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 ほのかは既に、三回、遠藤からのラインを無視している。
 “待ってるから、来て”の文字を、仕事の隙間でチラ見して、本日四回目の無視を心に決めた。

 ごめん、も、言い訳も、ない。
 あの日のことは完全に“無かったこと”になっているらしく、遠藤は当たり前のようにほのかに誘い文句だけのラインを送ってくる。
 しかも、あんなにも待っていた頃は週に一度あるかないか、の誘いだったにも関わらず、無視を決めてからは毎日で。

 そんなにヤりたいのかよ。
 と、座敷卓の後片付けをしながら内心鼻で笑う。
 今現在、遠藤は女将さんを口説いているわけだが。

 卓の上の食器を総てトレイに載せ、ダスターで拭いた後、除菌スプレー。
 そんな作業をして、立ち上がると店の扉が開いて来客。
「いらっしゃいませ」
 と目を向けると、杏輔だった。

 あの日以来、の来店。
 でも杏輔も通常運転の笑顔から表情一つ変えることはないし、当たり前だけれどほのかも他の客に対する顔と同じ表情――いつもの無表情で「カウンター、どうぞ」と声をかけた。

「あら、キョウさん一人なのね」
 女将さんのセリフに「女将さん争奪戦には、一人で参戦しないとね」と笑って見せる。
「あたしじゃなくて、櫂斗でしょ、キョウさんの狙いは」
「と見せかけて、実は大将だったりしてね」
 一夜干しのホッケを焼いていた大将が、一瞬目を見開いた。
 普段から殆ど表情を変えない大将の驚いた様子を見て、
「いえーい、大将の視線ゲットだぜ」と意味不明なガッツポーズなんてしている。

 遠藤と杏輔は顔見知りだ。
 とは言え“おがた”で知り合い、“おがた”で仲良くなった常連仲間。
「エンちゃん、おつー」
「なんか、久しぶりだよな。キョウちゃん仕事忙しい?」
「一時期結構キツかったのよー。ここにも来れなくて、大将のアラ炊きがめっちゃ恋しかった。あ、女将さん」
「はいはい。まだあるわよ。キョウさんの為に残してるから」
「女将さん、エスパーかよ」
 ふふふふふ、なんて妖艶な微笑みを見せる女将さんに、二人はジョッキをぶつけて「いいねえ」なんて笑って。

 水曜日、という割とまったりした日なだけに、今日は朋樹とほのかの二人体制。
 だから当然杏輔は、
「うわー、今日櫂ちゃんいないんだー。寂しいなー」と主張する。
「櫂斗、今日は学校のお友達と遊びに行ってるみたい」
「野球はもうやんないの?」
「キャッチボールはしてるみたいだけど。細いから肩、壊しちゃったのよ。だからもう高校ではやんないって」

 女将さんのその言葉に、ほのかは櫂斗の心中を察してしまう。
 そうか、ふざけてへらへら真面目にやる気ないもんねーなんて言っているのは、きっと自分の体つきが本気でやりたいと思ったことに不向きだったことを知ったから。そして、それは産んでくれた女将さんへの配慮。細く生まれたことを嘆くことは、そのまま母である女将さんを責めることになると、きっと櫂斗なら思うはず。
 だからこそ、櫂斗は野球部のない高校への進学を決めたのだ。

 女将さんたち夫婦が、櫂斗をこの上なく愛しているのは誰もが知っていて。そして櫂斗の愛情も、この夫婦に等しく向かっている。

「ほのかちゃん、最近学校、忙しいの?」
 ふいに、遠藤から話しかけられ、ほのかが「え?」と訝った。
 オーダー以外で、店で遠藤から接触してくることなんて今までになかったから。

「自分っスか? そうですねー、忙しいっちゃー忙しいけど、ヒマっちゃーヒマですねー。芳賀なんかは三年だから就活に片足突っ込んでるし忙しそうっスけど。自分まだ二年なんで」
 誘いに乗れないのではなく、乗らないのだ、という意味を含ませた。

「そっかー、朋樹はもう就活かー。方向とかは決めてんの?」
 杏輔が何も考えないままほのかのセリフを拾い、二杯目のビールを持ってきた朋樹に話しかける。
 意図しているのかどうかはわからないが、そのさりげなさがありがたくて、ほのかはそのままテーブル席の空いた食器を下げに向かった。

 きっと、遠藤にもほのかの意思は伝わったハズで。
 これ以上は誘ってくることもないだろう。
 そう、遠藤にしてみればセフレが一人減っただけ。
 ほのかはいつものように仕事をするだけ。

 だって、言い訳すらしないのだから。
 あの日のあの女性は妻で、仕方なくあの態度をとったのだ。
 そう弁解したならきっと、今日、ほのかは再び遠藤の誘いに乗っただろう。
 でも遠藤からは何もない。

 言い訳、して欲しかった。ごめん、と一言でいい、謝って欲しかった。
 自分の立場なんて弁えている。あの時の遠藤のあの態度は正解で、何も間違ってない。
 ただ、一言だけ、欲しかった。ただそれだけ。

 もう、逢わない。
 ほのかは決めた。
 これで遠藤がこの店の常連ではなくなったとしても、それはほのかの責任では、ない。
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