運命の人

悠花

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接近

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 自分の部屋に他人がいる、という状況は落ち着かないのだけど、何だか世界が開けたようにも感じた。

「あの、こんなのしかなくて」

 そう言って咲久が出したのはインスタントのスープ。
 ワンルームの部屋には、シングルベッドと小さなテーブルくらいしかない。そのテーブルの前に座った日向は、咲久に渡されるカップを笑顔で受け取った。

「いただきます」

 熱そうにスープを啜る日向に、いったいどんな悩みがあるというのか。
 どうせたいした悩みではないだろう。咲久に負い目を感じさせないための口実でしかないのだから。

 自分がどこに座ればいいのか悩んだものの、たいして広くもない部屋なので、座れる場所は限られていた。
 咲久が斜め隣に座ると、カップをテーブルに置いた日向が口を開いた。

「椿さんは、カミングアウトって親にもしてる?」

 意外な言葉に、思わず首を傾げた。そんな話だとは思わなかったからだ。どうせ仕事の悩みだとか、適当な話だと思っていたから。

「はい、まあ」
「そうか、やっぱそうなんだ。それって、アッサリ受け入れられました?」

 アッサリとまでは行かなかったけれど、それほど揉めたわけではなかった。

「僕の場合、家族は何となく気付いてたみたいで」

 さすがに、あっそとまでは言わないけれど、それほど驚かれたわけじゃない。

「姉がふたりいるんです。だからってわけじゃないでしょうけど、親もあまり抵抗なかったんじゃないかと思うんです」
「女兄弟がいると、抵抗ないものなんですか?」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど……あの、日向さんの悩みって、それなんですか?」

 想像していたより、まともな悩みだったので、逆にそんなことを咲久が軽々しく聞いていいのか心配になってくる。
 カップの温かさを確かめるように両手で包む日向が頷いた。

「最近になって親が結婚しないのかって、言ってくるんですよね。まあ年齢的にまだ結婚なんて考えてないで通してはいますけど、いつまでそれで誤魔化せるのかって思うようになってきてて」

 確かに、今現在26歳の日向にとっての結婚は、まだ先のことだと言えるだろう。だけど、日向が付き合っている相手は男なのだ。そのうち、いつかは、という選択肢があるわけじゃない。

「理解して貰えないって感じですか?」

 親と一概に言っても、千差万別で、咲久のようにそれなりに理解してくれる親もいれば、絶対に許さないという親だって中にはいるだろうと思い聞くと、うーんと首を傾げた日向がカップから片手を離し頬杖を突いた。

「どうなんだろう、正直まったく想像つかないかも。でも、孫を楽しみにしてるって言われると、さすがに罪悪感ってのがあったりで、どうせなら早めに打ち明けた方がいいのかなって思ったりもするんですよね」
「孫ですか……」

 それを言われると辛いってのは、咲久にもよくわかる。
 親にカミングアウトするかどうかは、ゲイにとって避けて通れない悩みなのかもしれない。それを日向も当たり前に持っていることが、何だか嬉しかった。例え教室の真ん中と、隅っこで生きて来た正反対の人生だったとしても、この件に関しては同じなのだと思えたから。

「椿さんは、言われませんでした?」
「はい、あまり。さっきの話しですけど、うちは姉がふたりいることで、色々助かってるんじゃないかと思うんです。抵抗がないっていうのも、僕に抵抗がないというより、ふたりともすでに結婚して子供がいるから」
「ああ、そういうことか」
「孫が出来た途端、僕の性癖なんてどうでもよくなったみたいです」

 というよりも咲久の存在自体、最近は忘れられているんじゃないかと。元気でやってるならそれでいい、くらいの軽い感じなのだ。そこだけは、咲久のいまいちな人生の中でも、唯一ありがたいところだとは思っている。

「日向さんは兄弟いないんですか?」
「妹がいます。まだ結婚はしてませんけど、この前、家に彼氏を連れて来たとかどうとか言ってますし、そのうちするんじゃないかな」
「だったら、大丈夫かもしれませんよ。僕も、親がっていうより、姉たちの方が気づいてたみたいで、やっぱそうだったんだ、ていう軽い感じでしたから。もしかしたら妹さんは気付いてるのかも」

 こういうことは、親より兄弟間の方が意外と気付きやすかったりする。学校に行っている間の様子だったり、人間関係の微妙な立ち位置などは、家にいる子供の姿しか見られない親より、年齢の近い兄弟の方がわかったりするものだ。
 咲久の言葉を聞いた日向は、少し渋い顔を見せた。

「それはないだろうな」

 スープを飲み、はあと溜め息を吐く。

「前にちらっと言ったと思いますけど、俺、昔は普通に女と付き合ってたんですよね。家に女連れ込むなって妹が嫌がってたこともあったし、そのことで喧嘩もしてたしで、まさか男と、とは思ってないなんじゃないかな」

