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ビジネス
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しおりを挟む「どこまで伝えればいいのかわからなくて、ウォーターサーバーとかも書いちゃってて……。関係ないなら無視してください」
閑静な住宅街の中にある小さな雑貨店で、咲久は自分が書いたメモを日向に渡した。
本当にただのメモ書きだったので、こんなのでいいのかと心配になる。パソコンなどを使って、もっと資料っぽいものを作るべきだったのではないか。だけど、せいぜい5行くらいの伝達にパソコンを使うのも変だと思ったから。
「関係あるので、助かります」
受け取った日向はメモを見ることなく、店内を見回している。
前回、マンションを下見した日向が、何か置くものの指定はあるのかと聞いてきたので、思い付く限りをピックアップしておいた。そのメモを、わざわざ咲久の勤める店まで取りに来てくれたのだ。
「すみません。来て頂いて」
「いえ、出先の通り道だったものですから。こちらこそ急に寄るなんて言ってすみません」
こっちは店なのだ。営業時間ならどうせ店にいるのだから、いつ来てくれてもかまわない。
店内の雑貨を見る日向が、意外だったと言いたげな声を出す。
「おひとりなんですね」
「あ、はい。バイトに来てくれてる子もいますが、平日はひとりです。小さな店ですから」
天井から吊るされている室内用ライトを興味深げに見上げながら、そうですかと頷く。店に入って来てから、咲久の顔を見ることなく商品ばかりを見ている。
話しているのだから、こっちを見てくれてもいいのに。
「何か、気になりますか?」
どうしてそう思うのか自分でもわからないけれど、どことなく面白くない気分で聞くと、日向がやっとこちらを見た。
「あ、すみません。職業柄こういう店は興味あって」
まるで言い訳でもするような口調で言った日向が、少し困ったように笑う。困る意味がわからない咲久が黙っていると、気を取り直したように一呼吸置いて咲久の立つレジまで来た。
「図面、用意して下さったとか」
「あ、はい。これです」
用意していた図面をレジカウンターに置くと、日向がその場で広げた。正確な表記にはWだのTRだのが色々付いていてるけれど、基本の間取りは3LDKとなっている。咲久にするとふたりで住むには広すぎるのではないかと思っていたけれど、買うのは優人なのだ。決める権利は優人にしかない。
「ウォーターサーバーは、今使ってるモノをそのまま持って行くってことですか?」
日向がメモと図面を見比べながら聞くので、よくわからず首を傾げた。
「わかりません。でも、いつも使っているみたいだし、ないと困るんじゃないかと……」
優人の家にあるから書いただけで、そのまま持って行くつもりなのかまではわからない。
「ああ、わかりました。それならこちらで」
軽くそう言った日向が胸ポケットからペンを取り出し、咲久が書いたウォーターサーバーの字の下にメーカー確認、変更可能?と、走り書きを添えた。こちらでどうするつもりかわからない咲久に説明する気はないのか、図面に視線を落としたまま口を開く。
「椿さんはどうされます?」
「え?」
「部屋です。ご自分でと仰るのなら、そこは触りません。まあ、椿さんにはご自身の好みもあるでしょうし、自分でということでいいと思います」
いったい何の話をされているのか、咲久にはさっぱりわからなかった。だけど、わからないと言うのが恥ずかしく、焦りながらも意味を理解しようと必死で考えていると、日向の視線が図面から離れるので思わず横を向いた。
だから嫌だったのだ。任せると言った優人にすると、好きにさせてやろうという気持ちなのかもしれないけれど、咲久には何一つ嬉しくないことだった。
日向がビジネスモードを出して来ると、話にすらついていけない自分が恥ずかしくて情けない。
不特定多数が相手のパーティーなら曖昧に笑っておけばやり過ごせることも、こうして一対一になると途端にボロが出る。社会経験が少なく、大学を出てからはこの店と優人の傍にいることしか知らないのだから。
「すみません……俺、何か変なこと言いました?」
顔を背ける咲久に、異変を感じ取る日向が困ったような声を出した。日向は何もしていない。だから謝る必要はない。問題は咲久の方にあるのだから。
この前のクラブでも、こういう瞬間が何度かあった。聞かれたことが瞬時にわからず返事が遅れたり、上手く説明出来なかったりすると、焦ってしまい会話のテンポがおかしくなる。そんな自分に自己嫌悪が募りだすと、事態は悪くなる一方で、最後には消えてしまいたいとすら思ってしまうのだ。
そうなるたびに、日向は気を使ってくれていた。
咲久が何も言えないでいると、しばらく黙っていた日向が、気を取り直すように深呼吸をした。
「やめましょう」
突然そう言って、広げていた図面を折り直す。
「店ひとりだと、昼飯とかどうすんですか? もしかして弁当とか」
「え……いえ、適当にやってます。その間、店は閉めておけばいいので」
「そうですか」
軽く頷き持っていたビジネスバッグに図面とメモを入れる日向が、自分の腕時計を咲久に見せた。時間は11時35分。
「だったら、店閉めて、俺の昼飯に付き合ってください」
もしこれが、昼を一緒にどうですかと聞かれていたのなら、咲久は遠慮して断ったと思う。きっと日向はそれを見越したのだろう、だから自分に付き合ってくれという言い方をしたのだ。
どうかと聞かれると遠慮するけれど、付き合ってくれと言われた場合、咲久は断れる性格ではなかった。
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