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運命の人
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次の日、鬼塚が渡してきた旅のプランを店長に渡すと、何故か訳知り顔で頷かれた。
「ああ、これね。いいよ、行って来て。あ、有休申請は忘れず出しておいてね」
やけにアッサリと言われ、状況が理解出来ず首を傾げる。
「は? いや、行きませんよ。つーか、キャンセルしておいてください」
純がそう言ってプラン表を店長のデスクに置くと、「えー!」と大声を出された。
「小鳥遊くん、それ本気? いやいやいや、キャンセルとか今さら無理だよ。この宿とるのに、どれだけ苦労したと思ってんの? ダメダメ、絶対キャンセルはしないからね。君だって、わかるだろ」
わかるだろと聞かれると、確かにわからなくはない。ただ、純が行くとなると別問題だ。
「いいじゃないか。行っておいでよ。あ、何なら有休じゃなくて研修扱いにしてもいいよ。こういう宿に宿泊するって、なかなか出来ないしさ。そうだ、そうしよう。研修ってことで、行ってくればいい」
「何言ってんですか、行きませんよ。だいたい、男同士で行くようなとこでもねえし」
「そうかな? 別にいいんじゃないか。近くにゴルフ場なんかもあるし、男性客だけってこともあるだろ」
そういえば、有名なゴルフコースがあったな。
「いい機会だから、リフレッシュしておいでよ。だいたい君、ここ最近まともに仕事出来てないじゃないか。プライベートに干渉する気はないから、事情は聞かないけど、私生活乱れてるんじゃないのか? いや、いいんだ。別に、責めるつもりはないからさ。そりゃ、誰だって色々あるだろうしね。僕だって、そういう時もないわけじゃないしね。だからさ、このさいだから、ちょっとゆっくりしてくるってのも悪くないだろ?」
まあ、それを言われると返す言葉もない。ここ一週間ほど飲んでないってだけで、それまでは毎晩飲んでいたのだ。当然、仕事にも影響していたはずだ。
「つーか、どうして俺が行くって話、店長が知ってんですか」
「だって、鬼塚さんがキャンセルしたいって仰るから……。それは困ると思ってさ。聞いたよ、鬼塚さん傷心なんだって? 恋人と別れたそうじゃないか。いやぁ、あれほどのお方でも、振られたりするんだな」
何の話だよ。
「だから他の誰かと行ってきたらどうですかってね、僕が提案したんだよ」
「だからって、俺じゃなくても……」
「あ、研修じゃなくて、接待でもいいよ。そうだ、それがいい。パンフレット設置の効果も出始めてて、ありがたいことに先月から設定目標高を越えてるのも、HIKARI通商のおかげだしね」
「じゃあ旅費、うちが持つんですか?」
「そんなのは、無理に決まってるだろっ!」
突然、怒鳴られる。
「この宿、一泊いくらすると思ってんのっ? もう、何でもいいじゃないか、とにかく行ってくれよ。鬼塚さん言ってらしたよ、こういうときは気兼ねない相手と過ごしたいって。君、仲良いんだろ? だいたい、ああいう方と仲が良いってだけでもすごいことじゃないか。それなのに、いつも面倒そうにして。前から思ってたんだけど、小鳥遊くんって鬼塚さんにたいして敬意がないよね」
「はい?」
「もう少し丁寧に接した方がいいんじゃないか」
何故かダメ出しをする店長が、プラン表を突き返してくる。
「とにかく行ってきて。これは、業務命令だから」
もはや、断るすべは残されていないらしかった。
こう見えて、敬意がないわけじゃない。あれだけの立場にいながら、プレッシャーに屈することなく期待に応えているのだ。尊敬もすれば、感心もする。
ただ、関わり方がただの飲み友達という関係上、それを全面に出すということになっていないのだろう。
「つーか、やべえな。時間を買うって概念が、俺にもわかった気がする」
プライベートプールに浮かびながら、広くて青い空を見ているだけの時間は、無駄でありながら有意義だと今知った。
「空って、マジで青いんだな」
子供のころ以来、こんなふうに空を見上げるなんてこと、忘れていた気がする。
「ここ徹底してるよな。最低限のスタッフとしか、顔合わせないようになってんだな」
