【完結】男装令嬢、深い事情により夜だけ王弟殿下の恋人を演じさせられる

千堂みくま

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11 ……お兄ちゃん?

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 じきに冬が終わるという頃、ルルシェたちは生まれた。とても寒い日でお産が大変だったそうだ。お湯を用意するのも生まれた赤子を温めるのも手間取り、屋敷の中は大騒ぎだったらしい。

 陣痛は前日の夕方に始まって翌日の昼までかかり、ようやく小さな一人目が出てきたが泣き声はなかった。二人目の女児は大きく、元気な産声を上げた。

 お産の話を聞いたときから申し訳なく思っていた。もしかして、ルルシェのせいで兄は大きくなれなかったのではないか。母のお腹の中で、僕が兄を圧迫していたのではないかと。

 スタレートンの町はずれには小さな丘がある。町を見下ろせるような小高い丘だ。頂上には樹齢三百年を超える大楠おおくすがはえ、その根元によく見ないと気づかないぐらい小さな墓標が埋められている。

 ルルシェは手に持ったジンチョウゲの枝を小さな墓にそっと置いた。秘密に埋葬された兄だから、墓標にはただ『アリエル』という名しか刻まれていない。伯爵家の子息でもない、どこの誰かも分からない、アリエルという名を持つ誰かの墓。

 ジンチョウゲの花言葉は“永遠”――あなたをずっと忘れないという気持ちをこめて、毎年伯爵家の庭からひと枝切ってそなえている。

「ごめんね、お兄ちゃん……。あなたの分まで頑張るから許してね……」

 兄への祈りを捧げる。先に父と母が来たのか、きれいな菜の花が墓の周りを明るくするように飾られていた。でもヒナギクはまだない。数年前から誰かが毎年ヒナギクを置いていくのだが、今年はまだ来ていないようだ。

(ヒナギクの花言葉は何だったっけ。確か、美人とか希望とか、そんな言葉だったように思うけど……)

 墓参りを終えたルルシェは歩いて丘をくだった。目立たないように馬はかなり離れたところに繋いで来たのだ。兄は確かにここにいる。でもそれを領民に知られるわけにはいかなくて、兄に申し訳なくて……悲しい。



 美しい少年の姿が遠ざかって見えなくなった頃、ザサッという音とともに大楠の枝から一人の青年が飛び降りた。青年は身軽な動きで地面に着地し、ルルシェが見ていた墓標を見つめる。黒い髪に暗紅色の瞳――イグニスであった。

「……お兄ちゃん?」

 イグニスは手に持ったヒナギクを墓に供え、首をかしげる。伯爵家の双子は男女で生まれたと聞いたが、本当は両方とも男児だったのだろうか。それとも――。

 墓標に刻まれた『アリエル』という文字を見る。ルルシェから聞いたときから不思議だった。ブロンテ王国では男女の区別がはっきりしていて、男児には男らしい名を、女児には女らしい名をつける風習がある。貴族では特にそれが顕著だ。

 なのに伯爵家の双子は、どちらも性別のはっきりしない名を付けられている。まるでどちらが男なのか女なのか、うやむやにするように。

「まさか……」

 イグニスは墓標を見つめたまま、側近の少年が時おり見せる違和感を精査していく。

 ルルシェは決して人前では着がえない。湯浴みの時でさえ自分で湯を運び、後始末も一人でしているようだ。潔癖症というには行き過ぎているのではないか。

 筋肉が付きにくい体、ドレスを着たときの自然な胸の膨らみ。そして先日の夜会では、ニェーバという男と変な会話をしている。イグニスは読唇術を身につけているから、二人の会話を読み取ることが出来たのだ。

 体の角度によっては口元が見えなかったが、ニェーバは確かに男装だの女装だの、妙な言葉を口走っていた。そして、ごめんなさいという謝罪も。

(――そういう事だったのか)

 イグニスは無意識に笑っていた。なんて滑稽なんだ、九年も気づかずに過ごしてきたなんて。

 顔を上げて大楠の立派な枝に目を走らせる。ルルシェが丘を登って来るのが見えて何となく木に隠れてしまったが、あいつの独り言を聞けたのは僥倖ぎょうこうだった。

 丘を降り、しばらく歩いて川沿いの木に繋いでいたクロウに跨る。軽く合図をするとクロウは公爵の城に向けて走り出した。軽快な走りだ。春というにはまだ寒すぎるが、気分が高揚しているせいか冷たい風が心地よかった。



「じゃあ、殿下のところに戻りますね。父さまも母さまも体に気をつけて」

 ささやかな誕生会を終えた昼下がり、ルルシェは伯爵家の門を出ようとしていた。母が心配そうな顔でぎゅうっと抱きしめてくる。

「あなたこそ気をつけるのよ。ああ、こんなに綺麗な顔をしているのに、男だらけの場所で殿下に仕えているなんて……不安でたまらないわ」

「大丈夫だよ、母さま。プディングを作ってくれてありがとう。すごく美味しかった」

「ルルシェ、殿下に失礼のないようにな」

「はい。早めに結婚するようにせっついておきますね」

「お、おまえ……普段からそんな失礼なことをしてるのでは無いだろうね?」

「ふふ、まさか。父さまは心配性だなぁ」

 普段はもっと失礼なことを言ってるけどね――ルルシェは心中で忍び笑いをする。

「夏になったら“定期便”を送るからな。何かあったらグレンに伝えなさい」

「分かりました。それじゃ、お元気で」

 父は季節ごとに伯爵家から荷物を送ってくれる。母お手製の衣服だったり新鮮な果物だったりするのだが、荷物を運ぶ執事グレンに合言葉を伝えて異変がないか知らせているのだった。

 馬屋番からシャテーニュを受けとり、さっと跨る。見送りに出てきてくれた使用人たちに手を振りながら門を出た。道を進んでいると「若さま~」と農道や麦畑から声が聞こえてくる。ルルシェは惜しみなく笑顔を振りまいた。

 スタレートンが好きだ。領民たちは真面目で働き者が多いし、ルルシェたち伯爵家の者を慕ってくれている。だから早くこの地に戻ってきたい。

(そのためにも、今年こそ殿下に結婚してもらわなきゃ)

 日が沈んだ頃、ようやくイグニスの城に着いた。彼はなぜか上機嫌で、ルルシェをいたわって早めに休むように言ってくれた。なんだか不気味だ。でも誕生日だからと、気を使ってくれているのかもしれない。
 ルルシェはありがたく厚意を受けとり、夕食のあとは即座に自室に引っ込んだのだった。
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