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ビジネス
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しおりを挟む「どうした? 口に合わないのか」
鬼塚に連れられて入った店は、高級うなぎ料理店だった。ランチというには程遠い値段のうな重を目の前にしても純は素直に喜べずにいた。
まだ食ってもいないのに、口に合うかどうかなどわかるわけない。
「あんた俺の職を取り上げにきたのかよ」
鬼塚にすると、たんなる暇つぶし程度のちょっとした遊びのつもりでも、純はあやうく職を失いかけているのだ。
「よくわかったよ。この世が理不尽だってことがな」
イラついた気分をそのまま声に出すと、向かいでうなぎを口に入れる鬼塚が笑う。
「そう思うのなら、真面目に仕事しろ」
「やってんだよ。こう見えて、真面目に働いてんのに、あんたがそれを台無しにしようとしてんだろ」
「まさか、パンフレットの束で片付けられるとはな」
呆れてモノも言えないというように笑う。
そうしたいのはこっちの方だ。タチの悪い金持ちの道楽に付き合っていられるほど、純の人生は面白いわけでもおかしくもない。
こう見えて枠の中で必死に生きてんだよ。それなのに、すべてにおいて余裕あるお偉いさんは、既製品では満足できないのだとか。
結局のところ、どう言い募ったとしても、鬼塚に伝わるとは思えず、開き直った気分でうな重に手を付けた。相手にするだけバカらしい。
「女ウケがいいんだって?」
店長が勝手に言っているだけだ。現実には、それほどでもない。ただ、当たり前のやり取りをするのが癪なので、最高に旨いうな重を噛み締めながら頷いた。
「まあな。昔から、女にはモテたしな。俺にすると、当たり前のことだ」
わざと自惚れるような発言をした純の真意をどうとったのかわからない鬼塚が、添えられた吸い物椀を綺麗な仕草で持ち上げる。いちいち育ちがいいところを出して来る男だ。
「どうして旅行会社なんだ?」
鬼塚はよく話しが飛ぶ。その上、不親切だ。
本来なら「どうして旅行代理店に勤めているのだ」とか、「どうして旅行会社に入ったのだ」とか、そういうふうに聞くべきだ。
自身が発するすべての言葉に、相手が答えて当然だと思っているのかもしれない。上から目線の人間にありがちな癖なのだろう。
「そういうあんたは、どうしてHIKARI通商なんだよ」
質問に質問で返すと、鬼塚の動きが一瞬止まった。純の聞いた意味がわからないのだろう。
しばらく考えた鬼塚が口を開く。
「選択肢が他になかった」
「だったら、俺と同じだな。あんたも意外と平凡な人生なんだな」
嫌みたっぷりに言ってやると、鬼塚が少し不思議そうな顔を見せた。意味がわかっていないらしいので言葉を付けたす。
「就活で山ほど受けた会社の中のひとつだ。採用されたのがそこだったってだけで、俺も他に選択肢がなかったからな」
飯が旨いというのは、気分までアゲてくれるのか、苛立ちが収まりつつあるのを純は自覚していた。
人は何を言ったところで、本能には逆らえない。
「満足してないのか?」
まただ。不親切な言葉で質問をしてくる鬼塚が、持っていた吸い物椀を置く。この場合は「今の仕事に満足していないのか?」と聞くべきだ。
「あんたはどうなんだ? 満足してんのかよ」
「俺か? 俺はまあ、それなりに」
「同じだな。俺もそれなりに満足してる」
「やりたい仕事ってわけでもないんだろ?」
その質問に、呆れる純は箸を置き、盆の上に置かれた湯呑みを手に取り一口飲んだ。
「それもあんたと同じだよ。あんただって、特別やりたい仕事なわけでもねえだろ?」
「まあ、そう言われればそうかもな」
「でもやってる。跡取りだから仕方なくな。そりゃあ、あんたと俺じゃ稼ぐ金や社会的責任には雲泥の差があるんだろうけど、仕方なく仕事をするって意味では同じだよな」
純の言葉を黙って聞いていた鬼塚が、なるほどというように頷く。
「それに俺は、仕事にたいしたことを求めてない。だた、働くってだけだ」
「ただ、働く?」
「そう、生きてくためにな」
「生きるためか……」
「そうだよ、そこに深い理由なんかねえよ。つーか、あんたもそうだろ? 跡取りに生まれたってだけの簡単な話だ。それなのに、跡を継ぐことを受け入れてる。深い理由なんか、あんたにもねえじゃねえか」
けして嫌味を言いたいわけじゃない。単純にそう思うってだけの話だ。
「だから、俺のささやかな人生の邪魔しないでくれ」
鬼塚にすると取るに足らない悪ふざけだとしても、純にすると命とりになるほどの事態だ。この世は弱気を助け強気を挫く、そういう社会であるべきなんじゃないのか。反対にしてどうすんだよ。
この後の純には、店に戻って店長の小言を聞かされるという職務が待っているのだ。どうせなら、今この瞬間のうなぎを存分に堪能してやればいい。
