2 / 167
<1>
☆☆☆
しおりを挟む
“居酒屋おがた”は、五十手前の寡黙な大将と、四十には見えない美人女将が夫婦で営んでいる小さな居酒屋である。
駅前という立地条件のせいだけでなく、その料理の旨さと店の雰囲気の良さからこの周辺でもかなり人気の店となっていて、カウンターが八席に四人掛けのテーブルが三卓、座敷席が二卓という本当に小さな店だけれど、午後七時を過ぎる頃には満席となっているのが毎日だ。
「いらっしゃいま……うわ、来やがったな」
午後八時を過ぎた頃、扉が開いて入って来た客を迎える櫂斗の表情が、急に険しくなる。
「客に対してその態度はねーだろーがよ」
自分を睨みつける櫂斗の額を軽く小突いて、長身イケメンサラリーマンが、カウンターに座りながら苦笑する。
「さっくん、一人?」
女将さんが櫂斗を一睨みした後、おしぼりを差し出し、コースターを置く。
「ん、キョウさんも純くんも残業頑張ってる」
常連さん、というヤツだから女将さんも名前はしっかり把握している。
「あら、いいの?」
「うん、いいの。俺には俺の仕事のやり方ってのがあるから。生一つと小鉢セット」
男の注文に、既に彼女は動き出していて。
おしぼりで手を拭き、スマホを確認して胸ポケットにしまい、一息ついたら目の前には生ビールのジョッキが置かれていた。
顔を上げると女将の笑顔が「お疲れ様」と言っていて。
この一連の動きが流れるようにスマートで。
柔らかな微笑みで仕事に疲れたサラリーマンを虜にするのだ。
「あんたも仕事してろよな」
櫂斗が、空のジョッキを座敷席から下げ、カウンターの内側に置きながら、ふくれっ面を見せる。
女将にそっくりな可愛い顔のくせに、口を開けば憎まれ口を叩くから。
「だから仕事はしてるっつの。ねえ、朋樹は?」
「いねーし」
とりあえず、一旦ジョッキを洗う。
皿洗いはバイト――櫂斗含む――の仕事である。
「んなわけねーじゃん」
「トモさん、おまえの顔なんか見たくねーってさ」
「嘘つけ!」
「嘘です。櫂斗、意地悪言わない。今、お客さんのタバコ買いに行って貰ってるだけよ」
男の客は、久良木朔、という。
印刷会社勤務の営業マンで、上司に一度誘われてきて以来足繁く通っている。
「あ、いらっしゃい。さっくん、来てたんだ」
扉が開いて、目が合った朋樹が言うと朔が破顔した。
店にタバコの自販機は置いていないので、隣のコンビニに買い出しに行くのは基本、朋樹の役割。
櫂斗は高校生だし、女将さんが“女のコにタバコ触らせたくない”というちょっとズレた持論を持っているからで、朋樹も喫煙者ではないが時々こうやって使いっぱしりになる。
「朋樹ー、逢いたかったー。今日も可愛いー」
立ち上がり、朋樹へと腕を伸ばし……櫂斗に制される。
「ウチはおさわり禁止」
洗い物を終え、空いた皿を下げるために持っていたトレイを朋樹と朔の間に突っ込んだ。
「おまえマジ、出禁にするぞ」
「櫂斗にそんな権限ねーだろーがよ」
「あるね。トモさんは俺の! おまえが触ったらビョーキが移る!」
「ビョーキって何だよ、しつれーな」
「ナンパ病だ。おまえみたいなナンパヤロウ、トモさんには触らせねー」
「あー、櫂斗。俺のことはいいから、座敷のお客さん、呼んでる」
朋樹が苦笑しながら口を挟んだ。
何故か、この店に於いて朋樹はやたらとモテる。……男に。
渋々仕事に戻った櫂斗を見送ると、
「さっくん、いっつもそーやって櫂斗のことからかうよね。ほんとは櫂斗のこと、好きなんだろ」
朔が飲み干したジョッキを手に取った。「おかわり?」
「うん」
「好きなコほど、からかいたくなるんだよね」
「違う! 頷いたのは、ビールのおかわり! 俺が好きなのは朋樹だっつの」
朔は週に三回はここ“おがた”に通う。
いや、下手すると週五の場合もある。
それは、元々常連だった上司がココで一度小さな宴会をした時、朋樹に出逢って運命を感じたからだ。
駅前という立地条件のせいだけでなく、その料理の旨さと店の雰囲気の良さからこの周辺でもかなり人気の店となっていて、カウンターが八席に四人掛けのテーブルが三卓、座敷席が二卓という本当に小さな店だけれど、午後七時を過ぎる頃には満席となっているのが毎日だ。
「いらっしゃいま……うわ、来やがったな」
午後八時を過ぎた頃、扉が開いて入って来た客を迎える櫂斗の表情が、急に険しくなる。
