運命の人

悠花

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裏切り

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 沙織の大学での話や、恋愛事情、友達の失敗談など面白おかしく聞く。
 もし、この先何かあったとして、咲久が今の仕事を失うことになっても、沙織だけは引き続き雇ってもらえるようお願いしようと思った。何の力もない情けない店長だけど、それくらいはしなければいけない。

 食べに行ったことにより、いつもより遅くなったので沙織を家まで送る。
 帰り際、ごちそうさまでしたと笑顔で言ってくれたことで、こんなことで喜んでもらえるなら、食事くらいもっと早くに奢っておけばよかったと思えた。
 沙織の家からの帰り道、日向と待ち合わせをしている公園を通ることにした。近道だというのもあるけれど、真っ直ぐ家に帰りたくないという気持ちがあったから。
 気を使わなくていい沙織との時間が、思いがけず楽しかったので、ひとりの部屋に帰ることに寂しさを覚えたのだ。
 咲久が公園に入ると、いつものベンチに座る人影が見えた。思わずポケットからスマホを出したのは、電話があったのか確認するためだった。
 着信はない。それなのにそこに座ってる意味がわらず、立ち止ると、咲久に気付いた日向が気まずい顔で視線を逸らした。

「え、電話、してませんよね」
「はい」
「じゃあ、どうしてここに……」

 いい大人が、用もないのに公園にいるのはおかしい。何より、この公園は日向の家の近くというわけではないはずだ。

「どこか行ってたんですか?」

 正面のブランコを見つめたまま、聞いてくる。

「はい、沙織ちゃんと、バイトの子ですけど、ご飯食べに行ってました」

 そんなことより、日向がここで何をしているのかを知りたい。咲久がそう思っていると、困ったようにふっと笑い上着のポケットから何かを出した。

「今日、鬼塚さんから連絡がありました」

 静かな声を出した日向のその言葉に、鳩尾の辺りがヒヤッとした。もしかして、バレたのだろうか。

「マンションの件どうなってるって聞かれました」

 そっちの件かとホッとする。そう思ったのは咲久だけなのか、日向は遠くを見つめたまま。

「実はちょうど昨日、最後の家具の搬入が終わったんです。だから、連絡しなければと思ってましたって言ったんです」

 というより、何の話なのだろう。そのことと、日向がここにいることが繋がらない。

「そうしたら、椿さんに渡しておいてくれって……」

 ポケットから出し手に持っていた物を、咲久に差し出す。
 それは、マンションの鍵だった。
 すべて日向に任せてあったので、鍵も渡していたのだ。仕事が終わったとなれば、鍵を返してもらうのは当然のことだろう。

「自分で言うのもどうかと思いますけど、いい部屋になりましたよ。あんな豪華な部屋で暮らせる人間って本当にいるんですね」

 そんなことを言われても、何一つ嬉しくない。

「知ってます? 家具の総額。俺が買うとなると、何年働かなきゃいけねえんだって話です」
「やめてください……」
「だからって別に、妬んでるわけじゃないんですけどね。俺は今の生活に満足してますし」
「そんな話はいいです。それより、待ってたのなら、どうして電話してくれなかった……」
「したくなかったんですよ」

 咲久の言葉を遮る日向の不機嫌な声が、公園の地面に落ちた。

「これ渡せば終わるなって」

 差し出された鍵は、いまだ受け取らないまま。終わりを告げる日向と、終わりたくない咲久の間に、ポツンと浮かんでいるように見えた。

「終わり……なんですか?」
「そうですね」
「もう、会いに来てくれないってことですか?」
「そうですね」
「僕は……日向さんが好きなのに?」

 困らせるだけだとわかっていても、言わずにはいられなかった。鍵と共に宙に浮いていた手が下ろされ、鍵がベンチの端にそっと置かれる。
 膝に腕を乗せ前屈みになった日向が、大きく溜め息を吐いた。

