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接近
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しおりを挟む色褪せた日々を送っていた咲久が、ふと気付くと、季節は梅雨に入っていた。
梅雨時の雑貨店は意外にも客足がよかったりする。雨の降りしきる中、新しい服を買おうという人は少なく、どうせオシャレをしても台無しになるという心理が働くのだろう。だけど、鬱陶しい気分をどうにかしたい思いもあり、手ごろで可愛い雑貨でも買って気分を上げようと思うのかもしれない。
開店から客が途絶えることのなかった週末の一日が終わり、咲久は疲れただろう沙織を早く帰した。明日も来てもらわなければいけないことを思うと、後片付けくらいは咲久がやればいい。
店のドア前にCLOSEの札を掛け、明かりが付いたままの店内で売上計算をしていると、まだ鍵を掛けていなかったドアが開いた。
「申し訳ありません、今日はもう……」
閉店です、と言おうとした咲久の言葉が止まったのは、ドアから顔を覗かせたのが日向だったからだ。
「仕事、終わりですか?」
開いた傘を持ったままの日向にそう聞かれて、咲久は頷いた。久しぶりに感じるのは、ここ最近、日向に会うことを心待ちにしていたからなのかもしれない。
「部屋のインテリア、まだ完成ではないですけど、大まかに考えたのを見てもらいたくて。もしよかったら、飯でも食いながらと思ったんですけど、予定ありますか?」
「あ、いえ。大丈夫です」
よかったというように笑う日向が傘をたたみ、店内へと入ってくる。雨の滴が、スーツの肩を少し濡らしていた。
前回と同じように、咲久が出る用意をする間、日向は店の商品を興味深そうにジックリ見ていた。
雨が降っているので、近くにしようということになり、住宅街を抜けたところの炉端焼き屋に入る。魚介が豊富な店で、週末ということもあり店内は込みあっていた。
ただ食事をするだけなのに、こんなふうに相手と向かい合うと緊張するのはいつものことだった。きっと咲久という人間は、とことん人付き合いが苦手なのだろう。
何事もなくだとか、今日はすべてにおいて有意義だったとか、幼い頃から一度も思ったことがなかった。いつも、何かしらの失敗と後悔の中で生きている。
テーブルに立て掛けられたメニューにはドリンクしかなく、壁一面に札のようなものが掛かっている。そこから選んで注文するらしい。ザッと見たところ、50品は超えていた。
まずは飲み物が届き、とりあえず乾杯することになった。普段は酒を飲むことがない咲久も、こういった店で飲まないとは言いにくい。酒あっての炉端焼きだろうから。
「インテリアなんですけど、色々考えた結果、あまりゴチャゴチャしたのは鬼塚さんの好みじゃないだろうなってことで、個々はシンプルだけど、総合するとアクティブに見えるよう仕上げようかと思ってます」
そう言った日向が、ビジネスバッグから一冊のスケッチブックのようなノートを取り出した。
正直サッパリわからなかった。シンプルとアクティブが相容れるということが、咲久には理解出来ない。
キョトンとする咲久を見て、そうなりますよねと笑う日向がノートを広げる。そこには色鉛筆のような淡い色彩で、マンションの部屋が立体的に描かれていた。思わず日向を見たのは、単純にすごいと思ったからだ。どう見ても、フリーハンドで描いただろう図は、図というより画に近い。
「これ、日向さんが?」
「ああ、まあ。雑なスケッチですけどね」
これが雑だとすると、咲久の描く絵など、間違っても見せられない。日向にすると仕事柄、これくらい描けて当然なのかもしれないけれど、初めて見た咲久にとっては感動に等しい。
一通りの説明を聞いていると、日向がどこか気になるところがあるのかと聞いてくる。どこを気にするべきなのか、咲久にはまったくわからなかった。というより、これでいいんじゃないかと思った。
