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4 おまえも来るだろう?(当然のように)
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噂ではイグニスが王都にいる間に女嫌いになる事件があったらしいのだが、彼の重臣たちは女性の話になると口が重くなって何も教えてくれない。
婚約者がいまだに決まっていない件に関しても王子をせっつく事もなく、誰もが「いつか何とかなるだろう」とのんびりしている。
でもそれでは困るのだ。王子の執務を手伝うことはルルシェの経験や判断力を養うことに繋がっているが、いつかはスタレートンへ戻らなければならないのに。
(あと何年、我慢すればいいんだろ……。殿下の馬鹿力を受け止めるのいい加減しんどいんですけど)
王子に隠れてため息をつき、彼と一緒に朝餐室へ入る。室内にはすでにイグニスの配下たちが揃っていた。王子が城主の席につき、ルルシェはテーブルの角をはさんで彼の隣に座る。
朝食をとりながら一日の予定を話し合うのも、八年繰り返してきた日課であった。
「ネヴィル川の堤防の工事は無事に終わりました。ただ、壊れた橋の修復は済んでいません。現地で工事の監督をしている者は、五年前も橋が壊れているので別の場所に橋を架けたらどうかと申しております」
「いちど現地へ行ってみるか……。おまえも来るだろう?」
河川の管理をしている者の報告を受け、王子はルルシェの方を見ながら当然のように言う。側近という立場のルルシェは大人しく「はい」と頷いた。壊れた橋はここからかなり離れているし、今日は夜まで外で過ごすことになりそうだ。
朝食のあと、バルコニーに出て空を見上げる。天候を予測するためだ。もし途中で雨が降ってずぶ濡れにでもなったら「着替えろ」と言われてしまうので、ルルシェにとっては天気も死活問題である。
「山に笠雲がかかっています。雨が降るかもしれませんし、厚めのマントを羽織って行きましょう」
「分かった。おまえには俺の予備のマントを貸してやる」
「ありが……んぶっ」
いきなり頭にばさっとマントを掛けられた。この無遠慮なふるまい――王子はルルシェのことを弟か何かだと思っているのだろうか。光栄というより迷惑でしかない。
王子のこういう気安い態度は、皆が「二人はいつも一緒が当たり前」だと思い込む原因になるし、ますます領地に戻る日が遠のいていくように感じる。
ルルシェはマントを羽織って馬屋へ向かった。イグニスの馬は青鹿毛という真っ黒な色をしているが、ルルシェの馬は栗毛でそのまま栗のような色である。
「今日もよろしくね、シャテーニュ」
「おまえの命名センスは何とかならないのか? 栗という名はどうかと思う」
「……そういう殿下の馬だって、クロウという名じゃありませんか」
クロウはカラス。黒いからって馬なのにカラスという意味はどうだろう。
イグニスは聞こえない振りをして馬に跨り、「行くぞ」と言って駆け出した。ルルシェもシャテーニュに跨り、彼の後に続いて城門をくぐる。
昼食は現地でとることにして、荷物は護身用の剣だけという軽装だ。移動距離が長いから、馬を疲れさせないようにしなければならない。
王子と二人で馬に乗って駆けていると、街道の端で若い娘たちが嬉しそうに手を振っているのが見えた。仕事用の爽やかな笑顔で手を振り返す。「きゃああっ」とさらに興奮してぶんぶん手を振ってくる。
(僕ってモテるんだな。ちょっと複雑な気分……)
「あまり笑顔を振りまくな。付いて来たらどうするんだ」
「殿下が無愛想な分、僕が頑張ってるんですよ。女性にはモテた方が得でしょ?」
生涯の伴侶を選ぶのであれば選択肢は多いほうがいい。ルルシェは結婚を諦めているので、王子のためを思って伝えた言葉だった。
イグニスは無表情だと目付きが鋭くてコワイ人のように見えるので、側近の自分が笑顔でいれば「王子って意外と怖くないのかも」という印象を与えられるのでは――という打算のほほえみである。
つまり営業スマイルである。
近年では昔のように、初対面のまま政略結婚する人は減ってきた。親が不仲だと子供に悪影響だという声が増え、令嬢たちに婚前の清く正しいお付き合いをさせる人も多い。
それだけに、イグニスの無愛想は不利なのだ。彼が持つカードは王族、公爵、そして見た目が麗しいという三点のみ。いくら格好よくても女性に冷たい男はモテない。令嬢たちはそんなに甘くない。
人の多い都市部を抜けた途端、イグニスはクロウに合図をして速度を上げた。いつも通りだ。ルルシェもシャテーニュに合図を送り、イグニスのあとに続く。道は石畳から土に変わり、馬の蹄があたるドドッドドッという音が周囲に響いた。
シャテーニュはとても賢い馬なので、ルルシェが細かく合図をしなくてもクロウの後を追ってくれる。しかも決して追い抜いたりはしない。主人はイグニスだという認識をちゃんと持っているのだ。本当に可愛い馬である。
