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裏切り
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「店長、大丈夫ですか?」
客が引けたのを見計らった沙織が、心配そうな顔で聞いて来た。
大丈夫とは? これといって心配される自覚がなく首を傾げた。何かミスでもしたのだろうか。そう考えていると、客のいない間にと思ったのだろう、商品棚の埃をハンドモップで払う沙織が咲久を見ることなく言った。
「ちゃんと食べてます? 何か最近痩せてきてますよ」
その言葉に、思わず自分の身体を見下ろした。
「元々細いのに、それ以上痩せたりしたら心配になるんですけど」
自分が痩せたことなど、まったく自覚していなかった。思い当たる節はないかと考える。昨日は、日向とお好み焼きを食べたから、食べていないということはない。
違う、食べたのは昨日だけだ。日向が来ない日は、連絡があるのかないのかばかりが気になり、食事どころではない状況が続いている。もう終わりなのだろうか、このまま会えなくなるのではないだろうかと、そんなことばかりを考えているのだ。食欲など湧くはずがなかった。
「私が言うことじゃないでしょうけど……」
呟くように言った沙織が、言うべきが言わないべきか迷ったような間を空けてから、思い切ったように声を出した。
「今の店長見てると、辛そうにしか見えませんよ」
沙織がどこまで気付いているのか、正確なことはわからない。だけど、言われてみればその通りだと思った。
日向といて幸せを感じれば感じるほど、その何倍もの不安が襲ってくるのだ。帰って欲しくなくて、もっと一緒にいたくて、好きだと想えば思うほど、日向には純がいることを実感する。それを嫌ってほどわかっているのに、会いたくてしかたない。そのくせ、何が地雷となるかわからず、ビクビクしながら終わりがくることを心底恐れているのだ。
そんな毎日が楽しいわけない。
優人を裏切り、日向には純を裏切らせている。本当はそんなことしたくもないし、させたいわけじゃない。だったら、日向と会わないでいることが出来るのかと聞かれると、今の咲久にそんな勇気はない。汚いと言われようと、ズルイと言われようと、誰になんと言われても、ただ会いたかった。
矛盾だらけの感情は、整理のつけようがなくなっている。
「別れたりしませんよね」
突然そんなことを言うから沙織を見ると、ハンドモップで商品を軽く叩いていた。
「もし店長が鬼塚さんと別れたりしたら、この店どうなるのかなって……あ、私のバイトのために別れるなってことじゃないですよ? そうじゃなくて、何て言うのか……そうなることが店長にとっていいこと、なのかなって。鬼塚さんと別れるに見合う何かがあるのかどうかが、私は心配で」
見合う何か……など、あるわけない。
何かを得るために、日向を好きになったわけじゃないのだから。だけど、そんなのは綺麗事で、本当は日向が欲しくて仕方ない。ただ、言えないだけ。それは無理だと言われるのが怖かった。
ふいに沙織が、明るい空気を取り戻すように、ほらと笑顔を見せる。
「女はそういうところ打算的ですから」
きっと、咲久を気遣っての言葉だろう。何に悩み、何をしているのかハッキリとはわからないながらも、心配してくれている。
「好きなんだ……」
咲久を気遣ってくれている沙織には、言っていい気がした。というより、誰かに聞いてもらいたいだけなのかもしれない。
「でも、彼には大切に想う人がいて……」
言わなくても、彼というのが誰なのかわかっているのだろう。そうですか、とだけ呟く。
「だから、沙織ちゃんの言う、見合う何かは貰えないんだ」
貰えないからといって、優人と別れないわけじゃないし、打算があるわけでもない。優人にどう言えばいいのかわからないのだ。別の人を好きになったから一緒に暮らせない、なんて間違っても言い出せない。今の咲久と優人は、単純に別れるだけではすまないのだ。
「見合わないってわかってても、好きなんですね」
そう、好きなのだ。
