運命の人

悠花

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運命の人

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 日向と会わなくなってから、一ヶ月近くなる。
 その間、スマホでメッセージを交わしたのは、三回ほど。だけど、不思議と不安はなかった。信じると決めたのだから、信じて待っていればいい。そう思えるのは、相手が日向だからなのだろう。

 その時はわからなかったけれど、今ならわかることがある。いつも公園で待っていた日向には、きっと咲久には想像も付かないほどの葛藤があったはずだ。日向と純は、咲久と優人とは違い、上手く行ってたいたのだから。その生活を壊す恐れを抱きながらも、日向は咲久に会いに来ていた。身体だけの関係を変えようとしたのも、優人と別れて欲しいと言ったのも、すべて日向の方からだった。その想いに嘘があったとは思えない。
 咲久が恋したように、日向も恋してくれたのだ。そう思うと、いくらでも待てるし、黙って待つことが今の咲久に出来る唯一のことだった。

 心配をかけた沙織には、状況を報告していた。
 優人と別れたこと、今は日向の方が別れ話の最中だということ。いちおう、すべて話しはしたけれど、さすがに日向の相手が純だとは言っていない。純のプライバシーを考えてのことだというのも、もちろんあるけれど、単純に純を気に入っている沙織には言いにくかった。

 平日の昼下がり、客が引けたのを見計らって、昼を食べに出ようかと考えていた時、店のドアが開きその人が入ってきた。完全に予想外の出来ごとに唖然とした。
 どうもと軽く声を出した純が店の中へと入ってくる。スーツではない私服姿の純の手には、大きな紙袋。いつかも見た光景に、そういえばあのパジャマはどうなったのだろうと、どうでもいいことを思い出した。
 どうして純が来るのか、まったくわからない咲久がとにかく驚いていると、カウンターの前まで来た純が突然紙袋を逆さまに向けひっくり返した。バラバラと落ちてくる物が、カウンターの上で散らばる。中には落ちそうになる物もあり、気が付くと手を出して落ちないように抑えていた。
 人間の反射神経は、こんなときでも発揮されるらしい。
 何がしたいのか、どうしてそんなことをするのか、すべてが意味不明だったけど、抑えきれなかった物が床に落ちたので、それを拾うため屈む。手に取ってから、見たことのある物だと気付いた。

「それ、二年前に俺が元樹に買った物と同じ財布」

 純の言う通り、日向が使っている財布と同じ物だった。何も入ってなさそうな財布を拾い、屈んでいた身体を戻すと、カウンターの上に散らばる物の中からひとつを手に取り声を出した。

「これは、大学時代に元樹が俺に買ってきたものだ」

 そう言った純の手には、大音量と書かれた四角い目覚まし時計。

「俺がバイトあんのに、携帯のアラームだけでは起きられなくて、何回か遅刻したことあって、で、あいつがこれを」

 いったい何の話なのかサッパリわからない。唖然とする咲久を無視して、今度は別の何かを取る。

「これは、俺の就職が決まったとき、何かくれよって言ったら、あいつが仕方なく就職祝いにって」

 万年筆なのか、高級ボールペンなのかはわからないけれど、そういった類の物だとわかった。

「これはあいつが車の免許取って、初めてふたりでドライブに行った帰りに寄った店で買ったものだ」

 そう言いながら、高速道路のパーキングエリアの名前が入ったキーホルダーを掲げる。
 さすがの咲久にもわかった。カウンターに散らばる様々な物は、日向と純の想い出の物なのだ。
 キーホルダーを投げるように戻し、雑に物を退ける純が、同じ物をふたつ取り上げた。