正直なことを言うと、咲久は何でもいいのだ。任せると言ったのだから日向の考えた通りで構わないし、気になるところなどない。ただ、少しくらいは何か聞いた方がいいのかと思い、ふと目に付いた疑問を口にした。
「どうして、ここ色が違うんですか?」
わざわざリビングの床部分には、フローリングだろう模様が丁寧に描かれている。それなのに、端の方の一画だけ白のままの部分があったから気になったのだ。日向が、これはと説明する。
「ここだけ違う色の床にして、感覚的な間仕切りにしたいなと思ってます。ただ色がまだ決まってなくて。同じ素材で別の色にしたいので、どんな色があるのか今確認中なんです」
「間仕切り……ですか」
「はい。窓のないこのスペースを、ちょっとしたプライベート空間にしようかと。窓が多いリビングですけど、何も付けませんので」
何でもないことのようにアッサリとそう言った日向が、確かに何も描かれていない窓の部分を指した。
「カーテンもブラインドも付けません。あれだけの景色を、遮るのはもったいないですしね」
「え、でもじゃあ、外から見えるんじゃないですか?」
夜に明かりの点いた部屋に目隠しがないとなると、外からは丸見えになる。
「高層階ですし、気にすることないと思いますよ。遥か遠くのビルから望遠鏡でも使わない限り、見えないでしょうし。もし、そこまでして見たいっていうなら、別に見せてやればいいですしね」
アグレッシブとはそういう意味なのだろうか。
「それに、この家にはドレッシングルームなんかもあって、プライバシーはじゅうぶん確保出来てます。リビングを覆い隠さなくても、たいして困りませんよ」
そう言った日向が、咲久に笑いかけた。
「日差しによる床の色焼けや家具の劣化も、鬼塚さんならいくらでも対処出来るでしょうし」
きっとそうなのだろう。
そう思うと同時に、どうして自分が任されたのかとも思った。結局は、すべて優人の力なのだ。咲久がどうこう出来るわけじゃない。
これじゃあ、まるで子供の使いと同じだ。日向がこんなふうにシッカリと仕事をして来ているというのに、伝える相手が咲久では気の毒にも思えてくる。
何より咲久が、本当にここに住みたいのかも、よくわからなくなってきている。十分すぎるほど広くて、専門家がデザインする完璧な空間。咲久が一生かかっても生みだせないだろう額で創り上げる、高級感あふれる部屋。
だけど、どれだけ素晴らしくても咲久はここで独りなのだ。忙しい優人の帰りをひたすら待ち続けるだけの場所だと思うと、寒々しく見えてくる。
「あの、よほど気になるようでしたら、カーテン付けますよ。ロールスクリーンにしてもいいし」
そう言った日向は、咲久が黙り込んだ理由を勘違いしたのかもしれない。問題はカーテンなんかじゃない。
「いえ、大丈夫です」
慌てて首を振って、目の前のグラスを一気に傾けた。
どうして自分はいつもこうなるのだろうと咲久は思う。プラスなことがあっても、必ずマイナスが付いて回るのだ。豪華なマンションに住めても、独りでは意味がない。優人という出来過ぎた男と付き合っているのに、不安ばかりが付き纏う。
きっと日向や純のような人間は、マイナスもプラスになるのだろう。性的マイノリティが現実にはまだまだ生きにくいこの世の中で、価値観の合う理想のパートナーを見つけ、1LDKのそう広くない家も2人にとっては嫌でも仲良く出来る場所となる。
「大丈夫って顔じゃないですよ」
向かいで、困り顔を見せる日向。本気で咲久を心配してくれているのか、持て余しているだけなのか。
本当はわかっている。後者に決まってる。だけど、わかっていて甘えたくなるのも事実だった。日向という男は他人にたいして、嫌なことは言わないだろうし、傷つけるようなことはしないだろうという安心感がある。
「もう一杯飲んでもいいですか?」
咲久が空になったグラスを持ち上げて聞くと、日向はどうぞと優しく笑った。
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