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第二章

終点と導き

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『JR東日本をご利用くださいまして、ありがとうございます。この電車は山手線各駅停車秋葉原行きです。次は終点——秋葉原、秋葉原。お出口は左側です。総武線各駅停車……』

 電車に揺られながら移動すること数分。流れてきた秋葉原に着く際の車内放送に違和感を覚えた。俺の知る限りでは山手線は内回りと外回りに分けられ、一周するように円形に敷かれていたはずだ。
 終点というものは存在しないと、そう記憶していたはずだが、どうやらこの世界はやっぱり変な常識があるらしい。
 茅乃との買い物は想定よりも長引いて、秋葉原に着いたのは昼頃だった。中央改札を抜けて昨日、あの駅と繋がっていたところと同じ場所に俺たちはいる。

「やっぱ、この辺りだったよな?」
「うん、そのはずだけど」

 秋葉原駅の一階、改札を抜けて総武線と山手線が上で交差している辺り。周囲を見渡しながら何か異変がないかを観察する。

「えっと、なにも起こらないね」
「だな。どこをどう見ても普通の駅にしか見えんな」

 如月駅。幾ら探しても目的地である、そこへ場所に辿り着くことはできなかった。念のため周囲も出来うる限りは調べたが、特に変化はない。
 何かしらの条件があるかもしれないが、推測するには情報があまりにも足りないので、俺は詳細に昨日の会話や記憶を思い出してみることにした。

『なっ。切符はどうした? 無賃乗車だろ』
『え? ああ、いいのいいのっ。私はこっちから来たから。アヤセくんもはやくおいで。大丈夫、怖いことは何もないから』
『わざとか知らないけど、その謳い文句。一々、懐疑心をくすぐるんだけどな』

 こっちから来た。
 そう、茅乃は言っていた。もしかしたら、茅乃はなにかしらの行動をして、あの駅に辿り着いたのだろうか。

「そういえば、茅乃はどうやってあの駅に行ったんだ?」
「え、私?」

 片足をついてしゃがみ込みながら、目線をそのままに尋ねてみる。背後にいた茅乃は少しだけ悩むような仕草を見せてから、決心して口を開く。

「んー、信じられないかもしれないけどいい?」
「ああ、できれば詳細に知りたい」
「わかった。えっとね、昨日の朝に目が覚めたらこの場所に導かれたんだ」
「導き?」

 聴き馴染みのない単語に思わず口を挟んでしまった。

「そう。理由は分からないんだけど、誰かが私を呼んでいるような気がしたんだよね。声とかじゃなくて、気配っていうのかな?」
「気配、か」
「うん、人の気配。それで、誘われるがままに、秋葉原まで行った途端に、ぐわって軋むような音がして、次の瞬間には、あの駅にって感じかな」
「つまりは、霊的な何かを感じた、と?」
「うん。そんなところだと思う」
「おいおい」

 どうにもオカルトチックな話だと一蹴しつつ、立ち上がって、茅乃の表情を確認した。だが、どうやら本気らしい。本気と書いて、マジなようだ。

「導きか」

 嘘のような話だが、だからこそ嘘だとも思えなかった。
 嘘であるなら、もっとマシなものは幾らでも拵える。曖昧な返答ではあるが、偶然よりかは幾分か信憑性はあった。
 ただそうなると、隔離された別世界だけでなく、霊的な存在までも信じろ、ということになるのが問題だ。
 考えていると、茅乃が身体を寄せてくる。

「あっ、アヤセくん。やっぱり信じてないでしょ?」
「いや別にそんなことはな——」
「ほんとかなぁ、怪しいっ!」

 矢鱈と女子のいい香りとやらが鼻腔をくすぐる。
 一緒のシャンプーを使っているはずなので、これは香水によるものか。顔も近い。男とは実に単純な生物で、その距離を意識するだけで脈拍が激しくなるのだから、困ったものだ。

 今回だけなら兎も角、これからも茅乃との共同生活は続きそうなので、慣れる前に忠言しておこう。

「あの、茅乃さん」
「ん?」
「あの、さっきから距離が近いんだけど」
「あっ————ごめん」

 茅乃もやっと気付いてくれたようで、再び適切な距離が保たれる。いい加減、うぶな男心を弄ぶのもいい加減にしてほしいものだ。

 心の底でボヤいていると、ふと茅乃がどこか自失としており口をぽかんと開けていることに気づいた。

「どうかしたか」
「うんん、なんでもないよ」
「そうか? それこそ、『心、此処にあらず』って感じだったけど」
「あはは、ちょっと気になったことがあっただけ。それで、何かわかった?」
「さっぱりだ」

 頭を左右に振ってから、もう一度だけ考えてみる。
 如月駅には何かがあるだろうと分かっても、根拠のなければ行き方も分からない。これに関しては、然しもの茅乃のも両手を上げていた。

