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113話・異常の発端

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 ヘルツさんは危険と判断された。とりあえず彼の私室に閉じ込め、窓の外と扉の前に見張りを立てる措置が取られた。ゼルドさんやアンナルーサ様に対する不敬だけでなく、跡取りである赤ちゃんに危害を加えることを匂わす発言をしたからだ。我が子の命がかかっているからか、フォルクス様の判断は早かった。

 一段落した後、再び客間に全員が集められた。第二夫人のハンナ様は乳母に赤ちゃんを任せ、傷ついた夫に寄り添っている。

「せっかく兄上が来てくださったというのに、このような騒ぎになって申し訳ありません」

 三年ぶりにゼルドさんが屋敷を訪れたのだ。フォルクス様は今日という日を楽しみにしてきたのだろう。生まれたばかりの可愛い跡取り息子と愛する第二夫人、そして敬愛する兄が揃うき日となるはずだったのに、と悔やんでいた。

 向かいのソファーには僕とゼルドさんが、上座にある一人掛けソファーにはアンナルーサ様が座っている。

「ヘルツが行動に出たのは私たちが訪ねてきたからだ。この機を逃すまいとしたのだろう」

 今日を逃せば、ゼルドさんはまた遠くに行ってしまう。マーセナー家にいる間に説得するか、僕を買収して留めるか、媚薬を盛って無理やり目的を果たそうとしたのだ。

「ヘルツはなぜ……私が悪い主人だったからか」

 優秀な従者をこんな形で失い、フォルクス様は落胆していた。力なく肩を落とし、両手で顔を覆って嘆いている。
 その様子を見て、アンナルーサ様がフンと鼻を鳴らした。

「ヘルツの主人は最初から先代ひとり。貴方もゼルディスも単なる代わりでしたのよ」

 キツい物言いに、フォルクス様が顔を上げてアンナルーサ様を睨みつける。

「知ったようなことを言うな!」
「何も知ろうとしなかったのは貴方でしょう。先代ガーラント卿の高貴な血筋に対する執着の強さと、ヘルツの歪んだ忠義を」
「うっ……」

 フォルクス様がひるんだ隙に、アンナルーサ様は言葉を続けた。

「あまり亡くなったかたを悪く言いたくはありませんけど……最初に婚約の申し入れに来た時、貴方がたの父親は私を自分の後妻に据えようとしていたの」
「えっ!?」

 ゼルドさんの話では初顔合わせの時、アンナルーサ様は六歳だったと聞いている。そんな幼い女の子を、息子の結婚相手としてではなく自分の妻にしようと考えていたのか。その話だけでも先代ガーラント卿の異常性が垣間見えた気がした。

「さすがに世間体が悪いと思ったようで、婚約の相手は長子であるゼルディスとなりました。それでも年の差がありますし、金銭的な援助と引き換えに売られたことには変わりません。私は『由緒正しい血筋の貴族令嬢』として先代ガーラント卿に買われたのですわ」

 アンナルーサ様は淡々と話しているけれど、自分の身柄が金銭で取り引きされたことを恥じ、怒りを感じているようだった。

「私は親が許せませんでした。私を売って得た金銭で領地を良くしようとするならともかく贅沢三昧で浪費するだけ。ですから、こんな婚約ぶち壊してしまおうと考えましたの」
「だから貴女は私に嫌われようと?」
「ええ。ゼルディスは心優しいかたですもの。父親が勝手に決めた相手だとしても愛そうとすると分かっていたから、嫌な女を演じて嫌われるように仕向けたのです。……ただただ貴方を傷付けるだけの結果になってしまいましたけど」

 ゼルドさんに対する酷い言葉や態度は、嫌われるための演技だったのか。

「父は跡継ぎである私に多大な期待を寄せていた。学院に通っているうちから人脈を広げるよう強いられ、卒業後は高位貴族の集まりに毎夜連れ出され……。こんな日々がずっと続くと思うと憂鬱で仕方がなかった」
「そこでゼルディスと私の利害が一致しましたの。跡継ぎの重責から逃げたいと願うゼルディスに騎士団に入るよう勧めれば、少なくとも結婚の時期を遅らせることができると思って」

 アンナルーサ様から勧められなくても、身体の弱いフォルクス様の代わりに騎士団に入ろうと考えていた。
 入団から数年後、ゼルドさんは遠征任務中にスルトでダンジョンの大暴走スタンピードに遭遇し、僕との関わりができた。もっとも、その頃の僕はゼルドさんとバルネア様を認識していなかったけど。

「任務で傷付いたゼルディスに更に追い打ちをかけるような態度を取ったのも私を嫌ってもらうためでした。大好きな兄上を愚弄すれば、ついでにフォルクスからも嫌われますからね。私にとっては都合が良かったのです」

 しかし、単なる時間稼ぎにしかならなかった。

「先代ガーラント卿が病に倒れ、これ以上結婚を先延ばしにできない状況になったため、私は『フォルクスが相手なら』と了承しました。その頃には、フォルクスからは徹底的に嫌われておりましたから」
「父は結婚式を見届けてから亡くなり、私は喪が明けてから家を出た」

 アンナルーサ様とゼルドさんの話を聞いて、フォルクス様はまだ納得がいかないようだった。

「ヘルツはなぜ父が亡き後も執拗にアンナルーサと子を成せと言ってきたのだ」

 ヘルツさんは幼少期からゼルドさんに付き従い、ゼルドさんが騎士団に入ってからはフォルクス様付きの従者となった。共に育った、いわば幼馴染みのような存在だった。

「ヘルツは父が保護して育てた孤児だ。父に恩を返すため、願いを叶えたかったのだと思う」

 ヘルツさんは先代ガーラント卿の死後も変わらず忠義を貫いていた。まったく思い通りにならない現状に焦りを感じた結果、今回の凶行に及んだのだろう。

「……では、全てはやはりアンナルーサのせいではないか!おまえが最初から素直に従っていればこんなことには」
「フォルクス!」

 悲しみのあまりアンナルーサ様を責めようとするフォルクス様をゼルドさんがたしなめようとした時、パン、と乾いた音が客間に響いた。
 第二夫人のハンナ様がフォルクス様の頬を平手で打ったのだ。

「貴方はアンナルーサ様がどれほどマーセナー家のために尽くしてらっしゃるかご存知ないのですか」

 恐らく、初めて夫に物申したのだろう。ハンナ様は震える声で、でも力強く言葉を続けた。
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