運命の人

悠花

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すれ違い

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 人の不幸は、他人に推し量れない。
 それは幸せも同じことだと、純は思っていた。

 咲久の店から家へと帰り、キッチンで鍋を眺めているところで元樹が帰って来た。純の仕事は代理店という性質上、休みが不規則だ。週末に休みがとれることなど、月に一度あるかないか。元樹はその反対で、基本的に週末が休みだ。ただし、クライアントの事情で予定が入った場合はその限りではない。
 だから今日は本当に珍しく、週末なのに純が休みで、元樹が仕事だという状況になっていた。こういったことは年に一度あるかないかだ。

「ヤベ、旨そうな匂いがする」

 そう言ってリビングへと入ってきた元樹が、純の立つキッチンと横並びで置かれている冷蔵庫を開けた。冷蔵庫から缶ビールが出てくるのを視界の端で捉えた純は、鍋に浮かぶ灰汁を慎重にすくいながら声を出した。

「おい、風呂入ってからにしろよ」
「いいだろ。明日休みなんだし」

 明日が休みなのと、着替えもせずさっそくビールを飲むこととなんの関係があるんだよ。こういった部分では純は意外と几帳面なところがあり、元樹はおおざっぱだ。
 ただ、すべてにおいてそうなわけではなく、他人に対する態度などは反対のところがある。

「店、わかったか?」

 冷蔵庫の前で、ビールを開けて飲む元樹に聞かれて頷いた。

「ちょっと、迷ったけどな」
「で、なんだったんだ。あの子に用があったんだろ?」

 今日、咲久の店に行くことを突然思い立った時、すでに元樹は家を出ていた。どこにあるのか確認するため電話をすると、忙しかったのか場所を教えられただけでサッサと切られたのだ。
 なので、用件まで説明する暇がなかった。ビール片手を片手にした元樹が、ふらっと純の方へと寄る。

「ああ、まあな。実はこの前……」
「おっ、もしかしてカレー?」

 いや、話し聞けよ。しかも、カレーじゃねえし。
 自分から聞いておいて、説明を聞こうとしない元樹が、純のすぐそばに立ち鍋を覗いた。

「旨そうだな。これ、俺も食っていいのか」
「カレーじゃなくて、ビーフシチューだけどな。食いてえなら、先風呂入って来いよ」

 純が風呂にこだわるのは、このままいくと最終的に着替えることなくソファーで寝てしまうパターンになるからだ。
 忙しかっただろうことを思うと、疲れているのもわかる。なので、別に構わないと言えばそれまでだ。ソファーで寝たからって、どうってことない。
 ただ、出来ればやめてもらいたい。

「おい、聞いてんのか?」

 純が聞くと、うーんと面倒そうな声を出した元樹が、絡みつくように腰に腕を回し肩に頭を乗せてくる。
 相当、疲れてんな。こんなふうに元樹が甘えてくるときは、そういうことだ。
 
 元樹は、他人の感情に敏感だ。だからこそ困っている人間にいち早く気付き、手を差し伸べることが出来るし、落ち込んでいる相手に明るい話題を提供することも出来る。当然それは、元樹の昔からのいいところであるし、今では仕事上有利に働き長所と言えるだろう。
 ただ、それはあくまで他人に対しての話だ。四六時中、他人の感情を優先していては、さすがに人は疲れる。となれば、どこかで手を抜くことも必要になってくる。元樹の場合、それが純なのだろう。
 他人の感情に敏感な元樹は、他人ではないと認識している純の感情には鈍感だ。

「シチューって、なんかエロいよな」

 純の腰を抱き、肩に頭を乗せたままの元樹が、わけのわからない話を始める。
 まったく共感出来ない話なので黙っていると、ビールを持っていた方の手も腰に回す。元樹の身体が、背中にピタリとくっついた。

「やめろ、鬱陶しい」

 そう言って離れようとすると、離れないよう強く抱きしめる。その行為にたいした意味はなく、ラクな体勢をやめたくないってだけ。

「特に、ホワイトシチューのエロさは別格だよな。ブロッコリーとか、ほうれん草が入ってると、官能的にすら見えてくるぞ」

 白の中に緑が入ったからといって、どう官能になるのかわからない。色の問題ではないのかもしれない。だったら味の話だろうか。
 どちらにしても、共感出来ない話題を広げたくないので、黙っていると元樹が首筋に顔を押しつけた。

