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運命の人
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しおりを挟む蕎麦、オムライス、ミートスパゲティ、から揚げ弁当。
いやここは、手軽におにぎりってのもありだ。それなら片手でパソコンが打てて、昼だからといって手を休めることなく仕事がはかどる。
咲久の店に行った日から三日が過ぎた。その時間経過は、元樹との別れを受け入れた期間とも言える。
昨日の夜、元樹から電話が入った。用件はわかっていたし、元樹が言いたいだろうこともわかっていた。だから、あえて電話に出てやらなかった。簡単に終わらせるなという意地ってだけで、たいした意味はない。
電話に出ないので仕方ないと思ったのか、元樹はメッセージを送ってきた。
【あのソフトなくしたと思ってたのに、おまえがずっと持ってたのか?】
持っていたわけではない。隠したことを忘れていただけだ。
【財布いらねえのか? ずっと使ってただろ】
んな、未練がましいこと出来るか。新しいのを買ったに決まってるだろ。
【次の更新までの家賃、今まで通り俺も持つ。いつも通り振り込んでおくよ】
バカじゃねえのか。んな高給でもねえのに、かっこつけてる場合かよ。
【おい、純。見てんだろ?】
嫌でも画面に出るからな。こうして字面で見ると、俺って意外といい名前だな。
【後悔してない】
なにをだよ。
【おまえといた9年のこと、後悔もしてないし、幸せだった】
当たり前だ。元樹の幸せのために、純は生きていたのだから。
【俺たちが、初めてキスしたときのこと覚えてるか?】
いつの話だ。正直、あんま覚えてねえよ。
【カナに気持ち悪いって言われたことを、おまえが俺に話したよな】
そうだった。元樹の部屋で、その話をしたときだ。
【あのとき、おまえは気持ち悪くないって俺が言ったんだよな】
やめてくれ。思い出すだろ。
【思い出したよ】
俺も今、鮮明に思い出した。「おまえ、別に気持ち悪くねえよ」と言い、何の躊躇いなく純の頭を引き寄せたのは元樹の方だった。
【俺からだったな】
そうだ……元樹からだった。
慣れた手つきで、まるで女にするみたいに。あのとき、思ったのだ。こいつ、こんなふうに女を扱うのかと。元樹を友人ではなく、男として意識した瞬間だった。
自分の中にあった、男に惹かれる不確かなセクシャリティが、あのキスで確信に変わった。
誰にも取られたくない。元樹の隣に自分以外の誰かがいるなんて許せない。女を抱くなんて、考えただけでも吐き気がする。引き寄せた手も、触れた唇も、温かみのある穏やかな声も、部屋の匂いさえ自分だけのものにしたかった。そのためには、何だってしたし、実際やってきた。
画面の文字がユラユラと滲む。あれだけ泣いたのに、まだ泣けるらしい。
【別れるために言うんじゃねえからな】
わかってる。
【好きだった】
俺もだ。
【認めるよ。おまえの言う通り、俺はおまえを好きだったよ】
俺も、おまえが好きだった。
他の誰よりも、元樹が好きだったよ。
初めて送られてくる甘い言葉が、別れ際だということがすべてを物語っている気がした。
結局は、から揚げ弁当にして、最近まともにしていなかった仕事を片付ける。元樹を失ったからといって、純の人生はこれからも続いて行くのだ。ヤケになって、職を失っている場合ではない。
新しい部屋探しをするため、不動産屋に寄ろうかと考えながら仕事を終える。次の更新まで待ってはいられない。律義な元樹のことだ、今のままでは本当に家賃を振り込んでくるだろう。
このさい、ワンルームでもいいのかもれない。どうせひとりだ。部屋などいくつもいらないだろう。職場から近いのは便利でも、生活範囲は狭くなる。となると、当然探す範囲も広がるということだ。
だいたい、世間は何を基準に家を選んでるんだ?