「客に対してその態度はねーだろーがよ」
自分を睨みつける櫂斗の額を軽く小突いて、長身イケメンサラリーマンが、カウンターに座りながら苦笑する。
「さっくん、一人?」
女将さんが櫂斗を一睨みした後、おしぼりを差し出し、コースターを置く。
「ん、キョウさんも純くんも残業頑張ってる」
常連さん、というヤツだから女将さんも名前はしっかり把握している。
「あら、いいの?」
「うん、いいの。俺には俺の仕事のやり方ってのがあるから。生一つと小鉢セット」
男の注文に、既に彼女は動き出していて。
おしぼりで手を拭き、スマホを確認して胸ポケットにしまい、一息ついたら目の前には生ビールのジョッキが置かれていた。
顔を上げると女将の笑顔が「お疲れ様」と言っていて。
この一連の動きが流れるようにスマートで。
柔らかな微笑みで仕事に疲れたサラリーマンを虜にするのだ。
「あんたも仕事してろよな」
櫂斗が、空のジョッキを座敷席から下げ、カウンターの内側に置きながら、ふくれっ面を見せる。
女将にそっくりな可愛い顔のくせに、口を開けば憎まれ口を叩くから。
「だから仕事はしてるっつの。ねえ、朋樹は?」
「いねーし」
とりあえず、一旦ジョッキを洗う。
皿洗いはバイト――櫂斗含む――の仕事である。
「んなわけねーじゃん」
「トモさん、おまえの顔なんか見たくねーってさ」
「嘘つけ!」
「嘘です。櫂斗、意地悪言わない。今、お客さんのタバコ買いに行って貰ってるだけよ」
男の客は、久良木朔、という。
印刷会社勤務の営業マンで、上司に一度誘われてきて以来足繁く通っている。
「あ、いらっしゃい。さっくん、来てたんだ」
扉が開いて、目が合った朋樹が言うと朔が破顔した。
店にタバコの自販機は置いていないので、隣のコンビニに買い出しに行くのは基本、朋樹の役割。
櫂斗は高校生だし、女将さんが“女のコにタバコ触らせたくない”というちょっとズレた持論を持っているからで、朋樹も喫煙者ではないが時々こうやって使いっぱしりになる。
「朋樹ー、逢いたかったー。今日も可愛いー」
立ち上がり、朋樹へと腕を伸ばし……櫂斗に制される。
「ウチはおさわり禁止」
洗い物を終え、空いた皿を下げるために持っていたトレイを朋樹と朔の間に突っ込んだ。
「おまえマジ、出禁にするぞ」
「櫂斗にそんな権限ねーだろーがよ」
「あるね。トモさんは俺の! おまえが触ったらビョーキが移る!」
「ビョーキって何だよ、しつれーな」
「ナンパ病だ。おまえみたいなナンパヤロウ、トモさんには触らせねー」
「あー、櫂斗。俺のことはいいから、座敷のお客さん、呼んでる」
朋樹が苦笑しながら口を挟んだ。
何故か、この店に於いて朋樹はやたらとモテる。……男に。
渋々仕事に戻った櫂斗を見送ると、
「さっくん、いっつもそーやって櫂斗のことからかうよね。ほんとは櫂斗のこと、好きなんだろ」
朔が飲み干したジョッキを手に取った。「おかわり?」
「うん」
「好きなコほど、からかいたくなるんだよね」
「違う! 頷いたのは、ビールのおかわり! 俺が好きなのは朋樹だっつの」
朔は週に三回はここ“おがた”に通う。
いや、下手すると週五の場合もある。
それは、元々常連だった上司がココで一度小さな宴会をした時、朋樹に出逢って運命を感じたからだ。
0
お気に入りに追加
33
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
目が覚めたら囲まれてました
るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。
燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。
そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。
チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。
不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で!
独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる