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109話・正妻の乱入
しおりを挟む赤ちゃんを囲んで談笑している最中、アンナルーサ様がやってきた。彼女はソファーに座る僕たちを見て一瞬目を見開いた後、すぐに笑顔を取り繕う。
「私に内緒でお客さまをお招きするなんて、と思いましたらゼルディスでしたか」
鈴の鳴るような可憐な声が客間に響く。どうやら僕たちの訪問は彼女に知らされていなかったらしい。
「跡取りのお披露目前になんてこと!……と言いたいところですけれど、親族ですものね。まあ、よろしいでしょう」
貴族の子どもは生後三ヶ月のお披露目まで外部の人間に会わせることはない。ゼルドさんから見れば、フォルクス様の息子は甥にあたるのだから問題はない。
アンナルーサ様の尊大な態度に、先ほどまで上機嫌だったフォルクス様が明らかに気分を害した。目を吊り上げ、アンナルーサ様を睨みつける。
「呼んではおらん、出て行け」
「そうはいきませんわ。お客さまをおもてなしするのは私の務めですもの」
怯むことなく、堂々とした態度を崩さない。アンナルーサ様はそのまま第二夫人のそばに寄り、やや声量を落として声をかける。
「騒がしくしたらこの子がぐずってしまうわ。ハンナ、貴女はもう下がりなさい」
「はい、わかりました」
アンナルーサ様に促され、第二夫人は赤ちゃんを抱いてソファーから立った。そして、僕たちに一礼してから客間を後にする。
正妻が第二夫人を追い出したようにしか見えないけれど、言葉の裏に気遣いが感じられた。
赤ちゃんはまだ小さいし、第二夫人は産後で万全とは言い難い。お披露目の時期が生後三ヶ月と定められている理由は母子の体調を慮ってのこと。
しかし、フォルクス様は怒り心頭といった様子だ。彼からすると、アンナルーサ様から一方的に家族の団らんをぶち壊されたような気持ちなのだろう。
「勝手な真似をするな!」
「まあ、お客さまの前で声を荒げるなんて」
怒鳴られても、アンナルーサ様はどこ吹く風だ。平然とした態度を崩さず、フォルクス様を適当に遇らってから僕たちの方に向き直る。ゼルドさんに声を掛けるかと思いきや、彼女の視線は僕へと向けられた。
「あらっ、貴方……」
「え、あの」
目を丸くしたアンナルーサ様が僕の顔をまじまじと見つめている。第二夫人は親しみやすい雰囲気だったけど、彼女は違う。高貴で近寄り難い空気を身に纏った、正真正銘の貴婦人だ。僕はただ身体を縮こまらせながら彼女の視線に耐えた。
「フォルクス。私、このかたと少しお話がありますの。貴方はここで大好きな兄上とお過ごしくださいな」
「えっ」
「えっ」
「えっ」
まさかの申し出に、僕だけでなくゼルドさんやフォルクス様も茫然となった。ぽかんとしている間に腕を引かれ、ソファーから腰を上げる。すぐにゼルドさんが反対側の腕を掴んで止めようとしてくれたけど、ここで逆らってはいけない気がした。
「大丈夫ですから」
「しかし」
「フォルクス様とお話していてください」
「……わかった」
心配させないように微笑みかけると、僕の腕を掴んでいた彼の手から力が抜ける。離れる間際、するりと指先を絡めれば、ゼルドさんは不安そうな表情をわずかにゆるめた。
第二夫人が退室した時と同じように、ヘルツさんが扉の開閉をしてくれた。僕が通り過ぎる際に恭しく頭を下げ、送り出す。一瞬だけ目が合ったけど、僕からそらした。
アンナルーサ様に案内されたのは庭園だった。季節の花が咲き乱れる中に四阿があり、テーブルと椅子が備えられている。
「さあ、お掛けになって」
「は、はいっ」
優雅な所作で椅子に腰掛けるアンナルーサ様に促され、恐る恐る向かいの椅子に座る。一対一で話すことになるとは予想外だった。よりによって、一番高貴な人から話し相手に指名されるなんて。
「貴方、グラウス家のかたではないわよね?お歳は十七、八才くらいかしら。それくらい年齢の男子はいなかったような
……私の記憶違いでしたら申し訳ないのだけれど」
グラウス家?
なんのことだろう。
「……あの、僕、二十歳です」
とりあえず年齢を訂正すると、彼女は「まあ!」と声を上げ、ころころと笑った。先ほどまでの、やや高慢に見えた雰囲気が若干柔らかくなったように感じた。
「学院生のようなお召し物でしたから、つい。気を悪くなさらないでね」
「……いえ、大丈夫です……」
やはり成人男性向けの服ではなかったか。ゼルドさんが着ている服と全然違うなーとは薄々気付いてはいたけれど。
「あの、グラウス家ってなんのことですか」
「知らずにそれを身に付けていたの?」
「それって、これ?」
アンナルーサ様が右の手のひらをこちらに向けた。指し示されたのは、僕の胸元に下がるループタイ。
「留め具にグラウス家の紋章が刻まれているでしょう?紋章入りの装身具は親族または庇護されている者以外は身に付けることを許されない品なのよ」
「……知りませんでした」
身支度を整える際、バルネア様の奥さんが手ずから装着してくれたものだ。家名は聞いてないけれど、恐らくグラウス家とはバルネア様のご実家なのだろう。
知らず知らずのうちに、僕はバルネア様の庇護下に置かれていたようだ。
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