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互いの距離
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しおりを挟む知人と友人の違い……とはどういったものなのだろう。そんなことすら知らずに生きて来たのだと、咲久は今になって気付かされていた。
高校時代、大学時代とそれぞれに仲良くしていた相手がいなかったわけじゃない。だけど、今現在連絡を取り合っていない時点で友達と呼べるのかどうか。
だからその誘いが来た時、友人としてどう返事をするのが正解なのか咲久にはわからなかった。
あの日、咲久の家で交換した、メッセージ機能のあるアプリで休みはあるのかと聞かれたのが四日前。アルバイトの子が来てくれる週末に適当に休んでいることを告げると、もし興味があるなら一緒にどうですかと日向からURLが送られてきたのが三日前。タップしてみると、画面は現代アート展のPRページに飛び、興味があるとまでは言えなかったけれど、まったくないわけでもないので行っていいのならと返事をしたのが一昨日。
そして、とうとう今日、朝から日向が迎えに来るのを家で待っているという落ち着かない状況になってしまっていた。
ふたりで出掛ける、というのは、友人としては普通のことなのだろうか。いや、どう考えても普通だ。友達と出かけるのがおかしいとなれば、この世の経済は明らかに偏ったものになるだろう。
わかっている。必要以上に意識していることを咲久は自覚していた。女ではないので、さすがに鏡の前でウロウロするなんてことはないけれど、それに近い気持ちでいることを否定しきれない。
やっぱり、行くなんて言わなければよかった。だけど、断るのもそれはそれで勇気がいるし。せっかく誘ってくれたことを、無下には出来ない。何より、会えるのだから。
どうかしている、なんてことは、この何日かで嫌というほど自分に言い聞かせていた。日向には純が、咲久には優人がいる。
ただ正論というのは、こういう時虚しいほど役に立たないものらしく、時間通り迎えに来てくれた日向の笑顔にアッサリと吹き飛ばされる。
「すみません、付き合わせて。店、ホントに大丈夫ですか?」
そう言って、コンパクトSUV車の運転席から降りて来た日向は、スーツ姿ではなく私服だった。休みに出かけるのだから、当然と言えば当然のことだ。黒っぽいパンツスタイルには、イエロー系のサマーニットが合わせてある。ブラックとイエローの組み合わせは、日向の爽やかさと、長身でそれなりに体格のある男らしさのどちらにも合っていた。
「車、持ってたんですね」
何だか直視出来なくて、視線を逸らしたまま言うと、ああと笑って咲久のために助手席のドアを開ける。
「いちおう、マイカー通勤なんですよ。て言っても、帰りに飲みに行く時は乗れないので、事務所に置きっぱってことが多いんですけどね」
そうなのかと思っていると、咲久の背中を軽く押す。意識する方がおかしいと思えるくらい自然な動きで咲久を車に乗せ、日向も運転席に収まった。
咲久がシートベルトをするのを待って車を出す。車内という密室に緊張するのは、相手が日向だからかそうでもないのか。
「少し遠いんですよね。一時間くらいで行けるとは思うんですけど。あ、昼ってもう食べました?」
そう言えば朝から何も食べてない。というより、昨日の夜ですらソワソワと落ち着かず、夕食どころではなかったのだ。食事のことなどスッカリ忘れていた。
「食べてません」
「あー、だったら先何か食べます?」
「そうですね。あ、でも日向さんは食べたんじゃ……」
「俺もまだです」
本当だろうか。日向はこういうとき、相手に合わせるために嘘を吐くはずだ。見たところで嘘かどうか見抜けるわけではないけれど、何となく日向の方を見ると、咲久を見ていた視線と合ってしまい慌てて逸らした。
「もしかして、緊張してます?」
「え……」
「まあ、そうですよね。すみません、いくら友人になったからって、それほど親しいってわけでもないのに、急にこんなことで誘ったりして」
申し訳なさそうに言われて、思わず首を横に振った。
そうじゃない。親しさの度合いで緊張しているわけではなく、日向とふたりということに緊張しているのだ。そう思うことが、間違いだということくらい咲久にもわかっている。だけど、感情というのは自分でどうこう出来るものでもないみたいだから。
「僕の方こそ。僕なんかでよかったんですか? 僕より小鳥遊さんや他の人と行った方が……」
「純は行きませんよ。あいつアートとかまったく興味ないし。興味ないことは、付き合ってもくれませんから。だから、こういうのは今までひとりで行ってたんですよね」
「ひとりで、ですか?」
「そう、ひとりで。まあ、逆も同じなので、そこ責める気はないんですけど……実はこの前ふと気付いたんですよね。俺って、友達がいないんじゃないかってことに」
日向に友達がいないなんてこと、あり得ない。誰よりも、友人が多そうなのに。車を走らせる日向が、苦笑いを見せた。
「椿さんに友人になってくれなんて偉そうに言ったけど、あれって俺の切実な願いだったんだなって」