そのおかげで、非日常のプライベートな空間を作り出せているのだ。けして安くはないのに、人気があるのも頷ける。
「ウエルカムシャンパン、あれ美味かったな」
その上、部屋には寝室が2つあり、同じベッドで寝なくていいのは助かった。ファミリー客などにも対応するためだろう。そう考えると、店長の言う通り、男性客だけというのもありなのかもしれない。
「なあ、さっきフロント対応した女、可愛くなかったか?」
ああいう女は、地味で一見目立たないけれど、素材がいいというタイプだ。
「あれ絶対、あんたのこと意識してたよな。ちょっと顔赤くなってたぞ」
目も泳いでたしな。それがまた、可愛かった。
「あんたって、そういうのも思わねえの? 可愛いくらいは思うだろ?」
純は普通に思う。ヤリたい、とならないだけで、可愛いだとかいい女だとかは思ったりする。
「つーか、あんたがゲイだっての、店長、知らないだろうな」
知っているのと知らないのとでは、純と鬼塚の関係性の認識が大きく変わる。
「店長に言われたよ。もう少しあんたに丁寧に接した方がいいって。丁寧に接するってどんなだ?」
言葉づかいを直せということだろうか。ただ言葉づかいに関しては、今さら戻せない。丁寧からくだけることは出来ても、くだけている状態から丁寧に戻すのは難しい。
「おい、聞いてんのかよ」
水に浮いていた身体を起こし、プールの底に足を付いて立つ。そうした純を見ることなく、本に視線を向けたままの鬼塚が軽く頷いた。
「聞いてる」
青い空に、真っ白のパラソル。長袖の白いシャツに、下はいちおう水着なのか黒のハーフパンツ。プールサイドに置かれていたビーチチェアにゆったり座り、本を読みながらグラスビールを飲むという贅沢。イメージとしては、優雅なフランスの避暑地だ。いやでも、飲んでいるものがビールなので、フランスではなくドイツなのか? ただ、ドイツの避暑地が想像出来ないので、フランスにしておこう。
「あれは、俺じゃない」
そう言いながらも、視線は本を向いたまま。そんなに面白いことでも書いてあるのか?
「おまえ、あの子のこと、あからさまに見てただろ」
確かに見ていた。肌がやけに綺麗だったからな。
「俺じゃなく、おまえの視線を意識してたんだよ」
そうだとしても、そんなことはどうでもいい。どうせ性欲に繋がらない相手だ。
「あんたって、椿さんと来てても、そんな感じだったのか?」
「そんな感じとは?」
相変わらず視線は本へと向けられたまま。水の抵抗を受けながら鬼塚の傍まで行き、水に浸かったままの状態でプールサイドに腕を置いた。
「椿さん放置で、本とか読むのかってことだよ」
「咲久と来るつもりはなかった」
「は? じゃあ最初からキャンセルするつもりだったのか?」
驚いて聞くと、傍のテーブルに置かれたビールグラスを手に取り、一口飲んだ。
「松田にやろうと思ってたんだよ。何だかんだで、世話にもなってるからな。たまには、返しとかないとと思って。女とでも行けばいいと思ったんだよ」
そういうことか。いくら男同士でも変ではないにしても、やはり男女のカップルの方がいいだろう。
「てことは、松田さんがいらねえって?」
「いや、聞いてない」
「なんでだよ。喜んでくれるだろ。あの人こそ時間あるんだし」
ようは、この旅行をプレゼントするつもりだったってことだ。都合がつかないわけでもない松田が、断るとも思えない。
「ここ予約したときは、あいつまだ結婚決めてなかったからな。でも、決まっただろ?」
「決まったらどうなんだ?」
よくわからず聞くと、ビールをテーブルに戻し。
「あいつら、三ヶ月かけて、世界一周するらしい。そんな新婚旅行に行くやつに、この程度の旅行プレゼントしてもな」
三ヶ月って……。
逆に都合つき過ぎだろ。さすがは松田だ。もはや、松田に限っては驚かなくなっている自分に驚きだ。
「だから、代わりにマンションやったよ」
「え、嘘だろ……」
「嘘吐いてどうする。結婚祝いってことにしておいた。あいつ気に入ってたよ。日向のセンスをやたら褒めてて、喜んで住むってよ」
いや、色々とおかしいのはわかっている。ただ、相手はセレブ中のセレブだ。渡す方も渡す方なら、気軽にもらう方ももらう方で、どちらも一般常識からはかけ離れている。
「まあ、やるって言っても名義は代えてないけどな。あいつが好きなだけ住んで、飽きたって言うなら売るよ。どうせ俺はいらねえからな」
