コレは誰の姫ですか?

月那

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 それは普段の恵那の音とは違う、端的に言い表すならば“エロい”とでも言うべき甘い音色で。
 曲の中盤、ベースでリズムを支える重要な部分で、ともすれば掠れてしまう程の低音をその掠れ具合さえも計算に入れた耳心地の良い響きを利かせて。

 他のメンバーも思わず音を止めていて、それには南だけでなく重松も瞠目した。

「ね? こんな感じ。どお?」
 長いフレーズではなかったから、次の瞬間にはいつものドヤ顔をした恵那が笑っていて。

「もおねー。まず先輩の色っぽい目が重要なのね。で、そっからこう、あったかい息を楽器にふかーく通して、で、優しく音にしてやんの。ね、正解?」
 あっけに取られていたその場の人間に、そんな風にさらっと言ってみせるから。

「南先輩に併せて俺がコレやって、曲の邪魔にならねーならいんだけどさ」
「……ジャマ、っちゃー邪魔」
 なんとか気を取り直した徹がぽつりと言った。
「ええー」
「南先輩が出してる雰囲気はさー、色っぽいってヤツだけど。恵那がやると無駄にエロい」
「わかる! わーかーるー! 何、今の! まじエロス! どっかで美女食ってきたんかい! って感じだったし」
 辰巳も、自分がその無駄なエロさにヤられたのがムカつくから、そう言って茶化した。

「先輩の色気、マネただけだしー。ほら、やっぱ彼女の存在っつーのはデカいってことだよな、うん」
 俺もそろそろ彼女必要だなあ、なんて呟くと、
「おまえにはまだ早い」と突っ込まれた。

「色気云々は抜きにしても、とりあえずその、他人の演奏サラっと真似できる恵那には感心するよ」
 重松がため息と共に言った。
「え、俺今褒められた?」
 いえーい、と辰巳にドヤると再び「ウザい!」と睨まれる。

「恵那も辰巳も、うるさい! いいから練習するよ!」
 結果、重松の怒鳴り声が再び小会議室に響いた。

☆☆☆

 ――びっくりした。びっくりした。びっくりした。
 涼は小会議室の扉を閉めた瞬間、既に走り出していた。
 すぐ近くのトイレに駆け込む。

 ホルンがパート練習をしていたのは小さな和室で。
 優しいパートリーダーの真中が「ちょっと休憩入れよっか」と言ってくれたから、気分転換に恵那の練習しているところへ向かった涼は、扉を少し開けて中の様子を伺おうとした。
 休憩中なら少しはお邪魔もできるけれど、それこそパート合奏中ならばそのまま扉を閉めようと思って。

 したら。
 目と耳に飛び込んできたのが。
 少し伏し目にした恵那の綺麗な横顔と、その大きなキラキラ光る楽器から紡がれる甘い低音で。

 スラっとした恵那が細長い金色の綺麗なバリトンサックスを斜めに掻き抱き、その細長い指が器用に動いて美しい音色が響く。
 いつもふざけている恵那の、見たことのない色っぽいその表情が堪らなく淫靡で。
 下腹を擽るような低音が甘く心地よくて。
 涼は凍り付いた。

 こんな音、聴いたこと、ない。
 こんな恵那、見たこと、ない。

 涼にしてみれば、恵那はいつだって俺様でドヤ顔をしてへらへら笑っていて。
 優しいけれど、どこかイタズラっぽくて子供っぽくて。
 最近聞いた土岐を殴り倒していたという物騒な話だって全然信じられないくらい、いつだって柔らかな空気を纏っている恵那は。
 でも、こんなに色っぽい表情なんてしたこと、ないから。

 もうただただ驚いてしまって。
 そっと小会議室の扉を閉めると、その場を逃げ出すしかできなかった。

 実際、セクション自体が別だから恵那の演奏している姿を目にすることは合奏の時だけで。
 だからと言って合奏中に、指揮や演奏以外に意識なんてすることもないし。
 ホルンパートからバリトンサックスは、間にユーフォニアムやバスクラリネットなどがいるから視界に入ることも少ない。
 だから、本当に恵那がこんな風に色っぽい演奏をしているのなんて、涼は全然知らなかったのだ。

 まるでいつもの友達な恵那じゃなくて。
 綺麗な男性の色気、というのを表現するとこうなるのか、という見本みたいな恵那だったから。
 ドキドキ、した。
 これが、憧れ、というものなのかと思うと、なんだか悔しいけれど、納得できる。
 同じ男として、あんな風に素敵な色気を醸し出せるようになりたいと、そう思って。

 涼は大きく深呼吸すると、ふるふると首を振り。
 とりあえず顔を洗って再び和室へと戻って行った。
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