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「別にそんなことないでしょ。他にも、髭男やらバックナンバーやら、若い男の子の好きそうな曲もいろいろ歌ってたし」
「だから、ラブソング縛りじゃんか、っての。何、芳賀、それに全然気付いてないの?」

 ほのかに言われ、はたと思い出す。
 言われてみれば、ノリノリなのからしっとり系まで各種取り揃えております的ラインナップではあったけれど、どれも恋愛ソングだったような、気がする。
「え。……あ」
「あ、じゃねえわ。あいつ、直球でガンガン攻めたらあんたが引くかもって思って、多分それなりに気は使ってたんじゃないの? で、やっと個室で二人きりになったからって、得意の歌で口説いたと見えるけど」

 ほのかが二本目のビールを再びグラスに注ぐ。朋樹に注がせる気は当然ながら、全くない。
 つまみとして頼んだミックスナッツを、朋樹は茫然と見つめた。

「で?」
 少しペースを落としたようで、ビールを一口だけ飲んで先を促す。
「で、って?」
「応えてあげるつもりは、ないの?」
 
「昨日、俺がバイト終わって家帰った後で気付いたんだけど」
「ん」
「ラインにさ。ありがと、だいすき、おやすみってひらがな四文字ずつ、短く切って入ってて」
「ん」
「それってさ。なんか、くすぐったくてさ。で……」
「ん」
「なんか、嬉しかった」

 そう。
 櫂斗のやることなすこと、とにかく可愛いのだ。
 べったりくっついてくるわけではなくて、そっと隣に座ってる、というか。
 自分にだけ懐いている小さなワンコが上目遣いに“構って”と言っている、というか。
 だから思わず、頭をぐりぐり撫でてやりたくなって。

 右手を、見た。

 昼食にしろカラオケにしろ、さすがに高校生に支払いなんてさせるわけにはいかないから、会計を朋樹がとっとと済ませると必ず小さく“ありがと”とちゃんと言うのが可愛くて、思わず頭をぐりぐり撫でてしまい。
 その瞬間の櫂斗のちょっと照れた表情が堪らなく幼くて。
 兄弟のいない櫂斗にとって、自分は兄なのかもしれないな、と思っているわけだけど。

「櫂斗にとって、ほのかはお姉ちゃんで俺はお兄ちゃんなんだよ、多分。だから、甘えたいだけなんだよね、あれは」
 思い出しながら微笑むと、ほのかはグラスを置いて腕を組み、
「……あ、そ。芳賀が辿り着いた答えは、それか。じゃ、しょーがないね」頷く。
「え?」
「まあ本人も、焦ってもしょーがないってわかってんだろうし。今はそれでもいいのかもね」
「何が?」
「いいから、も、思っきり甘やかしてやんなよ。それだけでもあいつは幸せなんだろうし、それ以上のことまではまだ、求めちゃいないんだろうから」
「それ以上って?」
「まだ高校生だしね。未成年に、手、出すわけいかんだろ」
 本人は出されたくてたまらんのだろうけど。いや、出したいのか?
 あいつ、そう言えばどっちもとかゆってたな。
 ほのかがくふ、と思い出し笑いする。

「叱ったりは、やっぱり難しいね。がっつり躾ってのは、大将とか女将さんがすることだろうし」
「…………そっち?」
「は?」
「いや、まあいいけど。芳賀って童貞?」
 思い切り、さらっと言われて朋樹は「はあ?」思わず大声になる。

 隣の客に睨まれて、小さく頭を下げた。
「何のためにコソコソ話してると思ってんの? ピアノ、聴こえないじゃない」
 ほのかが平然と言う。

「セクハラだと思うけど」
「芳賀だと、立場どっちが上かなあ? ま、でも一応こっち年下だから、セクハラ成立しないんじゃない?」
「するでしょ」
「か、なあ? で、どおなん?」
「……いや、違うけど。これでも高校時代半分くらいは彼女いたし、大学入ってからはフラれたけど」
「一人のコとずっと? 芳賀、結構一途なんだね」
「モテない自覚はあります」
「んなことないでしょ。現に今、二人からコクられてんだし」
「男にモテるのはモテるとは言わない」

 項垂れながら言うと、曲が「First Love」に代わり。
 何とも言えない感情が生まれる。
 失恋した当時の、心がぎゅっと締め付けられるような感覚を、ほんの少しだけ思い出す。
 懐かしい、微かな痛み。

「フラれたコのこと、引きずってる?」
「いや、それはない。まあ、フラれてすぐの頃はグダグダに沈んでたけど」
 それこそ、失恋ソングを聴いたり歌ってみたり、散々クサって友達にグチったりはしていたけれど、時間が経つうちに忘れてしまったし。
 そして今、“おがた”でバイトをするようになってからは、思い出すこともまずない。
 久々にその感覚を思い出したのは、BGMが切ないからで。
 感情を揺さぶる演奏に、過去の痛みを思い起こされるから。ピアニストに感心する。

「今、楽しんでる?」
「まあ、それなりに」
 恋愛が総てじゃない、と思うし。
 バイトに明け暮れる日々も楽しいし、学校でやってる勉強だって自分がやりたくて進んだ道なわけで。

「ほのかは?」
「まあ、それなりに?」
 言って、ニヤリと嗤った。
「ここで、ほのかは処女なの?って訊き返さない芳賀って、紳士だよね」
「……おまえ、どーゆー奴らと付き合ってんのさ?」
 さすがにそんなどセクハラな発言、する人間なんていないだろう。
 ほのかが鼻の奥でくふくふ笑う。

 丸い吊り上がった猫目。
 額全開黒いストレートなロングヘア。
 赤いぷるぷるの唇に、透き通るような白い肌。
 百六十センチ弱の程よい身長に、細く長い手足。
 ウエストは細いが、残念ながらバストも細めなのが玉に瑕ではあるが、それは好みの問題で。

 そんな、どこから見ても美少女なほのかが、でも中身はあっさりさっぱり男前なんて。
 モテないわけが、ない。
 常に数人の男を掌で転がしていそうな気がして想像するだけで怖くなり、朋樹は
「明日もあるし、そろそろお開きですかね」とグラスの中身を飲み干した。
「もう一杯飲んでく。芳賀、先に帰っていいよ」
「えっと……それは額面通りに取っていいの?」
「当たり前でしょ。芳賀んこと、口説くつもりなんかないわよ。明日の一コマ目休講って情報入ったから、ゆっくりしてくだけ。じゃあね」

 さすがに。
 ここで支払いを済ませるだけの男は見せたくて。
 朋樹は二人分の支払いをすると店を後にした。
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