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「あれ、ほのか今日休みじゃなかった?」
“おがた”の扉を開けた杏輔は、いらっしゃいませの声が予想外なものだったことに驚いた。
月末にテストがあるから、と暫くバイトを休むと聞いていたのだ。
実際昨日は金曜日だというのに櫂斗が忙しなく一人で女将さんとホールを回していたのを見ていたし。
「ああ、櫂斗が死んでるから」
ほのかが安定の無表情で答えた。
そのまま杏輔と朔と純也といういつもの三人をテーブル席へと案内し、コースターとおしぼりを手渡した。
「どした?」と杏輔が訊くと、
「熱出して寝込んでるらしい。週末だから女将さん一人だと回り切らないから、ヘルプに来たんだよ」とほのかが「いつものでいい?」と注文を取りながら話す。
「熱? 風邪ひいたのか?」
朔が心配そうに問う。
「ほら、裏の恵比寿様で“十日えびす”昨日からやってるでしょ? あたしと櫂斗で行ってきたのよ。その時雨に降られちゃったんだけど、そのまま櫂斗仕事させちゃったから」
女将さんが申し訳なさそうにカウンターからフォローした。
「あー変な雨だったよなー。あれ、山の方では雪だったらしいけど、この辺気温高いから」
杏輔もたまたま営業先で商談中にその雨にあったのだが、相手先を出る頃には止んでいたのを思い出した。
「こんな季節にゲリラ豪雨かよ、って俺もびっくりした。ま、俺は車ん中だったけど」
朔も昨日の天気を思い出し。
「土日は混むでしょ? だから昨日のうちに行っておきたかったのね。櫂斗が学校から帰ってくるのが早かったから、一緒に行ったんだけど。あたし、仕事もあるからお着物で」
商売繁盛の祈願だからやっぱり仕事用の正装で、と和服でお参りに行っていたのだが、急な雨に足止めされて。
近くのコンビニに櫂斗が走って傘を買ってきてくれたのだが、状況が状況なだけに一本しか残っていなかったらしく。
「かーちゃんお着物濡らすわけいかねーから、俺、走って帰るし。ゆっくり帰って来なよ」
なんて、かっこつけて雨の中を櫂斗が一人先に帰宅したのだ。
走っていただけに寒さを感じなかったらしく、テキトーに着替えてすぐに店に出たせいで、夜中に熱を出したようで。
「朝から病院行って薬飲んで寝かせてるけど、さすがに仕事させるわけにはいかないし。でも今日土曜日だし、無理言って二人に出て貰ったのよ」
女将さんからバイトラインに“どっちか、お願いできないかな”と入ったが、事情を知った朋樹が即“俺が行きます”と返事して。でも、朋樹一人だと心許ないから、ほのかが“自分も出ます”と。
「そっかー。そりゃ心配だな。一人で大丈夫なのか?」
杏輔の中の櫂斗はまだまだ小さな子供だから。
「一応、解熱剤で熱は微熱まで下がったから。インフルとかじゃなくて、ただの流感でしょうってお医者様が言ってらしたし、この土日で落ち着くと思うわ」
その言葉には、“女将さん”としての毅然とした声色と“母”としての心苦しさが混じっていて。
本来ならば傍についていてやりたいけれど、櫂斗の”かーちゃんは女将さんなんだから仕事してなよ“というオトナなセリフに甘えたのだ。高校生の男の子なんて、もう半分大人だから。
「大丈夫じゃないのはあいつだけどな」
真冬でも、仕事終わりの一杯目だけは生ビールで、というこの三人にジョッキを持ってきたほのかがぽつりと言う。
「あー……」
視線の先には、まるで心ここにあらず、な朋樹がいた。
「女将さん、一人でいいってつもりだったんだろうけど、芳賀が使い物にならないのは想定内だったからさ」
週末を朋樹一人では、というのもあるけれど、櫂斗を心配している状態でまともに使えるわけがない、という予想は、ほのかとしては“自分も出ます”という決断に秒もかからなかった。
食器破壊こそやっていないけれど、金本のおばちゃんという朋樹の大ファンをもってして「トモちゃん、大丈夫? 私が頼んだの、お湯割りだよ? まあ水割りでもいいけどさ」と苦笑される状況になっていて。
本日のおすすめ“ぶりの照り焼き”なんて超絶簡単なメニューを“ぶりです”の一言で済ませているし。
いい寒ブリが手に入ったからなので、あながち間違ってはいないわけだが。
「あれ、大丈夫?」
朔が苦笑すると、
「キれないように頑張る」ほのかがスンっと答えた。
「それな」
いつも以上の朋樹のポンコツぶりにはもう笑うしかない。
「ま、とりあえず、純くんはおススメのぶり照り食っとく?」
「食う食う。あでも、刺身も食べたい」
「いいよお。純くんにもしっかりアブラ乗せてやんないとね」杏輔が言うと。
「キョウさんも朔も、アブラ乗せすぎだから。そろそろダイエット必要なんじゃないの?」
「言ったな、このヤロウ。俺はちゃんとジム行ってるもんね。ダイエット必要なのはキョウさん」
朔と純也のやり取りに、
「もっと言ってやって。キョウさん、最近下腹ヤバイから」とほのかも乗っかる。
「ええー。みんなしておっさんイジメんなよお。寒いから脂肪蓄えないとじじーはヤバイんだよお」
「蓄えすぎだっつの。次から焼酎持ってくるからね」
ほのかが冷ややかな目でビールの注文をストップさせた。