道が上り坂になり、目的地が近づいてきた。馬たちのスピードが緩まったところで川沿いの道に入り、人だかりが出来ている場所に進む。ネヴィル川の工事をしている現場だ。
婚約者がいまだに決まっていない件に関しても王子をせっつく事もなく、誰もが「いつか何とかなるだろう」とのんびりしている。
でもそれでは困るのだ。王子の執務を手伝うことはルルシェの経験や判断力を養うことに繋がっているが、いつかはスタレートンへ戻らなければならないのに。
(あと何年、我慢すればいいんだろ……。殿下の馬鹿力を受け止めるのいい加減しんどいんですけど)
王子に隠れてため息をつき、彼と一緒に朝餐室へ入る。室内にはすでにイグニスの配下たちが揃っていた。王子が城主の席につき、ルルシェはテーブルの角をはさんで彼の隣に座る。
朝食をとりながら一日の予定を話し合うのも、八年繰り返してきた日課であった。
「ネヴィル川の堤防の工事は無事に終わりました。ただ、壊れた橋の修復は済んでいません。現地で工事の監督をしている者は、五年前も橋が壊れているので別の場所に橋を架けたらどうかと申しております」
「いちど現地へ行ってみるか……。おまえも来るだろう?」
河川の管理をしている者の報告を受け、王子はルルシェの方を見ながら当然のように言う。側近という立場のルルシェは大人しく「はい」と頷いた。壊れた橋はここからかなり離れているし、今日は夜まで外で過ごすことになりそうだ。
朝食のあと、バルコニーに出て空を見上げる。天候を予測するためだ。もし途中で雨が降ってずぶ濡れにでもなったら「着替えろ」と言われてしまうので、ルルシェにとっては天気も死活問題である。
「山に笠雲がかかっています。雨が降るかもしれませんし、厚めのマントを羽織って行きましょう」
「分かった。おまえには俺の予備のマントを貸してやる」
「ありが……んぶっ」
いきなり頭にばさっとマントを掛けられた。この無遠慮なふるまい――王子はルルシェのことを弟か何かだと思っているのだろうか。光栄というより迷惑でしかない。
王子のこういう気安い態度は、皆が「二人はいつも一緒が当たり前」だと思い込む原因になるし、ますます領地に戻る日が遠のいていくように感じる。
ルルシェはマントを羽織って馬屋へ向かった。イグニスの馬は青鹿毛という真っ黒な色をしているが、ルルシェの馬は栗毛でそのまま栗のような色である。
「今日もよろしくね、シャテーニュ」
「おまえの命名センスは何とかならないのか? 栗という名はどうかと思う」
「……そういう殿下の馬だって、クロウという名じゃありませんか」
クロウはカラス。黒いからって馬なのにカラスという意味はどうだろう。
イグニスは聞こえない振りをして馬に跨り、「行くぞ」と言って駆け出した。ルルシェもシャテーニュに跨り、彼の後に続いて城門をくぐる。
昼食は現地でとることにして、荷物は護身用の剣だけという軽装だ。移動距離が長いから、馬を疲れさせないようにしなければならない。
王子と二人で馬に乗って駆けていると、街道の端で若い娘たちが嬉しそうに手を振っているのが見えた。仕事用の爽やかな笑顔で手を振り返す。「きゃああっ」とさらに興奮してぶんぶん手を振ってくる。
(僕ってモテるんだな。ちょっと複雑な気分……)
「あまり笑顔を振りまくな。付いて来たらどうするんだ」
「殿下が無愛想な分、僕が頑張ってるんですよ。女性にはモテた方が得でしょ?」
生涯の伴侶を選ぶのであれば選択肢は多いほうがいい。ルルシェは結婚を諦めているので、王子のためを思って伝えた言葉だった。
イグニスは無表情だと目付きが鋭くてコワイ人のように見えるので、側近の自分が笑顔でいれば「王子って意外と怖くないのかも」という印象を与えられるのでは――という打算のほほえみである。
つまり営業スマイルである。
近年では昔のように、初対面のまま政略結婚する人は減ってきた。親が不仲だと子供に悪影響だという声が増え、令嬢たちに婚前の清く正しいお付き合いをさせる人も多い。
それだけに、イグニスの無愛想は不利なのだ。彼が持つカードは王族、公爵、そして見た目が麗しいという三点のみ。いくら格好よくても女性に冷たい男はモテない。令嬢たちはそんなに甘くない。
人の多い都市部を抜けた途端、イグニスはクロウに合図をして速度を上げた。いつも通りだ。ルルシェもシャテーニュに合図を送り、イグニスのあとに続く。道は石畳から土に変わり、馬の蹄があたるドドッドドッという音が周囲に響いた。
シャテーニュはとても賢い馬なので、ルルシェが細かく合図をしなくてもクロウの後を追ってくれる。しかも決して追い抜いたりはしない。主人はイグニスだという認識をちゃんと持っているのだ。本当に可愛い馬である。
道が上り坂になり、目的地が近づいてきた。馬たちのスピードが緩まったところで川沿いの道に入り、人だかりが出来ている場所に進む。ネヴィル川の工事をしている現場だ。
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