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すれ違い
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しおりを挟む咲久の店へプレゼントと言う名の借りを返しに行った日から一週間後、男は姿を見せた。
仕事終わり代理店のある商業施設から出たところで、鬼塚は待っていた。その姿を見ても、驚きはしなかった。
ただ、思っていたより遅かったってだけだ。
クレームは迅速だったことを思うと、今回はクレームを付けに来たわけではないのだろう。
「ここから出てくるって、よくわかったな」
従業員出入り口は、ここだけに限らず何か所かある。それなのに、まるで知っていたかのように我が物顔で待っていたのだ。
役員送迎用の社用車なのだろう、運転手が乗っている車から降りて、凭れて待っていた鬼塚が当然のように頷いた。
「聞いたからな」
「誰にだよ」
「おまえは、もう少し感謝した方がいい。上司に恵まれず、生きる気力まで奪われるやつも多い中で、良い上司に出会えるのは幸せなことだ」
綺麗事を並べているだけで、たいした話をしているわけじゃない。ようするに、店長を自らの立場を利用して手なずけたってだけだ。
「そうだな。感謝するよ。あんたが俺の上司じゃなくてよかったってな」
人を思いのままに動かそうとする鬼塚のようなタイプが上司だと、下に付く人間は大変だ。自分の意思とは関係なく、気が付くとそうせざるを得ない状況になっているのだろう。
それなら、ああしろこうしろとうるさく言われながらも、自分のペースでやれる方が仕事はやりやすい。
「俺も、おまえのような部下はごめんだ」
笑って言う鬼塚が凭れていた背中を離し、車のドアを開けた。まるですべては当然であるかのような、その動きが癪に障った。
鬼塚は何もかもが、自分の思い通りに行くと思っている動きをする。遠慮もなければ、相手を伺うということもしない。
「乗らねえからな」
「どうしてだ?」
「あんたの車に乗る理由がねえからに決まってんだろ。だいたい、店長に俺のこと聞いたりすんなよな。言っただろ、男と付き合ってることはバレたくねえって。あんたみたいにカミングアウトしている人間と親しいと思われたくないんだよ。会社で変な噂立ったら洒落になんねえからな」
さすがに大声でとはいかないので鬼塚に近づき小声で言うと、何一つ動じてない顔を見せ。
「感謝より、尊敬した方がいいな」
「は?」
「おまえの上司は、ここを教える代わりに俺の休暇を聞きだした。交渉ってのは、そうやってするものだ」
抜け目のない店長を褒めているらしい。
「こっちの提案に乗りたくないなら、自分の弱みを晒すべきじゃない。でないと、バラされたくないならって交換条件が、嫌でも成り立ってしまうからな」
最悪だ。やられていると思った。
だけど、その通りだとも思った。本気かどうかは別として、鬼塚の言う通りなのだ。バラすぞとチラつかされるだけでも、隠したい純にすると断れなくなる。
「あんたやっぱ、名前のイメージとぴったりだな。下の名前じゃなくて、名字の方だけどな」
精一杯の嫌味を言った純は、鬼塚が開けて待っているドアから車に乗り込んだ。そして、自分の名刺を出し、持っていたペンでケータイの番号を書いて渋々渡す。頼むから、もう店長に聞いたりしないでくれという純の意思表示だった。
鬼塚は、みなまで言わなくてもわかったのか、アッサリと受け取りスーツのポケットに入れた。
自分で自分の番号を教えることになるとは、夢にも思っていなかった。これでは鬼塚の思うつぼだ。上手く動かされている。
「で、どこ行くんだよ」
「腹が減ってる。飯に付き合ってくれ」
ようするに、貸しの返しをさらに返しに来たのだろう。正直、こうなることは予想済みだ。それでも借りを作ったままだったのが嫌なので、咲久に会いに行ったのだ。
あれは、我ながらいいアイデアだと思っていた。咲久宛てのプレゼントだとなると、鬼塚は突き返せなくなる。しかも、借りは鬼塚の一着分。ちょうど、うな重二人前の倍の値段だ。本来払うべきだった代金と、余分に経費で受け取った分で買えて、咲久の方は純粋にプレゼントとして買ったのだ。
だから、咲久に嘘を言ったわけではなかった。
「あれ、着たか?」
純が聞くと、鬼塚が隣で笑う。
「着るわけないだろ」
「何でだよ、着ろよ。あんたでも使えるものってことで、パジャマにしたのに」
身に付けている物すべてが一流の男に、下手な物は渡せない。かといって、いくらでも出せるわけでもないからこそのチョイスだった。パジャマなら、着心地さえ悪くなければ何でもいいはずだ。
「本気で選んでないだろ」
「まあな」
嫌がらせもあって、お揃いで選ぶとなると、あれしかなかったってのは確かだ。
「どうせなら、真面目に選べ。それなら着た」
「お揃いでもか?」
「おまえが真面目に選んだ物ならな」
どこまで本気かわからない鬼塚に連れて行かれたのは、驚くことに普通のラーメン屋だった。
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