ある意味、無難な使い道なのかもしれない。咲久と暮らすことが前提にあった以上、鬼塚がひとりで住むわけにもいかないのだろう。
「ああ、これね。いいよ、行って来て。あ、有休申請は忘れず出しておいてね」
やけにアッサリと言われ、状況が理解出来ず首を傾げる。
「は? いや、行きませんよ。つーか、キャンセルしておいてください」
純がそう言ってプラン表を店長のデスクに置くと、「えー!」と大声を出された。
「小鳥遊くん、それ本気? いやいやいや、キャンセルとか今さら無理だよ。この宿とるのに、どれだけ苦労したと思ってんの? ダメダメ、絶対キャンセルはしないからね。君だって、わかるだろ」
わかるだろと聞かれると、確かにわからなくはない。ただ、純が行くとなると別問題だ。
「いいじゃないか。行っておいでよ。あ、何なら有休じゃなくて研修扱いにしてもいいよ。こういう宿に宿泊するって、なかなか出来ないしさ。そうだ、そうしよう。研修ってことで、行ってくればいい」
「何言ってんですか、行きませんよ。だいたい、男同士で行くようなとこでもねえし」
「そうかな? 別にいいんじゃないか。近くにゴルフ場なんかもあるし、男性客だけってこともあるだろ」
そういえば、有名なゴルフコースがあったな。
「いい機会だから、リフレッシュしておいでよ。だいたい君、ここ最近まともに仕事出来てないじゃないか。プライベートに干渉する気はないから、事情は聞かないけど、私生活乱れてるんじゃないのか? いや、いいんだ。別に、責めるつもりはないからさ。そりゃ、誰だって色々あるだろうしね。僕だって、そういう時もないわけじゃないしね。だからさ、このさいだから、ちょっとゆっくりしてくるってのも悪くないだろ?」
まあ、それを言われると返す言葉もない。ここ一週間ほど飲んでないってだけで、それまでは毎晩飲んでいたのだ。当然、仕事にも影響していたはずだ。
「つーか、どうして俺が行くって話、店長が知ってんですか」
「だって、鬼塚さんがキャンセルしたいって仰るから……。それは困ると思ってさ。聞いたよ、鬼塚さん傷心なんだって? 恋人と別れたそうじゃないか。いやぁ、あれほどのお方でも、振られたりするんだな」
何の話だよ。
「だから他の誰かと行ってきたらどうですかってね、僕が提案したんだよ」
「だからって、俺じゃなくても……」
「あ、研修じゃなくて、接待でもいいよ。そうだ、それがいい。パンフレット設置の効果も出始めてて、ありがたいことに先月から設定目標高を越えてるのも、HIKARI通商のおかげだしね」
「じゃあ旅費、うちが持つんですか?」
「そんなのは、無理に決まってるだろっ!」
突然、怒鳴られる。
「この宿、一泊いくらすると思ってんのっ? もう、何でもいいじゃないか、とにかく行ってくれよ。鬼塚さん言ってらしたよ、こういうときは気兼ねない相手と過ごしたいって。君、仲良いんだろ? だいたい、ああいう方と仲が良いってだけでもすごいことじゃないか。それなのに、いつも面倒そうにして。前から思ってたんだけど、小鳥遊くんって鬼塚さんにたいして敬意がないよね」
「はい?」
「もう少し丁寧に接した方がいいんじゃないか」
何故かダメ出しをする店長が、プラン表を突き返してくる。
「とにかく行ってきて。これは、業務命令だから」
もはや、断るすべは残されていないらしかった。
こう見えて、敬意がないわけじゃない。あれだけの立場にいながら、プレッシャーに屈することなく期待に応えているのだ。尊敬もすれば、感心もする。
ただ、関わり方がただの飲み友達という関係上、それを全面に出すということになっていないのだろう。
「つーか、やべえな。時間を買うって概念が、俺にもわかった気がする」
プライベートプールに浮かびながら、広くて青い空を見ているだけの時間は、無駄でありながら有意義だと今知った。
「空って、マジで青いんだな」
子供のころ以来、こんなふうに空を見上げるなんてこと、忘れていた気がする。
「ここ徹底してるよな。最低限のスタッフとしか、顔合わせないようになってんだな」
そのおかげで、非日常のプライベートな空間を作り出せているのだ。けして安くはないのに、人気があるのも頷ける。
「ウエルカムシャンパン、あれ美味かったな」