「辛くても、どうにもならなくても、好きってことですね」
「そうだね……」
「やっぱり恋ですね。今まさに店長がそうじゃないですか。最悪なんだけど愛しい気持ちは、恋する気持ちってことですよ」
それだと、いいなと思った。
その言葉は日向が言ったのだから。咲久を見ていると、そのときの気持ちを思い出すと。咲久と同じように、日向も咲久に恋をしてくれているのだとしたら、いつか終わるとしてもそれでいい気がした。
「そうだ。今日はお店終わったら、何か食べに行きましょうよ。私、焼き肉とか食べたいなぁ」
急にそんなことを言い出す詩織が、屈託のない笑顔を咲久に向ける。よく考えると、沙織とは一度もそういうことをしたことがなかった。遅くなっても、文句も言わず手伝ってくれているのに。
「あ、もちろん店長の奢りですよ。私、お金ありませんし」
「焼き肉がいいの?」
「が、いいです。ガッツリ肉だけで。野菜とかいりません。肉オンリーでお願いします」
やけに真剣な顔で言ってくるので思わず笑うと、だってと言いながら口を尖らせる。
「そういう食べ方って、なかなか出来ないんですよね。男子と一緒だと単純に恥ずかしいし、女友達の場合でも、違う意味で恥ずかしかったりするんですよね。バランスよく食べるのが普通でしょ? みたいな空気出されると、肉だけでいいとか言いにくくて」
「どうして?」
「肉に必死、みたいなのもかっこ悪いじゃないですか。でも、店長なら大丈夫です。店長は男の人だけど、私の中では男じゃないですし、かといって同性でもないんですよね。だから、そういう食べ方しても恥ずかしくないですから」
女心も色々あるのだと思うと同時に、ありがたかった。これほど身近に、心を許せる相手がいたことに咲久は今まで気付いていなかった。ゲイだということを気持ち悪がるわけでもなく、日向とのことを責めるわけでもない。食べていないことを気にして、食事に行こうと言ってくれるアルバイトなど普通はいないと思う。
「ありがとう」
思わず咲久がそう言うと、不思議そうに首を傾げた。
「え、お金出すの、店長ですよ?」
わかっている。好きなだけ食べればいい。抜き差しならない状況にいる咲久にとって、沙織の細やかな気遣いは単純に嬉しかった。
客が引けたのを見計らった沙織が、心配そうな顔で聞いて来た。
大丈夫とは? これといって心配される自覚がなく首を傾げた。何かミスでもしたのだろうか。そう考えていると、客のいない間にと思ったのだろう、商品棚の埃をハンドモップで払う沙織が咲久を見ることなく言った。
「ちゃんと食べてます? 何か最近痩せてきてますよ」
その言葉に、思わず自分の身体を見下ろした。
「元々細いのに、それ以上痩せたりしたら心配になるんですけど」
自分が痩せたことなど、まったく自覚していなかった。思い当たる節はないかと考える。昨日は、日向とお好み焼きを食べたから、食べていないということはない。
違う、食べたのは昨日だけだ。日向が来ない日は、連絡があるのかないのかばかりが気になり、食事どころではない状況が続いている。もう終わりなのだろうか、このまま会えなくなるのではないだろうかと、そんなことばかりを考えているのだ。食欲など湧くはずがなかった。
「私が言うことじゃないでしょうけど……」
呟くように言った沙織が、言うべきが言わないべきか迷ったような間を空けてから、思い切ったように声を出した。
「今の店長見てると、辛そうにしか見えませんよ」
沙織がどこまで気付いているのか、正確なことはわからない。だけど、言われてみればその通りだと思った。
日向といて幸せを感じれば感じるほど、その何倍もの不安が襲ってくるのだ。帰って欲しくなくて、もっと一緒にいたくて、好きだと想えば思うほど、日向には純がいることを実感する。それを嫌ってほどわかっているのに、会いたくてしかたない。そのくせ、何が地雷となるかわからず、ビクビクしながら終わりがくることを心底恐れているのだ。
そんな毎日が楽しいわけない。
優人を裏切り、日向には純を裏切らせている。本当はそんなことしたくもないし、させたいわけじゃない。だったら、日向と会わないでいることが出来るのかと聞かれると、今の咲久にそんな勇気はない。汚いと言われようと、ズルイと言われようと、誰になんと言われても、ただ会いたかった。