「これは、2年前まで使ってたスマホケース」

 革製のスマホケースは、それぞれ使い込まれているけれど、色も形もまったく同じ。

「で、これは、4年前あいつにやった、マウス。付属のマウスが使いにくいって言うから、俺が買ってやったんだよ」

 手に馴染むよう設計されているパソコンマウスは、きっと使いやすいのだろう。

「もう、電源入るかわかんねえけど、これは高校時代にハマったゲーム機だ」

 そう言ったゲーム機を置いて、次に手に取ったのは、小さなゲームのソフト。

「あいつ、ゲーム好きなんだよ。だから対戦しても、いつも俺が負けて。ムカつくから、しばらくこれ隠してやったんだよな」

 高校、大学、車の免許、就職。日向の人生の節目には、必ず純が隣にいたのだ。どの瞬間も、どのイベントも、純と共に過ごしてきたという証拠がカウンターの上に散らばっている気がした。
 まだまだある物をすべて説明する気はないのか、ゲームソフトを置いた純が顔を上げる。怒っているようにも見えるし、ただ真剣な顔をしているだけにも見えた。
 真っ直ぐに見られて、居たたまれなさに思わず俯く。さすがにこんな物を見せられて、ああそうですか、とは思えない。
 カウンターの向こうの純が、静かな声を出した。

「これでも俺を好きじゃなかったって言えんのかよ」

 日向が好きじゃないなんてこと、あるはずないのに、何故かそんなことを言い出す純。

「持って来れねえ物も、山ほどあんだよ。リビングのソファは元樹が買ってきたし、テーブルは俺が買った。セミダブルのベッドは、ふたりで買いに行ったんだよ。そういうの全部、なかったことにするつもりかよ」

 なかったことになど出来るわけない。

「あいつに言っといてくれ」

 日向と、沢山の時間を共有してきた男が、深く息を吸った。

「俺を好きだったって認めんなら、別れてやるよ、ってな」

 別れを口にした純が、長居するつもりはないのか、サッサと店を出て行く。
 よくわからなかった。何故、それを咲久に言いにきたのか。久しぶりの純は少し痩せたようにも見えるけど、やっぱりかっこよくて、沙織がいたら間違いなく喜んだだろう。
 目の前にあるたくさんの小物。これらは、古い物も新しい物も、大きい物も小さい物も、すべて日向と純の物だったのだ。
 追いかけるように、咲久が店を出ると、黒の薄手のニットを着る純の背中が見えた。色こそ違うけれど、それはいつか日向が着ていたニットに似ていた。

「待ってくださいっ……」

 歩道で立ち止った純が、ゆっくりと振り返った。怒っているだろう。当然だ。だからってわけじゃない。ただ、咲久は思うことを伝えたいだけ。

「日向さんが何言ったのか、僕は知りませんけど、日向さんがあなたのことを好きじゃなかったなんてこと、絶対にありえません……」

 認めるもなにもないのだ。

「だって、僕はあなたに嫉妬してたんですから。日向さんに愛されるあなたが羨ましかった。あなたのように愛されたら、僕だって少しは幸せになれるのにって、そう思ってましたから」

 日向の温かな愛に包まれる純が、羨ましかった。

「日向さん言ってました。僕がどうしてカミングアウトしてないのか聞くと、誰かに知ってもらうために、あなたと付き合ってるわけじゃないって」

 そのとき思ったのだ、なんていい言葉なのだろうと。

「それ聞いて思いましたよ。ああ、本当に好きなんだなって。誰にも知られなくても、誰にも理解されなくても、あなたと一緒にいたいってことなんだなって」

 それで好きじゃないなんて、どう解釈すればそうなるのか、逆に聞かせて欲しいくらいだ。

「それに、日向さん悩んでました。本当は親にだけはカミングアウトしたいんだって。だけど、出来ないって。それは、あなたがひとりっ子だから。あなたの親を悲しませたくないって。それって、好きだからじゃないんですか?」

 そういうことなのだ。日向は間違いなく、心から純を愛してた。

「日向さんは、自分の親より、あなたの親を大切に思ってたんです。好きだったから、本当に愛してたから、他の誰でもないあなたの親だから……って、ことじゃないんですか?」

 ジッと咲久を見せていた視線が逸れ、歩道に落ちる。
 一瞬、泣くんじゃないかと思った。そんな顔にも見えたから。

「だからって、僕は諦めません。勝手だと言われても、最低だと罵られても、僕は日向さんを諦めるつもりはありませんから」

 いい人になろうなんてことは、もうスッカリ諦めている。誰かを傷つけてでも、という覚悟をしたのなら貫くべきなのだ。

「あっそ」

 まるで他人事のように軽く言った純は、それ以上何かを言うことなく去って行った。
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