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運命の人
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しおりを挟むその日咲久は、店を閉めてから、日向が宿泊しているホテルへと向かった。
純が店に来たこと、渡された物があること、それを持って行くと連絡しただけで詳細は伝えていなかった。
部屋の前に立ちノックすると、すぐにドアが開く。約一ヶ月ぶりに会う日向は、しばらく咲久を見つめた後、いつもの優しい笑顔を見せてくれた。
「あんま、久しぶりって感じしませんね」
そうだろうか。咲久は久しぶりだと感じる。
「久しぶりですよ」
思ったことを正直に言うと、笑った日向がどうぞとドアを大きく開けた。
ホテルの部屋の中は、長期滞在しているわりに私物はほとんどない。それは、意図してそうしているわけではなく、結果的に長くなっているだけのことなので、当たり前なのかもしれないと思った。
日向がベッドの端に腰かける。その前に紙袋を置くと、中を覗き込みしばらくして咲久を見上げた。
「これを、純が?」
咲久が頷くと、そうですかと呟いた。
「日向さんに伝えて欲しいって。日向さんが……小鳥遊さんのことを好きだったって認めるなら、別れてもいいと」
その言葉を聞いた日向が、困ったように笑う。そして、袋の中からスマホケースを取った。
「これ、同じ物使ってたせいで、最初はよく間違えたんですよね。どっちのかわからなくて」
それはそうだろうと思う。
それでもお互いが使い続けたのは、たいした問題じゃなかったからだ。間違うことの不便さより、使い続けることが大事だった。日向と純の関係上、お揃いで持つことに意味を見出していたわけではないだろう。ただ、受け取った方が、渡した相手の気持ちを大切にしたかったってだけだ。そうしてお互いに想い合ってきた日向と純。
スマホケースを見つめ、小さな声を出す。
「あいつに好きじゃなかったって言ったんです。だから、そんなことを言ったんだと思います」
「そうですか……」
咲久が呟くと、スマホケースから視線を上げた。
「認めると嫌ですか?」
嫌も何も、事実なのだから。首を横に振ると、日向が手を伸ばし咲久の手首を掴んだ。
「だったら認めます。俺は純を好きでした。椿さんを想う気持ちとは少し違いますけど……俺は純を好きだった」
「はい……」
「でも、今はあなたが好きです。今もこれからもずっと、俺が会いたいのは椿さんですから」
僕も同じです、と言おうとした言葉は、日向のキスによってかき消された。掴んだ手首を引かれ、少し強引にベッドに倒される。漂白系だろうか、ほんのり薬品の匂いがするシーツに横たわった咲久を、日向が抱きしめた。
「会いたかった。バカみたいに、毎日それしか考えてませんでした」
優しく髪を撫でられ、泣きそうになった。日向は咲久の欲しい言葉をくれる。愛情を、態度で示してくれる。だから好き、というわけではないけれど、自信のない咲久にとっては安心できるのだ。
わかりにくい愛情では不安ばかりが募り、好きという感情も見失ってしまう。咲久にとって、日向は理想的な相手なのだ。運命だったんじゃないかと思うほどの。
「どうします、ここから先」
咲久を抱きしめたままの日向の言葉に、胸がドクリと音を立てた。久しぶりの日向の匂いに、下半身が疼いていることを悟られただろうか。気付かれない程度の動きで僅かに腰を引くと、前髪にキスをする日向が咲久の目を覗き込み。
「いつまでもホテルってわけにもいかないし、やっぱ部屋、借りるべきですよね」
ここから先、の意味がそっちだったのかと思うと同時に、浅ましいことを考えた自分を恥じた。日向といると、どうにかなったのかと思うほど、欲情してしまう。
キスがしたい。触れたい。触れて欲しい。抱きしめられたい。
前はそう思うのは、欲求不満だからだと思っていたけれど、今になるとそうではなかったのだとわかる。もしかすると『好き』という言葉だけでは伝えきれない溢れる想いを、行為に変えて相手にぶつけたいのかも知れない。
「どう思います?」
「え……どうって」