その上、部屋には寝室が2つあり、同じベッドで寝なくていいのは助かった。ファミリー客などにも対応するためだろう。そう考えると、店長の言う通り、男性客だけというのもありなのかもしれない。
「なあ、さっきフロント対応した女、可愛くなかったか?」
ああいう女は、地味で一見目立たないけれど、素材がいいというタイプだ。
「あれ絶対、あんたのこと意識してたよな。ちょっと顔赤くなってたぞ」
目も泳いでたしな。それがまた、可愛かった。
「あんたって、そういうのも思わねえの? 可愛いくらいは思うだろ?」
純は普通に思う。ヤリたい、とならないだけで、可愛いだとかいい女だとかは思ったりする。
「つーか、あんたがゲイだっての、店長、知らないだろうな」
知っているのと知らないのとでは、純と鬼塚の関係性の認識が大きく変わる。
「店長に言われたよ。もう少しあんたに丁寧に接した方がいいって。丁寧に接するってどんなだ?」
言葉づかいを直せということだろうか。ただ言葉づかいに関しては、今さら戻せない。丁寧からくだけることは出来ても、くだけている状態から丁寧に戻すのは難しい。
「おい、聞いてんのかよ」
水に浮いていた身体を起こし、プールの底に足を付いて立つ。そうした純を見ることなく、本に視線を向けたままの鬼塚が軽く頷いた。
「聞いてる」
青い空に、真っ白のパラソル。長袖の白いシャツに、下はいちおう水着なのか黒のハーフパンツ。プールサイドに置かれていたビーチチェアにゆったり座り、本を読みながらグラスビールを飲むという贅沢。イメージとしては、優雅なフランスの避暑地だ。いやでも、飲んでいるものがビールなので、フランスではなくドイツなのか? ただ、ドイツの避暑地が想像出来ないので、フランスにしておこう。
「あれは、俺じゃない」
そう言いながらも、視線は本を向いたまま。そんなに面白いことでも書いてあるのか?
「おまえ、あの子のこと、あからさまに見てただろ」
確かに見ていた。肌がやけに綺麗だったからな。
「俺じゃなく、おまえの視線を意識してたんだよ」
そうだとしても、そんなことはどうでもいい。どうせ性欲に繋がらない相手だ。
「あんたって、椿さんと来てても、そんな感じだったのか?」
「そんな感じとは?」
相変わらず視線は本へと向けられたまま。水の抵抗を受けながら鬼塚の傍まで行き、水に浸かったままの状態でプールサイドに腕を置いた。
「椿さん放置で、本とか読むのかってことだよ」
「咲久と来るつもりはなかった」
「は? じゃあ最初からキャンセルするつもりだったのか?」
驚いて聞くと、傍のテーブルに置かれたビールグラスを手に取り、一口飲んだ。
「松田にやろうと思ってたんだよ。何だかんだで、世話にもなってるからな。たまには、返しとかないとと思って。女とでも行けばいいと思ったんだよ」
そういうことか。いくら男同士でも変ではないにしても、やはり男女のカップルの方がいいだろう。
「てことは、松田さんがいらねえって?」
「いや、聞いてない」
「なんでだよ。喜んでくれるだろ。あの人こそ時間あるんだし」
ようは、この旅行をプレゼントするつもりだったってことだ。都合がつかないわけでもない松田が、断るとも思えない。
「ここ予約したときは、あいつまだ結婚決めてなかったからな。でも、決まっただろ?」
「決まったらどうなんだ?」
よくわからず聞くと、ビールをテーブルに戻し。
「あいつら、三ヶ月かけて、世界一周するらしい。そんな新婚旅行に行くやつに、この程度の旅行プレゼントしてもな」
三ヶ月って……。
逆に都合つき過ぎだろ。さすがは松田だ。もはや、松田に限っては驚かなくなっている自分に驚きだ。
「だから、代わりにマンションやったよ」
「え、嘘だろ……」
「嘘吐いてどうする。結婚祝いってことにしておいた。あいつ気に入ってたよ。日向のセンスをやたら褒めてて、喜んで住むってよ」
いや、色々とおかしいのはわかっている。ただ、相手はセレブ中のセレブだ。渡す方も渡す方なら、気軽にもらう方ももらう方で、どちらも一般常識からはかけ離れている。
「まあ、やるって言っても名義は代えてないけどな。あいつが好きなだけ住んで、飽きたって言うなら売るよ。どうせ俺はいらねえからな」
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