“おがた”の扉を開けた杏輔は、いらっしゃいませの声が予想外なものだったことに驚いた。
月末にテストがあるから、と暫くバイトを休むと聞いていたのだ。
実際昨日は金曜日だというのに櫂斗が忙しなく一人で女将さんとホールを回していたのを見ていたし。
「ああ、櫂斗が死んでるから」
ほのかが安定の無表情で答えた。
そのまま杏輔と朔と純也といういつもの三人をテーブル席へと案内し、コースターとおしぼりを手渡した。
「どした?」と杏輔が訊くと、
「熱出して寝込んでるらしい。週末だから女将さん一人だと回り切らないから、ヘルプに来たんだよ」とほのかが「いつものでいい?」と注文を取りながら話す。
「熱? 風邪ひいたのか?」
朔が心配そうに問う。
「ほら、裏の恵比寿様で“十日えびす”昨日からやってるでしょ? あたしと櫂斗で行ってきたのよ。その時雨に降られちゃったんだけど、そのまま櫂斗仕事させちゃったから」
女将さんが申し訳なさそうにカウンターからフォローした。
「あー変な雨だったよなー。あれ、山の方では雪だったらしいけど、この辺気温高いから」
杏輔もたまたま営業先で商談中にその雨にあったのだが、相手先を出る頃には止んでいたのを思い出した。
「こんな季節にゲリラ豪雨かよ、って俺もびっくりした。ま、俺は車ん中だったけど」
朔も昨日の天気を思い出し。
「土日は混むでしょ? だから昨日のうちに行っておきたかったのね。櫂斗が学校から帰ってくるのが早かったから、一緒に行ったんだけど。あたし、仕事もあるからお着物で」
商売繁盛の祈願だからやっぱり仕事用の正装で、と和服でお参りに行っていたのだが、急な雨に足止めされて。
近くのコンビニに櫂斗が走って傘を買ってきてくれたのだが、状況が状況なだけに一本しか残っていなかったらしく。
「かーちゃんお着物濡らすわけいかねーから、俺、走って帰るし。ゆっくり帰って来なよ」
なんて、かっこつけて雨の中を櫂斗が一人先に帰宅したのだ。
走っていただけに寒さを感じなかったらしく、テキトーに着替えてすぐに店に出たせいで、夜中に熱を出したようで。
「朝から病院行って薬飲んで寝かせてるけど、さすがに仕事させるわけにはいかないし。でも今日土曜日だし、無理言って二人に出て貰ったのよ」
女将さんからバイトラインに“どっちか、お願いできないかな”と入ったが、事情を知った朋樹が即“俺が行きます”と返事して。でも、朋樹一人だと心許ないから、ほのかが“自分も出ます”と。
「そっかー。そりゃ心配だな。一人で大丈夫なのか?」
杏輔の中の櫂斗はまだまだ小さな子供だから。
「一応、解熱剤で熱は微熱まで下がったから。インフルとかじゃなくて、ただの流感でしょうってお医者様が言ってらしたし、この土日で落ち着くと思うわ」
その言葉には、“女将さん”としての毅然とした声色と“母”としての心苦しさが混じっていて。
本来ならば傍についていてやりたいけれど、櫂斗の”かーちゃんは女将さんなんだから仕事してなよ“というオトナなセリフに甘えたのだ。高校生の男の子なんて、もう半分大人だから。
「大丈夫じゃないのはあいつだけどな」
真冬でも、仕事終わりの一杯目だけは生ビールで、というこの三人にジョッキを持ってきたほのかがぽつりと言う。
「あー……」
視線の先には、まるで心ここにあらず、な朋樹がいた。
「女将さん、一人でいいってつもりだったんだろうけど、芳賀が使い物にならないのは想定内だったからさ」
週末を朋樹一人では、というのもあるけれど、櫂斗を心配している状態でまともに使えるわけがない、という予想は、ほのかとしては“自分も出ます”という決断に秒もかからなかった。
食器破壊こそやっていないけれど、金本のおばちゃんという朋樹の大ファンをもってして「トモちゃん、大丈夫? 私が頼んだの、お湯割りだよ? まあ水割りでもいいけどさ」と苦笑される状況になっていて。
本日のおすすめ“ぶりの照り焼き”なんて超絶簡単なメニューを“ぶりです”の一言で済ませているし。
いい寒ブリが手に入ったからなので、あながち間違ってはいないわけだが。
「あれ、大丈夫?」
朔が苦笑すると、
「キれないように頑張る」ほのかがスンっと答えた。
「それな」
いつも以上の朋樹のポンコツぶりにはもう笑うしかない。
「ま、とりあえず、純くんはおススメのぶり照り食っとく?」
「食う食う。あでも、刺身も食べたい」
「いいよお。純くんにもしっかりアブラ乗せてやんないとね」杏輔が言うと。
「キョウさんも朔も、アブラ乗せすぎだから。そろそろダイエット必要なんじゃないの?」
「言ったな、このヤロウ。俺はちゃんとジム行ってるもんね。ダイエット必要なのはキョウさん」
朔と純也のやり取りに、
「もっと言ってやって。キョウさん、最近下腹ヤバイから」とほのかも乗っかる。
「ええー。みんなしておっさんイジメんなよお。寒いから脂肪蓄えないとじじーはヤバイんだよお」
「蓄えすぎだっつの。次から焼酎持ってくるからね」
ほのかが冷ややかな目でビールの注文をストップさせた。
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