妃になれば、ケルホーンに金と人が入ってくると企んでいるのだろう。

「薄い水色とキャメルブラウンの組み合わせは可愛いわね。とても似合っているわよ」

 ベッドに座ったルターナが見守るなか、シーナは身支度を整えた。昨日たっぷりと香油をぬっておいた髪はしっとり潤い、普段はメイドとして働く娘には見えない。でもなんどレクオン王子と逢瀬を重ねても、シーナの緊張が解けることはなかった。鏡に映ったルターナそっくりの顔は、緊張で硬くこわばっている。

「緊張してるの? 大丈夫よ、シーナは私にそっくりなんだから。自信もってレクオン様にお会いしてきて」

「は、はい……。お姉さまらしく振る舞ってきます」

「この子が自信を持つのは、かなり時間がかかるでしょうねぇ。世間の目から隠れるようにして育ってきましたし……。でも今日は貴族の令嬢として、堂々としてるんだよ。すぐに謝ってもいけないし、簡単に頭を下げないこと」

「うん……。頑張ってきます」

 反射的にさげそうになった頭をぐっと戻し、代わりのようにカーテシーをした。自然なカーテシーを身につけるまで何年もかかったが、今では完璧な礼を披露できる。ルターナとマリベルは「とても上手よ」とにこやかに笑い、シーナを送り出してくれた。

 廊下に出ると執事が待っており、彼の案内で義父が待つ部屋へ通される。グレッグは部屋に入ってきたシーナを頭からつま先まで舐めるようにジロジロと検分し、不備がないかどうか確かめた。

「髪と手が荒れているのが気になるな。おまえ、ルターナの代わりをしているという自覚が足りないんじゃないか? 少しは自分で手入れをしておけ」

「……すみません」

「王子の前ではその辛気くさい顔を改めろよ。もっと貴族の令嬢らしく、華やかに笑うんだ。少しでも王子に勘付かれたら、むちで打ってやるからな」

 グレッグは机の引き出しを開けると、黒くしなやかな鞭を取り出して見せ付けるように動かした。シーナは硬い表情のままぎゅっとドレスのスカートを掴む。あの鞭がどれだけ痛いのか、シーナはよく知っている。前に背中を打たれたときには皮がべろりと剥けて、痛くて立つことも出来なかった。

「分かっています。レクオン様には勘付かれることのないよう、細心の注意を払います」

「よろしい。ダートン、さっさと連れて行け」

 執事はドアを開けてシーナに出るように促し、彼に付いて主棟の廊下を進んで行く。何回かルターナとして外出したので、主棟の中は迷わずに歩けるようになった。館のなかで最も広い廊下を直進すればエントランスだ。

 正面玄関を出ると、ちょうど王子が乗った馬車が近づいてくるところだった。従者が馬車のドアを開けるタイミングに合わせて、淑やかにカーテシーをする。俯いた視線の先に、レクオン王子の長い脚が見えた。

「ようこそお越しくださいました、レクオン殿下」

「久しいな、ルターナ。ひと月ぶりだ。体調はいいのか?」

「ええ、もうすっかり」

 頭ひとつ高いところにレクオンの顔がある。いつもと同じように、黒い詰襟の軍服で来たようだ。飾りといえば銀色のボタンぐらいのもので、王子としては質素である。レクオンはあまり着飾るのが好きではないらしい。

 姉とレクオン王子が婚約してから三年たち、ふたりは17歳になった。14歳の王子はまだあどけない少年のような一面もあったが、今では見上げるような体躯になり、目を合わせようとすると首が痛いほどだ。レクオンの艶やかな黒い髪の向こうに澄んだ秋の空が広がっている。柘榴石ガーネットのような暗紅色の瞳は、シーナと目が合うと優しげにほほ笑んだ。

 レクオンは凛々しく端正な顔立ちで、容貌に合わせたように頑健な肉体を持つ。彼が逞しく成長する一方で、ルターナは年を経るごとに体調を崩しやすくなった。

 ひと月前はドレスに着替えて歩くことも出来たが、最近ではすぐに疲れて息が切れる。まるで生まれ持った精力を使い果たしたようで、シーナは不安で仕方がなかった。先月レクオンに会ったときもルターナは貧血を起こし、途中で面会を切り上げたのだ。

(今後ずっとお姉さまの代わりをすることになったら、どうしよう……)

 姉の役に立てるのなら何だってする覚悟だ。でも王家を三年も騙しているという事実はシーナの心を重く蝕んでいる。このままでいいわけがない――かといって今のシーナにはどうする事も出来ず、義父に命じられるまま姉の代わりを続けている。
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