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「きゃあー、どおしよお、信じらんなーい」
 およそ、その人らしからぬセリフに、杏輔が吹き出す。
 カウンターの中、女将さんが珍しくテンパりながら言うから、ほのかも目を向けた。

「かーちゃん、どした?」
「……失敗した」
「まじか?」
 女将さんと“失敗”という単語の組み合わせは、本当に珍しいから。
 息子である櫂斗でさえ、変顔になる。

 どちらかというとまったりな水曜日。
 いつものように常連がカウンターで数人談笑していて、テーブルは満席。座敷はさっき一組帰ったトコで、朋樹が片付けをしている、という状況下。
 杏輔の“女将さんの卵焼き”の注文に応えるべく、カウンターでフライパンと菜箸を操っていた女将さんが、よりにもよって“卵焼き”を失敗した、という。

「多分ー、味付けはいいの。ただ、綺麗な形になんなかった。こんなの初めて」
 見るも無残に、分裂している卵焼きを、とりあえずこれ以上火を通したくないからと皿に盛る。

「いいよー俺、見た目気にしないから」
 杏輔がくすくす笑ってフォローする。
「女将さんの卵焼き、美味しいのはわかってるし」
「うそ。パパの方がいいって思ってるくせに」
「うわー、まだそれ引きずってるんだ?」
 先日のドタバタで食べた大将の卵焼きに“旨い”と舌鼓を打った事実。どうやらそれは、女将さんの中では大事件だったらしく。

「パパに焼き直してもらおっか?」
 刺身を切って盛り付けている大将に声を掛けようとするから、慌てて
「いい、いい! 大丈夫だってば」と制して。
「全然いいから、気にしないで。ほら、それ頂戴」
「でもー、これはお金貰える状態じゃない」
「大丈夫。だったら割引してくれればいいから」
 杏輔が体を乗り出して、無理矢理皿を奪い取る。

 ほのかが、
「食べてから、気に入らなかったら、でいいんじゃない? お皿に載ってる分にはそこまでひどくないし」
とどちらにもフォローして。
「たまにはあるよ、こんな日も。だから、これはこれでレアだから、俺は嬉しいし」
 むー、と女将さんがムクれているのを、杏輔が笑顔で宥める。

「はい、じゃあコレ。おまけ」
 櫂斗が冷蔵庫からイカの塩辛が入ったお通しの小皿を持ってきた。
 す、とそれを杏輔の手元に置いて。

「かーちゃんはもう、ドンマイ。キョウさんはこいつでノーカン。ほのかは仕事に戻る」
「櫂ちゃん……おまえ、カッコ良すぎ」
「ありがと。キョウさん、証拠隠滅でとっととその失敗作食べちゃってね」

 さらっと采配して、櫂斗が再びテーブル客の追加オーダー対応に戻る。
 どんな状況にも冷静さを忘れないそんな櫂斗に、ほのかは内心拍手を送り、全くこの状況に気付いてもいない朋樹に、逆に“あっぱれ”の拍手。
 このカップルの組み合わせの妙があまりにもおかしくて、杏輔に目で合図だけすると仕事に戻った。
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