 人にはそれぞれ事情がある。今、男と付き合っているという状況が同じだとしても、ここに至る過程が違うとなると、そう簡単な話しではないのだ。

「小鳥遊さんは、どう言ってるんですか?」

 そもそも、こんなことを咲久が聞いてもどうしようもない。日向のパートナーは純なのだ。どう転んでも、ふたりの問題なのだから。
 カップをテーブルに置いた日向が、また溜め息を零した。

「純にはこんな話できないし、言ってません」
「え、言ってないんですか?」
「そうですね」

 まただと思った。本当に日向と純の関係は、意外なことばかりだ。
 何もかもを共有して、隠し事などひとつもないかのようなのに、何よりも大事な悩みが言えないなんてこと、咲久にはサッパリわからない。

「俺と純って、大学の頃から一緒に暮らしてるんですよね。うちの親なんかは、純といつまでもつるんでるから結婚する気にならないんじゃないかって言ってるくらいで。だから、俺がカミングアウトするってなると、必然的に相手が誰かわかるんじゃないかと」

 そんなのわかるかな?
 いや、どう考えてもわかるだろうと思った。ずっと一緒に暮らしている男がいて、男と付き合っていると聞かされるのだ、その相手が誰かわからないわけない。

「小鳥遊さんが相手だとわかると、ダメなんですか?」

 咲久が思わず聞くと、そうですねと呟いた日向が笑い。

「純はひとりっこなんですよ。学生時代からの友達ってのもあって、俺の親と純の親も知らない仲じゃない。ってなると俺の親に言うってことは、きっと純の親も知ることになるんですよね」

 想像していたより遥かにヘビーな悩みを抱えた男が、スープのカップを見つめる。

「今時、娘がいるからって必ずしも子供が、とはならないし俺の考えすぎかもしれませんけど、やっぱ純の親にとっては残酷かなって。でも、うちは親父がすでに死んでるし、ひとりになった母親に心配かけたくないってのがあって、どうせなら早めにカミングアウトしてやれたらとも思うしで、最近ちょっとマジで悩んでるんですよね」

 日向らしい悩みだと思った。優しさからくる悩みは、周りの人達を傷つけたくないからこその悩みなのだろう。
 何より、純を大切に想うからこそ悩むのだ。

「難しいですね」
「そうなんです。まあ、今すぐどうかしなけりゃいけない話でもないので、切羽詰まってるわけじゃないんですけどね」
「でも、いつかは結論を出さなきゃいけないだろうし……」

 気の利いたことのひとつでも言えればいいのだけど、こればかりはそれぞれの状況によるので何とも言いにくい。

「まあ、そんな解決しない悩みが俺にはあるってことです」

 咲久に答えを求めて打ち明けたわけではないのだろう。いつもの笑顔に戻った日向が残りのスープを飲みほす。

 日向は至って普通の男だと思う。性格に癖があるわけでもなく、仕事以外の普段の生活に妙なこだわりもなさそうだし、誰にたいしても感じ良く接することが出来る。ある意味、どこまでも平均的な男だ。
 だけど、その平均的というのが平凡で魅力に欠けるのかと言えば、そうじゃないと咲久は思う。
 平均が平凡ではなくバランスだとしたら、日向は間違いなく稀に見る釣り合いの取れた男ということになる。
 そんな日向が持つ魅力の深さ。それを本当の意味でわかっているのは、咲久ではなく純なのだ。

「すみませんでした……変なことして」

 心からそう思った咲久が頭を下げると、日向が「ん?」と声を出すから。

「反省してます。酔った勢いであんなことして」
「ああ……」
「もうしません。って、あんな状況もうないでしょうけど」

 そもそも、ふたりで飲みに行くようなことが、またあるとは思えない咲久がそう言うと、日向が優しく笑い。

「正直、焦りました」
「そうですよね。すみません」
「俺の方こそ、突き飛ばしてすみませんでした」
「いえ、僕が悪かったので」

 突き飛ばされて当たり前だ。日向にとっては、迷惑な出来事でしかないのだから。

「そうじゃないですよ」

 優しい声を出す日向を見ると、同じように咲久を見ている目と合い。

「久々、理性ってのと戦いました。思わず抱きしめそうになって、マズイと思ったら、あんなふうに突き飛ばすみたいになったんです」

 もう何でもよかった。それが嘘でも本当だとしても、どちらでもいいと思った。
 日向という男はそういう男なのだ。けして人を不愉快にさせることなく、いつも優しく接してくれる。ただそれだけだ。

「許して貰えますか?」

 許されるべきは咲久の方なのに。自ら悪者になるつもりで悪戯に笑う。

「俺たち友人なんだし、少しくらいの失礼は大目に見るってことで」

 失礼なことなどひとつもなかった男の言葉は、咲久の胸に新しい感情を芽生えさせた。
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