「俺が部屋を借りて、椿さんが時々来るってスタイルにしますか?」
それだと時々しか会わないということだ。せっかく純との問題が解決するというのに、時々しか会えないなんて。そう思っていると、日向が優しく笑う。その顔は、優しいのに、どこか意地悪くも見える。
「それか、俺は実家に帰って、時々椿さんの家に行くってのもありですね。実家、遠いわけじゃないんで」
どちらにしても時々という言葉を使われて、寂しさから視線を逸らすとクスッと笑った日向が、咲久を強く抱きしめ直した。
「言ってください。椿さんは、どうしたいですか?」
そんなの決まってるし、日向もわかっているはず。それなのに、あえて咲久に言わそうとしているのだ。愛おしそうに強く抱きしめておきながら、意地悪なことを言う。こうなって知った、意外な一面。
「時々は嫌です……ずっと一緒にいたいです」
「でも俺、椿さん養えるほどの稼ぎないですよ。部屋も広いとこ借りられるわけでもないし」
「養ってもらおうなんて思ってませんし、僕の部屋でよければ、そこで……」
「嫌です」
ハッキリとそう言った日向が、はあと溜め息を吐き。
「あそこは嫌なんです。俺のものじゃないって思いながら椿さんを抱いていたあの部屋は、ちょっと」
日向の気持ちは、咲久にも何となくわかった。不貞から始まった始まりを、引きずりたくないのだ。ふたりの出会いを否定するわけではないけれど、どうせなら心機一転したいと思うのだろう。
「じゃあ、部屋探しましょう。僕、狭くてもいいです。日向さんと一緒なら、どんなとこでもいいんです」
一日の終わりに、日向と共にいられるのなら。
「そうですね」
優しく頷いた日向が、腕の力を緩め咲久の顔を見た。
「抱いてもいいですか?」
ふいにストレートに聞かれて、呼吸が止まる。聞かなくてもいいのに。今の咲久は、他の誰でもない日向のモノなのだ。好きにしていいし、好きにして欲しい。小さく頷くと、額にキスをされ。
「ずっと会えなかったから、正直すげえ溜まってるんです」
そんなのは咲久も同じだ。こうしているだけで下半身が疼くのだから。
「好きです。どうかしてんじゃねえかってほど、好きです。だから、優しくするべきなんでしょうけど、今すぐ突っ込みたいとも思ってて……」
「いいですよ、好きにしてください」
こう見えて、咲久だって腐っても男なのだ。男の本能を理解もできる。
「いいんですか? 俺は、甘えますよ? どんなときでも冷静で大人な、あの人みたいには……」
「わかってます。だから日向さんが好きなんです。僕を甘やかすように、日向さんも僕に甘えてください」
恋人関係は一方通行では成り立たない。相手に寄りそい、時に受け入れることも必要なのだ。
「それに……僕も、我慢できそうにないですし」
して欲しいことは口に出して言えばいい。それを教えてくれたのは日向だから。
日向がクスリと笑う。
「椿さんって、セックス好きですよね」
そうなのだ。本当はそうなのに、そうじゃない顔をして今まで生きてきた。自身のセクシャリティに悩んでいた頃、いやらしいことを考える自分はおかしいのだと思い込み過ぎたのかもしれない。だから、優人にも言えなかった。与えられる範囲の快楽だけで満足するべきだと、それ以上は求めてはいけないのだと、本当はもっといやらしいこともしたいし、して欲しかったのに。
「好きだと嫌ですか?」
咲久が聞くと、首を横に振る日向が頭を抱えるように抱きしめ、頭頂部にキスをするよう口づけた。
「嫌じゃないですよ」
優しい声が頭の上で響き。
「どんな椿さんも好きですよ。だから、もっと俺に見せてください。椿さんの全部を知りたいし、知った上で愛したい」
それは咲久も同じだ。もっと日向を知りたいし、深く愛したい。
「僕も日向さんの全部を知りたいです」
咲久がそう言うと、身体を起こした日向が咲久の上に重なり甘く囁いた。
「じゃあ、まずはキスから……」
こんなふうに、ひとつずつ、丁寧に見せ合おう。
臆病で、いやらしい自分も、日向といれば悪くないと思える。大丈夫、咲久は咲久でいいのだと思わせてくれるのだから。
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