「俺も好きですよ。椿さんが、好きです」

 でも、と呟いた。

「鬼塚さんと暮らす椿さんを、俺は好きではいられません」

 そんなのズルイと思った。咲久は純と暮らす日向をいつも待っていたのだ。

「僕は好きなのに? 小鳥遊さんと暮らす日向さんを好きなのに?」

 責めたいわけじゃないけれど、日向がズルイことを言うから。

「毎回思ってました。今日で最後だって。だって、そうでしょう? 日向さんはいつも小鳥遊さんのところに帰るんだし。だからって、僕が平気だったとでも? 帰って欲しくなかったですよっ。ずっと一緒にいて欲しかったですよ。でも、出来ないのは日向さんだったじゃないですかっ!」

 今まで抑えていた感情が溢れだす。

「日向さんは、自分で言ってる通り、やっぱり優しくないです。僕には我慢させておいて、自分は嫌なんて、そんなのズルイじゃないですかっ!」

 夜の公園でいい大人が、いったい何を叫んでいるのかと思わなくもない。だけど、言わずにいられなかった。どれだけ日向がズルくても、咲久は好きなのだ。
 終わらせたくない。

「僕は構いません。日向さんは最初から小鳥遊さんのものですから。それをわかって、好きになったんだから、今さらそんなことで責めるつもりは……」
「純とは別れます」

 ふいにそんなことを言われて、言葉に詰まった。別れるとは?

「わかってましたよ。椿さんがそう思ってたことくらい。あなたは全部顔に出てますから。でも、言わなかった。一度も自分から会いたいとは、俺に言いませんでしたよね」
「それは、日向さんには小鳥遊さんがいるから」
「椿さんにはいないんですか? 椿さんにもいるじゃないですか、莫大な金をかけて愛してくれる男が。俺、前にも言いましたよね。連絡先を知ってるのは俺だけなんですか?」

 そうじゃないけど、迷惑を掛けると思ったから。

「思うじゃないですか。俺を好きでも、鬼塚さんと別れるほどじゃないんだろうなって。身体の関係だけを求められてんのかなって。会いたいのはいつも俺だったから」

 そんなふうに思っていたとは。昨日、日向は食事だけで帰って行った。身体だけの関係は嫌だと思っていたとしたら。

「俺に言わせると、椿さんの方がよほどズルイですよ。帰って欲しくないなら、そう言ってください。一緒にいたいなら、言えばいいじゃないですか。口に出して言ってくれれば、そうしますよ」

 そんな簡単なことだったのだろうか。言えば、帰らなかったし、一緒にいてくれたのだろうか。

「俺は思ってますよ。別れて欲しいって。だから言います、鬼塚さんと別れてください。あなたが誰かのものでいるのは、もう耐えられません」

 優人と別れる……。
 そんなことが出来るのだろうか。

「出来ないなら、終わりです。俺は、我慢も出来ないし、心が広いわけでもないですから」

 終わりたくはない。だけど、優人に別れることを言える気がしない。
 まったくわからないのだ。優人がどういう反応をするのか、サッパリわからない。
 ふとベンチに置かれた鍵が目に入った。言えるのだろうか。いくら咲久に興味がなさそうだったとしても、一緒に暮らすつもりでいるのは確かなのだ。
 日向と優人で迷っているわけじゃない。咲久が好きなのは間違いなく日向だ。だけど、どう切り出して何て言って別れを告げればいいのかがわからない。
 咲久が黙っていると、身体を起こした日向が小さく息を吐き出した。

「今、考えてること言って下さい」
「え……」
「別れたくない?」

 そうじゃない。

「思ってること言ってくれないと、どうしてあげるのが正解なのか、わからないじゃないですか」

 日向の言う通りだった。いつもこれでおかしくなるのだ。
 言えない、言いたくない、そんなことばかりで、結局は不満が溜まる。かといって、それをまた黙っているから、最悪の事態までいってしまうのだ。

「僕に言えるのかな……って。優人にどう言えばいいのかが、わからなくて」
「じゃあ、俺が言います」

 アッサリとそう言った日向が、咲久を見た。

「いいんですね。誰かを傷つけてまで、俺と一緒になる覚悟、ちゃんとありますよね?」

 確認するように聞かれて、頷いた。
 すでに、日向にはその覚悟があるのだ。だったら、咲久も覚悟を決めようと思った。
 本当は誰も傷つけたくなんかない。でも、そうはいかないのだ。もう、当たり障りのない態度でやり過ごすことは出来ない。恋人のいる日向を好きになるということは、そういうことだった。

 全部わかっていて、好きになったのだから。
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