よくわからない。教室の真ん中にいたはずの男に、友達がいないわけなく。
「まったくいない、ってことはないんじゃないですか」
咲久がそう言うと、日向はうーんと考えるような声になり。
「確かにいますよ。誘えば、飲みに出てくるだろうやつもいるだろうし、忘年会や新年会を毎年やってるいつものメンバーも。最悪、今日みたいなときも、他に誰か誘えないってわけでもないし」
この人は何を言っているのだろうと思った。それを友達と言わないとなると、どんな相手を友達と呼ぶのかわからなくなる。
「でも、やっぱ違うんですよね」
「違うんですか?」
まったくわからない咲久が聞くと、ハンドルを持つ日向が少しだけ重い溜め息を吐き出した。
「俺と純って、高校大学と一緒だったんです。だから今言ったやつらって、俺と純の共通の友人なんですよ。俺が知ってて純が知らないって人間は、社会に出てからの仕事関係くらいで」
仕事関係での付き合いの場合、友人とは呼べないのはわからなくもないけれど。
「俺たち、ずっと隠してきてるんですよね。飲み会とか一緒にいっても、あくまでもそこにいるやつらと同じようにその場では振る舞うんです。家帰ったら、同じベッドで寝てるくせに。それって、腹割った友人っていえるのかなって」
そういうことかと思った。
日向と純が、恋人同士に見えないのは、そういう振る舞いに慣れているから。
確かに、一番肝心な部分を隠さなければいけない相手に、いったいどこまで腹を割って話せるというのか。そういった話題を避けて会話をするのは、咲久が想像する以上に難しいはずだ。となると、上辺だけの当たり障りのない会話ばかりになるんじゃないかと。それこそ、仕事関係の知り合いと変わらない程度の会話しか出来ないだろう。
「まあ、そうは言っても、カミングアウトしたいわけじゃないし。元々は純も友達ですし、日常的には間に合ってるしで別にいいんですけどね。ただ、本当の意味での友人がいるかって聞かれると、素直にいるとは言いにくいんですよね」
カミングアウトしないということは、思っているより遥かに弊害が多いのかもしれない。それなのに隠すのは、純のためなんじゃないかと思った。仲良くしているはずの友人にも打ち明けないのは、純の親に言えないという話に繋がるのかも。
日向の人生は純と共にある。
パートナーなのだから当然だとわかってはいても、胸が少しチクリとした。この前まで感じていたのとは違う種類の痛み。仲が良さそうなふたりを羨む、という類いのもでもない痛みは、咲久が初めて感じる種類のものだった。
あの日から、きっと咲久は日向に違う感情を抱いたのだ。今なら酔った勢いでキスなんか絶対にしないと言い切れる。日向に愛される純を羨ましく思うこともなくなった。欲求不満は相変わらずだけど、優人が冷たいからといって、代わりに日向に優しくされたいわけじゃない。そうではない、もっと単純な感情は、けして許されないだろうし報われもしないだろう。
「日向さんみたいな人でも、悩みとかあるんですね」
そういうこととは、無縁に生きていそうなのに。
「いえ、悩みってほどのことでもないですけどね。でもまあ、これも悩みだとするなら、こっちは解決済みですけど」
そう言って笑う日向がウィンカーを出し、右にハンドルを切る。
「椿さんと友人になれたことで、腹割って話せる相手が俺にも出来たわけだし」
「僕……ですか?」
「だって椿さんは俺たちの関係を知ってるから、隠さなくてもいいし、個人的な趣味全開のアート展にもこうして付き合ってくれるしで、俺にとっては最高の友達じゃないですか」
最高の友達、なんて言葉を誰かに言われることがあるとは思っていなかった。日向という男は、もしかするとすべてが計算なんじゃないかと思うほど、言って欲しいことを言ってくれる。
「だから、僕なんかって言うのはやめてください。俺は、椿さんがいいんです。迷惑かなと思いながらも、椿さんが付き合ってくれたらな、と思って誘ったんですから」
咲久の何気に言っただけの言葉を聞き逃さず、自らを卑下する発言を責めるわけでもなく、自分の話しに置き換えながらさり気なく訂正してくる。日向は、それをどこまでも自然にするのだ。
そんなふうに言われると、誰だって自分に自信が持てる気がする。例えそれが日向がもたらす錯覚だとしても、悪い気はしない。
いったい神様は何がしたいのかわからなかった。
これなら、意地悪されている方がまだマシだ。咲久と優人の関係が上手く行かず、日向と純の関係を羨ましがっているだけなら、たいした罪にはならなかったはずだ。キスのこともそのうち忘れるだろうし、友人として仲良くなればなるほど、勘違いしてしまいそうになる日向の無自覚の優しさも気にならなくなったはずなのに。慣れてくると、彼はそんな人だから、で済ませられるようになったはずだ。
この感情に名前を付けるとするなら、ひとつしか思い付かなかった。これは間違いなく恋という名の感情。
誰も得しない想いを咲久に植え付けた神様は、意地悪を通り越して、いよいよ悪質な嫌がらせを始めたのではないかと思えた。
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