「いい匂いする」
「俺は、風呂入ったからな」

 ふーんと気のない声を出し、純の部屋着の裾を托しあげた。まさかシチューに煽られたわけではないだろうけど、妙なモードになろうとする。
 入ってくる手を追いかけ、服の中から出した。
 久々に食べたくなったビーフシチューを、こうしてわざわざ丁寧に作っているのだ。いつでも出来るようなことで、台無しにしたくない。

「おまえの言ってたこと、何かわかった」

 ビーフシチューを無事に作り終えたい純が、話を逸らすため思い出したことを言うと、元樹がそのままの体勢でビールを煽った。

「俺、何か言ったか?」
「あの子がやりにくいって言ってただろ。あれ、わかる。こっちが言ったことにいちいち反応されると、疲れるってのもわからなくもねえよ」

 今日改めて会った咲久の率直な印象を言わせてもらうと、単純に面倒そうな男だった。愛想が悪いわけでもなく、丁寧と言えば丁寧なので、けして嫌な感じの面倒ではない。
 ただ欲を言うとするなら、仲良くするのは遠慮したい。
 基本的に対人関係においては大雑把な純にすると、ああいうタイプと一緒にいると自分では気付かない間に、相手を傷つけていることが多々あるのだ。今日も何度か、暗い顔をされた気がする。ただ、それがどの言葉でそうなったのか、純にはわからなかったし考えたくもなかった。

「まあでも、人によっては、あれが可愛いんだろうな」

 少なくとも、鬼塚はそう思っているはずだ。でなければ、付き合っていないだろう。

「自分の言葉に一喜一憂されると、素直に嬉しい人間もいるだろうし」
「まあな」
「きっとあの人は、どんな状況でもあんな感じなんじゃねえの」
「あんな感じとは?」

 純の肩に頭を乗せたままの元樹が聞くので、思ったことを言った。

「幸せそうじゃねえってのだ。色々感じることが多くても、それを口に出せない性格だと、たいしたことじゃなくても溜まって来るのかもな」

 今日の咲久を見ていると、そんなふうに感じた。まあ、たいして知らない相手に強引にプレゼントを押しつけられたのだ。誰だって鬱陶しいだろうし、心からの笑顔にならなくて当然と言えば当然だけど。

「おまえは、幸せか?」

 ふいに聞かれて一瞬答えに詰まった。
 幸せ……ではある。
 こうしている時間も嫌なわけではないし、心地もいい。自分の食べたい物を作り、一緒に食べる人間がそばにいることはそれなりに幸せだ。そこを疑う余地はない。
 ただ、その相手が元樹だからそう思うのか、他の誰かでも同じことを思うのかと聞かれると答えに詰まる。
 答えないでいると、元樹の手が再び服の中へと入ってきた。首筋をキスで辿りながら、下着の中へと差し入れられる手で純の反応していないそこを掴む。

「こっち向けよ」

 耳元で囁かれる声に、エロさが混じる。こういう時だけ妙な色気を発動させる元樹が、いまいち乗り気じゃない純の腰を掴み、強引に自分の方に向かせ鍋のかかる火を消した。

 高校の頃、女相手にまともに付き合っていたのは元樹の方だった。言いたい事を口に出さないわりに、察して欲しいだとか、かと思えば急に気分が変わっていて、何が楽しいのかサッパリわからないようなことで笑ったりと、とにかく面倒でしかなかった女との付き合いは純には苦痛でしかなかった。
 だけど元樹は、そんな女を相手に根気よく付き合っていた。
 おまえといる方がいい……。
 あのとき、仲がよく気心の知れた友人が、それぞれ他の人間だったなら、純と元樹の今の関係はあっただろうかと思うことがある。もしかして、自分たちが始めたことは間違っていたんじゃないかと口に出して言うには、あまりにも月日がたち過ぎていた。
 共に過ごした九年もの長い時間を、今さらなかったことには出来ない。

 キッチンで膝を付く元樹が、純の反応し始めたそれを口に含む。
 純と元樹の性行為には限界がある。元樹が純に出来ることはここまでで、純も元樹に出来ることは同じくここまでだ。ここから先を、純が元樹に求めることはないだろう。

 何故なら……そうされたい相手は元樹ではないからだ。
 元樹とはフェアでいたい。すべてにおいてフェアでいられないのなら、元樹といる意味がなくなると純は思っていた。
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