そう思って再び箸を取ると、向かいに座る鬼塚が胸元の内ポケットに手を入れた。
「おまえ、本当に面白いな」
「やめてくれよ。あんたに気に入られると、ロクなことにならない気がする」
「気に入ったとは言ってない」
否定するわりに面白そうな口調で言う鬼塚が、ポケットから名刺を出す。そこに、同じくポケットから出したペンで何かを書き入れた。
「ゲイでもない日向が、長年おまえといるのわかるな」
その言葉、この前も聞いた気がした純が顔を上げると、ペンを内ポケットに戻す鬼塚が意外にも柔らかい表情を見せた。
「おまえって人間が好きなんだろうな」
純という人間が好きで、元樹は一緒にいると言いたいのだろうか。
「ようするに、バイってことだろ?」
元樹のセクシャリティがいったいどこに属すのか、深くは考えたことがなかったけれど、そういうことを言いたいのだろうと思う純が聞くと、鬼塚が曖昧に首を傾げた。
「まあ、そういうことになるのかもな」
なんだよ、まあって。まるで、そうじゃないけどそうしておこうとでもするかのような、よくわからない返事だ。
「つーか、それって、分けねえといけないことか? 別に元樹がゲイでもバイでも、関係ねえんじゃねえの」
そんなことを言うのなら、純だって女と関係を持ったことがあるのだ。ということは、純も同じくバイということになる。そう思っていると、鬼塚が少し困ったような微妙な表情になり。
「愛してないっていうならな」
「は?」
「おまえが日向を愛してないなら、関係ない話だ。でももし、日向を愛してるっていうのなら、そこを軽く見ない方がいい」
軽く見ない方がいいとは?
「男しか愛せない男にとって一番辛いのは、絶対に超えられない性を相手に突き付けられることだ。どれだけ形を変え取り繕ったとしても、生まれながらの純粋な性別には勝てないからな」
そんなの当たり前だろ。どれだけ女のように美しく着飾っても、男は男で、逆にどれだけ手を抜いていても、女は女なのだ。
「それが、俺に何の関係が?」
本気でわからない純が聞くと、名刺を差し出し。
「おまえは日向のようなどっちつかずじゃないはずだ。もし何かあったとき、逃げ道がないのは、きっとおまえの方だぞ」
逃げ道ってなんだよ。
逃げ道がないと、どうなるんだよ。それに何かあったときって、いったい何があるっていうんだ。あまりに何もなさ過ぎて、今まで気付かなかった性的傾向まで自覚するようになっているというのに。
鬼塚が渡してきた名刺には、副社長の役職名と、本社と書かれた電話番号。そして、鬼塚の几帳面そうな字で、滝本と書かれていた。
「パンフレットの棚、置くなら好きな場所に置いていい。話は通しておくから、そいつに連絡しろ」
「え……いいのかよ」
「職を失うと、生きてけなさそうだしな」
さすがにそこまでは言っていない。だとしても、死活問題なのには変わりない。
「うちは社員の休暇を長く取れるように、勤務体制が整っている。給料もけして悪くないし、旅行のパンフレットが手軽に見られるのは社員にとってもメリットだろう」
さすがは一流企業の御曹司だ。ちょっとした悪ふざけの収拾など、いとも簡単につけられる。
「あんたの旅行プランは?」
そもそもの発端であったはずの時期の悪い旅行の話をすると、鬼塚は空になった重の蓋を閉めた。
「あれはキャンセルだ。残念ながら、仕事が入ったからな」
「はあ? だったら、あんたいったい何しに来たんだよ」
予定が入ったのなら、わざわざクレームを付けに来る必要はなかったはずだ。完全に遊ばれている。
まともに考えるのもバカらしくなった純が、残りのうな重を食べていると鬼塚が立ち上がった。
「悪いが、時間だ。俺は先に出るけど、おまえはゆっくり食ってけばいい」
「え、待てよ。ここは俺が……」
先に出られてしまうと、払うものも払えなくなる。本来の趣旨がどうあれ、名目上は客対応を怠った純が謝罪するための場なのだ。それなのに相手に金を払わせたとなると、店長に何を言われるかわかったものじゃない。
「心配するな、領収書は置いていく。旨い飯だったよ」
そう言った鬼塚は、ご丁寧に純の会社名が書き込まれた領収書をレジに残して行った。
これだとまるで、純が個人的に奢られたということになる。違う、それ以上の金を貰うことになるのだ。 店長にドヤされないためには、払ったかのように領収書を出すしかなく、経費として落とされるうな重の代金は領収書を出した純が受け取ることになるからだ。
払ってもいない金を受け取るなんて、気分のいいものじゃない。人に妙な借りを作るだけでも、純にすると嫌なのに。それが金のこととなるとなおさらだ。
絶対わざとだな。鬼塚の嫌味な笑いを思い出す純は、微妙な額の領収書を見ながら借りを返す方法を考えていた。
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