上 下
61 / 167
<2>

-9-

しおりを挟む
 ほのかは既に、三回、遠藤からのラインを無視している。
 “待ってるから、来て”の文字を、仕事の隙間でチラ見して、本日四回目の無視を心に決めた。

 ごめん、も、言い訳も、ない。
 あの日のことは完全に“無かったこと”になっているらしく、遠藤は当たり前のようにほのかに誘い文句だけのラインを送ってくる。
 しかも、あんなにも待っていた頃は週に一度あるかないか、の誘いだったにも関わらず、無視を決めてからは毎日で。

 そんなにヤりたいのかよ。
 と、座敷卓の後片付けをしながら内心鼻で笑う。
 今現在、遠藤は女将さんを口説いているわけだが。

 卓の上の食器を総てトレイに載せ、ダスターで拭いた後、除菌スプレー。
 そんな作業をして、立ち上がると店の扉が開いて来客。
「いらっしゃいませ」
 と目を向けると、杏輔だった。

 あの日以来、の来店。
 でも杏輔も通常運転の笑顔から表情一つ変えることはないし、当たり前だけれどほのかも他の客に対する顔と同じ表情――いつもの無表情で「カウンター、どうぞ」と声をかけた。

「あら、キョウさん一人なのね」
 女将さんのセリフに「女将さん争奪戦には、一人で参戦しないとね」と笑って見せる。
「あたしじゃなくて、櫂斗でしょ、キョウさんの狙いは」
「と見せかけて、実は大将だったりしてね」
 一夜干しのホッケを焼いていた大将が、一瞬目を見開いた。
 普段から殆ど表情を変えない大将の驚いた様子を見て、
「いえーい、大将の視線ゲットだぜ」と意味不明なガッツポーズなんてしている。

 遠藤と杏輔は顔見知りだ。
 とは言え“おがた”で知り合い、“おがた”で仲良くなった常連仲間。
「エンちゃん、おつー」
「なんか、久しぶりだよな。キョウちゃん仕事忙しい?」
「一時期結構キツかったのよー。ここにも来れなくて、大将のアラ炊きがめっちゃ恋しかった。あ、女将さん」
「はいはい。まだあるわよ。キョウさんの為に残してるから」
「女将さん、エスパーかよ」
 ふふふふふ、なんて妖艶な微笑みを見せる女将さんに、二人はジョッキをぶつけて「いいねえ」なんて笑って。

 水曜日、という割とまったりした日なだけに、今日は朋樹とほのかの二人体制。
 だから当然杏輔は、
「うわー、今日櫂ちゃんいないんだー。寂しいなー」と主張する。
「櫂斗、今日は学校のお友達と遊びに行ってるみたい」
「野球はもうやんないの?」
「キャッチボールはしてるみたいだけど。細いから肩、壊しちゃったのよ。だからもう高校ではやんないって」

 女将さんのその言葉に、ほのかは櫂斗の心中を察してしまう。
 そうか、ふざけてへらへら真面目にやる気ないもんねーなんて言っているのは、きっと自分の体つきが本気でやりたいと思ったことに不向きだったことを知ったから。そして、それは産んでくれた女将さんへの配慮。細く生まれたことを嘆くことは、そのまま母である女将さんを責めることになると、きっと櫂斗なら思うはず。
 だからこそ、櫂斗は野球部のない高校への進学を決めたのだ。

 女将さんたち夫婦が、櫂斗をこの上なく愛しているのは誰もが知っていて。そして櫂斗の愛情も、この夫婦に等しく向かっている。

「ほのかちゃん、最近学校、忙しいの?」
 ふいに、遠藤から話しかけられ、ほのかが「え?」と訝った。
 オーダー以外で、店で遠藤から接触してくることなんて今までになかったから。

「自分っスか? そうですねー、忙しいっちゃー忙しいけど、ヒマっちゃーヒマですねー。芳賀なんかは三年だから就活に片足突っ込んでるし忙しそうっスけど。自分まだ二年なんで」
 誘いに乗れないのではなく、乗らないのだ、という意味を含ませた。

「そっかー、朋樹はもう就活かー。方向とかは決めてんの?」
 杏輔が何も考えないままほのかのセリフを拾い、二杯目のビールを持ってきた朋樹に話しかける。
 意図しているのかどうかはわからないが、そのさりげなさがありがたくて、ほのかはそのままテーブル席の空いた食器を下げに向かった。

 きっと、遠藤にもほのかの意思は伝わったハズで。
 これ以上は誘ってくることもないだろう。
 そう、遠藤にしてみればセフレが一人減っただけ。
 ほのかはいつものように仕事をするだけ。

 だって、言い訳すらしないのだから。
 あの日のあの女性は妻で、仕方なくあの態度をとったのだ。
 そう弁解したならきっと、今日、ほのかは再び遠藤の誘いに乗っただろう。
 でも遠藤からは何もない。

 言い訳、して欲しかった。ごめん、と一言でいい、謝って欲しかった。
 自分の立場なんて弁えている。あの時の遠藤のあの態度は正解で、何も間違ってない。
 ただ、一言だけ、欲しかった。ただそれだけ。

 もう、逢わない。
 ほのかは決めた。
 これで遠藤がこの店の常連ではなくなったとしても、それはほのかの責任では、ない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

目が覚めたら囲まれてました

るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。 燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。 そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。 チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。 不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で! 独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

処理中です...