矛盾だらけの感情は、整理のつけようがなくなっている。
「別れたりしませんよね」
突然そんなことを言うから沙織を見ると、ハンドモップで商品を軽く叩いていた。
「もし店長が鬼塚さんと別れたりしたら、この店どうなるのかなって……あ、私のバイトのために別れるなってことじゃないですよ? そうじゃなくて、何て言うのか……そうなることが店長にとっていいこと、なのかなって。鬼塚さんと別れるに見合う何かがあるのかどうかが、私は心配で」
見合う何か……など、あるわけない。
何かを得るために、日向を好きになったわけじゃないのだから。だけど、そんなのは綺麗事で、本当は日向が欲しくて仕方ない。ただ、言えないだけ。それは無理だと言われるのが怖かった。
ふいに沙織が、明るい空気を取り戻すように、ほらと笑顔を見せる。
「女はそういうところ打算的ですから」
きっと、咲久を気遣っての言葉だろう。何に悩み、何をしているのかハッキリとはわからないながらも、心配してくれている。
「好きなんだ……」
咲久を気遣ってくれている沙織には、言っていい気がした。というより、誰かに聞いてもらいたいだけなのかもしれない。
「でも、彼には大切に想う人がいて……」
言わなくても、彼というのが誰なのかわかっているのだろう。そうですか、とだけ呟く。
「だから、沙織ちゃんの言う、見合う何かは貰えないんだ」
貰えないからといって、優人と別れないわけじゃないし、打算があるわけでもない。優人にどう言えばいいのかわからないのだ。別の人を好きになったから一緒に暮らせない、なんて間違っても言い出せない。今の咲久と優人は、単純に別れるだけではすまないのだ。
「見合わないってわかってても、好きなんですね」
そう、好きなのだ。
「辛くても、どうにもならなくても、好きってことですね」
「そうだね……」
「やっぱり恋ですね。今まさに店長がそうじゃないですか。最悪なんだけど愛しい気持ちは、恋する気持ちってことですよ」
それだと、いいなと思った。
その言葉は日向が言ったのだから。咲久を見ていると、そのときの気持ちを思い出すと。咲久と同じように、日向も咲久に恋をしてくれているのだとしたら、いつか終わるとしてもそれでいい気がした。
「そうだ。今日はお店終わったら、何か食べに行きましょうよ。私、焼き肉とか食べたいなぁ」
急にそんなことを言い出す詩織が、屈託のない笑顔を咲久に向ける。よく考えると、沙織とは一度もそういうことをしたことがなかった。遅くなっても、文句も言わず手伝ってくれているのに。
「あ、もちろん店長の奢りですよ。私、お金ありませんし」
「焼き肉がいいの?」
「が、いいです。ガッツリ肉だけで。野菜とかいりません。肉オンリーでお願いします」
やけに真剣な顔で言ってくるので思わず笑うと、だってと言いながら口を尖らせる。
「そういう食べ方って、なかなか出来ないんですよね。男子と一緒だと単純に恥ずかしいし、女友達の場合でも、違う意味で恥ずかしかったりするんですよね。バランスよく食べるのが普通でしょ? みたいな空気出されると、肉だけでいいとか言いにくくて」
「どうして?」
「肉に必死、みたいなのもかっこ悪いじゃないですか。でも、店長なら大丈夫です。店長は男の人だけど、私の中では男じゃないですし、かといって同性でもないんですよね。だから、そういう食べ方しても恥ずかしくないですから」
女心も色々あるのだと思うと同時に、ありがたかった。これほど身近に、心を許せる相手がいたことに咲久は今まで気付いていなかった。ゲイだということを気持ち悪がるわけでもなく、日向とのことを責めるわけでもない。食べていないことを気にして、食事に行こうと言ってくれるアルバイトなど普通はいないと思う。
「ありがとう」
思わず咲久がそう言うと、不思議そうに首を傾げた。
「え、お金出すの、店長ですよ?」
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