「そういえば、茅乃は如月駅に行ったのはあれが初めてだったのか?」
「うんん。私もアヤセくんと一緒で、目が覚めたときにあの駅にいたんだよね」
「そうだったのか」

 最初に目が覚めた場所という共通点は、何かに繋がるだろうか。
 謎多き場所、如月駅。調査は難航を極めていた。

「あっ、でもなんか、龍の鳴き声? みたいなのが聞こえたかも」
「ああ。それはたぶん、列車の汽笛だろうな。俺も聞いたよ」
「んーそうだったかも?」

 まぁ兎に角だ。現状では駅を頼りの綱にしても、進展はないのかも知れない。
 如月駅とは何なのか。なぜあそこで目が覚めたのか。幾つか憶測も浮かんでいるが、如何せん手掛かりが少ない現状では机上の空論の域を出ない。

「取り敢えずは、何もわからないことが分かった感じだな」
「あはは、何それ」
「まぁ、もし次に同じような導きがあれば言ってほしいかな。何かの参考にはなるかもしれないし」
「うん、そうだね。了解っ!」

 茅乃は愉快そうに、敬礼をしながら笑みを浮かべた。

「それと——」
「ん?」
「いや、それより、そろそろ昼食にしないか?」
「おっ、いいねぇ」

 俺が何かを切り出そうとしたことに、一瞬だけきょとんとしたがすぐに茅乃は頷いた。それ以上は疑う様子もないようだ。
 俺は茅乃の隣に並んで歩きながら、その天真爛漫な笑みを浮かべる横顔に視線を送った。昨日の夜も考えていたが、やはり茅乃の笑顔は不自然に感じた。

「ん~、なにを食べようかなぁ」

 茅乃はまだ何かを隠している、それもかなり重要な何かを——。
 何故だか、それは確信できた。ここで、茅乃の抱える『秘密』を問い質すこともできたが、口にしないのにはそれなりの理由があるはずだ。
 こればかりはいつか話せる時が来るのを待つしか道はないのかもしれない。
 今はそう割り切ることにした。

   ꕤ

 昼食は茅乃の提案で、駅近くのファミリーレストランに決まり、小一時間ほどで、食事を終えた俺たちは東京駅へと戻っていた。

「うん。沢山食べたし、これで午後の分の英気を養えたかな」
「沢山食べたのは主に茅乃だけどな。お金が掛からないとはいえ、あれは流石に食いすぎだろ。油と脂質とタンパク質の暴力だし」
「いいのっ、細かいことを気にしたら負けだよ? このリアリストめ」
「いや、それリアリスト関係あるか?」

 俺の問いかけも茅乃の手の平で懸命になされる耳を塞ぐという子供じみた防衛には虚しく敗れた。
 打てば響くとはまさにこのことで、茅乃のリアクションは実に多彩だ。

「まぁさ。でも、大丈夫なんだよ。この世界では」
「この世界では?」
「うん。太らないからね。痩せたり太ったり、そういうことがないんだ」
「そうなのか?」
「そうそう。だからもーまんたいだよっ」

 言葉に合わせて茅乃は、一歩前に大きくスッテプを踏んだ。茅乃の笑顔。髪が風にさらわれて、流れるようにその形を変える。
 そんな一挙手一投足に見惚れてしまうことなど、ニュートン様も納得の不変的事象なのだから許してほしい。

「それで、今からどうするかだよな。目の前の問題が山積みで、どこから手を付け始めるか」

 近くのベンチに腰を掛けると、俺は開口一番に話を振った。二月駅への手掛かりがないとなると、まるで振り出しに戻された気分だった。

「アヤセくん、夏休みの宿題みたいなことを言うね」

 茅乃はベンチに座らずにその近くで立ちながら話をするようだ。

「茅乃は宿題を31日から手を付けるタイプだったのか」
「ん~、溜めてるつもりはないんだけど、気付いたら勝手に溜まってるんだよね。ほんとに不思議」
「まるで宿題が溜まるのが自然現象みたいな言い草だな」
「あはは、ある意味では間違ってないね」
「たしかにな、ってどうかしたか?」

 そこで俺は会話中に何度も、茅乃の目線がある一点に集約していたことに気づいた。

「あれが気になるのか?」
「私、そんなに凝視しちゃってたかな」
「まぁな、どっか遠い目で眺めてたぞ」

 茅乃が見ていた先。それは、電子看板だった。
 表示されているのはここに近接した美術館の宣伝で、看板には『ヨハン・クレー絵画展 Now Open』の文字が映してある。世界的に著名な画家の作品が展示されているらしい。
 そうは言っても、絵画に精通していない十代の知識はダ・ヴィンチやピカソなどの教科書にも載るような歴史的な画家が限度で、それ異常となるとまさに未知で未開な世界だ。

「興味があるとか?」
「んーどうかな。美術館なら両親の知人がアーティストだから、随分と昔に父に連れられて行った気がするけど」

 茅乃は語りながら、またあの目をしていた。
 遠くを眺めるその瞳には何が映っているのだろう。考えるだけで、やけに胸騒ぎがして、どうにも気になってしまった。

「ちょっと行ってみるか。俺も興味はある」
「アヤセくんも?」
「ああ。それにここは車の通りも多いし、静かな場所の方が考え事も捗るだろ」

 絵画一枚の価値も分からない一般人が鑑賞するのは、ちょっとだけ気が引けるが、気持ちの切り替えも兼ねて行ってみてもいいかもしれない。
 茅乃もそのことを察してくれたようだ。

「うん、そうだね! なら行ってみよか」

 茅乃は、笑いながら首肯した。
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