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「……さてさて本日の公演も最後の演目へと移らさせていただきます」
月屋旅館の大広間で繰り広げられる“箕楽座山口公演”。
座長である相楽辰巳がトリを務めるのがこれまでの公演では当然であったのだが、今公演からオオトリを座の一番人気女優であるところの“加寿美”が飾るという形式に変わり、そのアナウンスが流れた途端場内からはざわめきが巻き起こる。
「月から舞い降りた天女もかくやという、箕楽座一の美女“加寿美”が今宵もあなたを魅了いたします。曲はこの曲、ご存知“花舞台”!」
“加寿美”の十八番であるその曲。
前奏と同時に、舞台奥のシルエットを映し出したスクリーンから艶やかに登場した彼女の姿に、会場はため息の嵐である。
男性客も女性客も、彼女の美しさには言葉も出なくなるのだ。
柔らかくすっと伸びた白い指先から零れ落ちる優雅。
遠くの想い人を見つめる濡れた黒い瞳。
紅い唇が微かに開いているのも、そこからこぼれる吐息までもに色を添えるようで。
傾げた首筋に落ちる後れ毛が発する色香は、衣裳の桜吹雪よりもその匂やかな艶色を振り撒いている。
彼女の演舞には叶えたくても叶えられない想いが込められているようで、それを観た誰もが皆忘れていた感情を呼び戻されるのだ。
愛しい人を想い、追い求める気持ち。
誰でも一度は経験しているだろう大きな恋愛。
その感情を、彼女は切ないまでに表現する。それこそ、視線から吐息から、彼女の持つ総てで演出して。
柔らかな物腰で舞う彼女に、広間の片隅でそれを見ていた祐斗も呆然と惹き込まれていた。
人気のある公演には本来はあまり入らせてもらえないのだが、箕楽座に関しては母親である月屋旅館の女将が特別に配慮してくれたおかげで、今回公演が始まって二週間目にしてようやく片隅で見せてもらえることになったのだ。
芝居の時には俳優としても出演していた和巳は――勿論その際の芸名は男名の相楽和巳としてである――、祐斗も時々くすっと笑ってしまうようなコメディ色もあってそれなりに楽しんでいたのだが、オオトリであるところのこの演目には、はっきり言って度肝を抜かれてしまったのだった。
再会初日の稽古姿でさえ祐斗を二度目の初恋へと導いたというのに、この正式舞台である真剣な“加寿美”の舞なんてものを観せられた祐斗としては、完全にハートを鷲掴まれて絞め殺されんばかりの状態である。
男とわかっていても、こんなに惹かれてしまうとはどういうことだ。
祐斗は息をすることすら忘れてしまうほどに“加寿美”に魅入られてしまっており、おかげで舞台が終了して客が全員退けてしまった後もぼんやりと広間に正座しつくしていた。
「……おーい、祐斗―。おまえ、何やってんのさ?」
月屋旅館の従業員が広間を片付け、掃除するのに「邪魔です」と怒られながら広間の隅の隅へと追いやられても、それでもぼんやりと座り込んでいた様子に、完全に着替え終わった和巳が声をかけた。
「…………」うつろな瞳。
「祐斗?」
「…………」その目は全く“和巳”を捉えない。
「しっかりしろよ。ほら、ここもう閉めたいみたいだよ。すみません、すぐ連れて出ますんで」
入り口で睨んでいた従業員に愛想を振り撒き、和巳は仕方なく祐斗を引きずって廊下へと出た。
「……かずみちゃん……」
「はいはい」
「……綺麗……」
「ありがとさん」
「…………ほんと、綺麗になって……」
「おまえはおばちゃんかい。ほら、もう鬱陶しいなあ」
「…………」
「しょーがないなあ。とりあえず、外出るぞ?」
呆然としたまま“かずみちゃんキレイ”と呟いているボケ祐斗を引きずり、和巳は旅館と母屋を繋ぐ庭へと出た。
「あのさ、祐斗。いい加減現実に戻ってきてもらえないかな?」
「…………」
目が合っているのか合っていないのか。
完全に“和巳”の中に“加寿美”を投影している祐斗に和巳は呆れるしかできなくて。
大きな松の木の下にある二人がけのベンチに腰掛ける。
旅館からの明かりと母屋の門にあるライトは少ししかその光源としての役割を果たしていないが、代わりに月が二人を照らしていた。