前はふたりが前提なので、選択肢は限られていた。そもそも、大人になる前から元樹と一緒にいた純にとって、ひとりで何かを決める、ということ事体あまりしたことがないのだと気付いた。
そんなことを考えながら、従業員用出口から外へ出ると、いつかと同じようにその男が立っていた。
一瞬足を止めると、純に気付いた鬼塚が顔を上げる。会うのは一週間ぶり。ただ、最悪なことに、最後に会ったときの純は、グダグダもいいところだった。多少、翌朝には持ち直したとはいえ、鬼塚の前で泣きまくったことには変わりはない。
「なんだよ。用があるなら電話しろよ」
番号は前に教えたはずだ。もしかして、なくしたんじゃねえだろうな。そういえば、鬼塚から電話が掛かってきたことなど一度もない。
電話で連絡を取るだとか、待ち合わせるだとか、次の約束をする、ということをしたことがないわりに、何故か鬼塚とはよく会っている気がする。
どうせ、車に乗れと言われるだろうことを見越し傍まで行くと、純の顔をジッと見て声を出した。
「何かあったのか?」
「何かって?」
聞かれた意味がわからず首を傾げると、鬼塚の手が顔に近づいた。その手が頬を包み、親指が目元に触れる。
「泣いたのか?」
泣いた……な。そういえば、昨日泣いた。
「いや、だからって、何やってんだよ。やめろよっ」
慌てて、鬼塚の手を払う。ゲイの男に頬を触られている、なんて状況を職場の人間にでも見られたら一貫の終わりだ。
「会ったのか?」
相変わらず不親切な言葉だ。ただ、聞きたいことはわかる。元樹に会ったのかを聞いているのだろう。
「会ってねえよ」
「だったら……」
「何だよ、あんた俺の傷口ひろげに来たのかよ。そうだよ、会ってねえけど、昨日別れたんだよ。会うどころか、電話で話すのも嫌で、メールで終わったよ。つーか、何年も一緒にいて最後がメールって、なかなか斬新だろ?」
斬新という言葉の使い方があっているのかどうかは、このさいどうでもいい。
「まあ、俺が未練がましいこと言ってなければ、もっと前に終わってただろうこともわかってるから、そこは突っ込んでくんなよ」
これ以上この話はしたくない、とでもいうように言い捨てると、人の不幸を笑う男がポケットから封筒を出した。
「おまえって、予想をはるかに超えてくるな」
これは、さすがの純でも意味がわからない。不親切ではなく、もはや意味不明なことを言う鬼塚が差し出した封筒を無意識に受け取った。
「なんだよこれ」
「有給取れ。おまえが行かないなら、キャンセルでいい」
「は?」
「おまえとしか、行く気はないからな」
純を車に乗せる気はないのか、車に乗り込む。いや、いったい何しに来たんだよ。飯でも奢ってくれるのかと思っていたのに、どうやらそうではないらしい鬼塚が窓を開けた。
「斬新でもなんでも、俺的にはメールで正解だ」
別に、正解も不正解もないだろ。ただ、そうなったってだけだ。
「もう泣くな。おまえが泣いてる姿は、誰にも見せたくねえからな」
どういう意味だ?
静かに、窓が閉まる。鬼塚が前を向くと、それを合図に車が動き出す。
誰にも見せたくない?
そんなのは、当たり前だけどな。純だって誰にも見せたくなかった。出来ることなら、泣きたくなどなかったのだ。何が悲しくて、いい歳した男が、恋人に振られたからって泣くんだよ。それこそ、黒歴史だ。
ふと手に持つ封筒の中を見ると、いつか店長が作成した旅のプランが入っていた。そういえば、このプランを鬼塚は気に入り、予約をしていたはずだ。本来なら1日一組限定の宿は、数年先まで埋まっていてとれない。そこを店長の頑張りで数か月先の空きを見つけ出し、宿と交渉し鬼塚に提案したのだ。
まさか、有給ってこれのことか?
純が行かないのなら、キャンセルでいいと言ってなかったか?
マジかよ……。
店長には悪いけど、キャンセルしてもらうしかない。
どう考えても、男がふたりで行くような宿ではないからだ。キングサイズのベッドには花びらが散りばめられ、ウエルカムドリンクは最高級スパークリングワイン。プライベートプールに、シーサイドダイニング。一組限定なので、当然すべての施設が貸切り状態となる。
最高の贅沢が謳い文句の宿は、同時に至極のムードを演出してくれるのだ。百歩譲って、たとえ男同士だとしても、咲久と行くならわからなくもない。ただ、こうなってしまい、咲久とは行けなくなったのだろう。
だからといって、純を誘うことはないだろ。
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