月屋旅館の大広間で繰り広げられる“箕楽座山口公演”。
座長である相楽辰巳がトリを務めるのがこれまでの公演では当然であったのだが、今公演からオオトリを座の一番人気女優であるところの“加寿美”が飾るという形式に変わり、そのアナウンスが流れた途端場内からはざわめきが巻き起こる。
「月から舞い降りた天女もかくやという、箕楽座一の美女“加寿美”が今宵もあなたを魅了いたします。曲はこの曲、ご存知“花舞台”!」
“加寿美”の十八番であるその曲。
前奏と同時に、舞台奥のシルエットを映し出したスクリーンから艶やかに登場した彼女の姿に、会場はため息の嵐である。
男性客も女性客も、彼女の美しさには言葉も出なくなるのだ。
柔らかくすっと伸びた白い指先から零れ落ちる優雅。
遠くの想い人を見つめる濡れた黒い瞳。
紅い唇が微かに開いているのも、そこからこぼれる吐息までもに色を添えるようで。
傾げた首筋に落ちる後れ毛が発する色香は、衣裳の桜吹雪よりもその匂やかな艶色を振り撒いている。
彼女の演舞には叶えたくても叶えられない想いが込められているようで、それを観た誰もが皆忘れていた感情を呼び戻されるのだ。
愛しい人を想い、追い求める気持ち。
誰でも一度は経験しているだろう大きな恋愛。
その感情を、彼女は切ないまでに表現する。それこそ、視線から吐息から、彼女の持つ総てで演出して。
柔らかな物腰で舞う彼女に、広間の片隅でそれを見ていた祐斗も呆然と惹き込まれていた。
人気のある公演には本来はあまり入らせてもらえないのだが、箕楽座に関しては母親である月屋旅館の女将が特別に配慮してくれたおかげで、今回公演が始まって二週間目にしてようやく片隅で見せてもらえることになったのだ。
芝居の時には俳優としても出演していた和巳は――勿論その際の芸名は男名の相楽和巳としてである――、祐斗も時々くすっと笑ってしまうようなコメディ色もあってそれなりに楽しんでいたのだが、オオトリであるところのこの演目には、はっきり言って度肝を抜かれてしまったのだった。
再会初日の稽古姿でさえ祐斗を二度目の初恋へと導いたというのに、この正式舞台である真剣な“加寿美”の舞なんてものを観せられた祐斗としては、完全にハートを鷲掴まれて絞め殺されんばかりの状態である。
男とわかっていても、こんなに惹かれてしまうとはどういうことだ。
祐斗は息をすることすら忘れてしまうほどに“加寿美”に魅入られてしまっており、おかげで舞台が終了して客が全員退けてしまった後もぼんやりと広間に正座しつくしていた。
「……おーい、祐斗―。おまえ、何やってんのさ?」
月屋旅館の従業員が広間を片付け、掃除するのに「邪魔です」と怒られながら広間の隅の隅へと追いやられても、それでもぼんやりと座り込んでいた様子に、完全に着替え終わった和巳が声をかけた。
「…………」うつろな瞳。
「祐斗?」
「…………」その目は全く“和巳”を捉えない。
「しっかりしろよ。ほら、ここもう閉めたいみたいだよ。すみません、すぐ連れて出ますんで」
入り口で睨んでいた従業員に愛想を振り撒き、和巳は仕方なく祐斗を引きずって廊下へと出た。
「……かずみちゃん……」
「はいはい」
「……綺麗……」
「ありがとさん」
「…………ほんと、綺麗になって……」
「おまえはおばちゃんかい。ほら、もう鬱陶しいなあ」
「…………」
「しょーがないなあ。とりあえず、外出るぞ?」
呆然としたまま“かずみちゃんキレイ”と呟いているボケ祐斗を引きずり、和巳は旅館と母屋を繋ぐ庭へと出た。
「あのさ、祐斗。いい加減現実に戻ってきてもらえないかな?」
「…………」
目が合っているのか合っていないのか。
完全に“和巳”の中に“加寿美”を投影している祐斗に和巳は呆れるしかできなくて。
大きな松の木の下にある二人がけのベンチに腰掛ける。
旅館からの明かりと母屋の門にあるライトは少ししかその光源としての役割を果たしていないが、代わりに月が二人を照らしていた。
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