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107話・身支度

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 孤児院を辞した後、大通りから一本奥に入ったところに建つ宿屋に部屋を取った。これまで泊まっていた冒険者向きの宿屋とは比べ物にならないくらい立派な造りだ。ついつい宿代の心配をしてしまうのは僕が貧乏性だからだろうか。

 食事とお風呂を済ませ、あとは寝るだけの状態でベッドに寝転がり、今後の予定を話し合う。

「明日はまず中心街へ行く」
「?貴族街ではないんですか」
「実家に行く前に支度をする。友人に頼んであるから安心してくれ」

 僕たちの格好は頭の先から爪先まで冒険者仕様。このまま出入りしたら悪目立ちをしてしまう。訪問先に合わせて見た目だけでも整える必要があるのは理解できる。

「じゃあ僕はお留守番で……」
「ダメだ。君にも一緒に来てもらう」
「えええ」

 今は家を出ているとはいえ、マーセナー家はゼルドさんの生まれ育った家。ゼルドさんには慣れた場所でも、僕にとってはそうじゃない。僕は田舎生まれの孤児院育ち、生粋の平民なのだ。貴族様のお屋敷に足を踏み入れるなんて畏れ多い。

「私の甥の顔が見たくはないか」
「うっ……」

 それは見たい。
 赤ちゃん絶対可愛いもん。

「でも、僕なんかが」
「君と片時も離れたくない」
「うう……」

 そんな風に言われたら何も拒めなくなると分かっていてやっているのかもしれない。

 ゼルドさんは仰向けに転がる僕に覆いかぶさり、両手で頬を固定して軽いキスを繰り返した。間近に見える彼の瞳には僕に対する愛情しか映ってなくて、喜びで胸がきゅうと苦しくなった。

 ちょっと良い宿屋なだけあって壁は厚く、音が漏れにくい造りをしているようだった。だからここを選んだんだな、と妙に納得する。
 服の合わせ部分から大きな手のひらが差し込まれ、平らな胸や腹を撫でていく。その間もゼルドさんは僕の口内を貪るように深く口付けている。

「んっ……」

 ゼルドさんとの行為にも慣れてきた。無理強いされたことはない。コレは単なる性欲処理ではなく、愛を確かめるための手段だ。優しく抱かれるたびに大事にされていると実感するし、ずっとこうしていたいとも思う。

 でも、頭の片隅はいつも冷えていて、どんなに抱き合っても温まることはない。

「ライルくん、愛している」
「……僕も」

 互いの気持ちに嘘はないと分かっているのに、まだ不安が付きまとう。同じ言葉を返すふりをして、僕はゼルドさんの唇で自分の唇を塞いだ。

 毎日のように愛されて、更に大事な剣を預けてもらえば安心できると思っていたのに。

 翌日、昼食を済ませた後に中心街へと向かった。
 孤児院や宿屋がある場所は王都の外側にある商業エリアで、中心街はその内側にある住宅が建ち並ぶエリアだ。

「騎士時代の友人の家だ。気負う必要はない」
「そう言われても」

 騎士団に入る資格があるのは貴族の跡取り以外の男子。つまり、これから訪ねるゼルドさんの友人も貴族ということだ。気負わず話せるはずがない。

 僕の背よりやや低いくらいの生け垣に囲まれた庭付きの大きな家が目的の友人宅だ。蔦の絡んだアーチを潜って庭へと足を踏み入れる。貴族のお屋敷というより裕福な商家といった感じだ。僕はゼルドさんの後ろについていった。

「よく来たゼルディス」
「すまん、世話になる」
「遠慮するな、我が友よ!」

 出迎えてくれたのはゼルドさんと同い年くらいの体格の良い男の人だった。短く刈られた髪とあご髭、自信に満ちた表情。彼はゼルドさんとの再会をひとしきり喜んだ後、後ろに立つ僕に気付いた。

「そちらの青年がスルトの……」
「は、はじめまして。ライルと申します」

 慌てて頭を下げて挨拶すると、友人は見るからに悲しそうな表情になった。驚いてゼルドさんの袖を掴み、一歩下がる。

「初対面ではないんだぞ。俺も十年前スルトにいたんだからな」
「えっ、そうなんですか」
「そうとも。まだ小さかった君を木の上から降ろしたのは俺だよ」

 そう言って彼は高いところから子どもを降ろす真似ジェスチャーをして見せた。当時スルトに駆けつけてくれた騎士のほとんどが同じ鎧、同じ兜を身に付けていたため個人の見分けは不可能だし、十年前のことだから本当に覚えていない。

「俺はバルネアだ。よろしく」

 ゼルドさんの友人、バルネア様は僕たちを奥へと通してくれた。ここは彼の家で、奥さんと一緒に住んでいるという。

「昨日連絡貰ってから色々用意しといたぞ」

 どうやら王都に着いてから連絡を入れておいたらしい。全然知らなかった。
 案内された客間のテーブルとソファーの上には所狭しと衣服が並べられていた。上等な生地で作られたシャツ、ズボン、靴まである。そして、そのど真ん中で長い髪を編み上げにした活発そうな女性が待ち構えていた。

「早速お洋服を合わせましょうか!」

 茫然としていると、彼女は僕の手を引き、服の前に立たせた。端から一着ずつ広げて僕の身体に当てていく。

「カミさんが張り切っててな。丈が合わなきゃその場で直すから安心してくれ」
「は、はあ」

 どうやら彼女はバルネア様の奥さんで、僕の服を見立ててくれるらしい。服の良し悪しなどまるで分からないので、黙ってお任せすることにした。
 ゼルドさんはバルネア様と何やら話し込んでいて、時おり僕のほうに笑顔を向けてくれた。

「ズボンの丈は大丈夫そうね。袖を少し詰めるくらいでいいかしら」
「そのままでも良いのでは……」
「だーめ。ぴったり合わせないと見栄えが悪くなってしまうわ。わたしに任せてちょうだい!」
「は、はいぃ」

 奥さんはその場でシャツの直しを始めた。手際の良い作業を隣に座って見守る。テーブルに置かれた立派な裁縫道具といい迷いのない手付きといい、本職の針子さんなのかもしれない。

 彼女は作業しながらバルネア様との馴れ初めを教えてくれた。王都や近郊の街に複数店舗を展開している服飾店の一人娘で、大恋愛の末に結婚したのだという。バルネア様は現在も騎士団に所属しているらしい。
 話している間も手は正確に作業を進めている。鮮やかな手付きに見惚れているうちに作業は終わった。

 仕上がった服を着て、すぐ出掛けることになった。僕が着替えている間にゼルドさんも支度を終えている。
 いつもの装備ではなく、細部まで糊の効いたシャツにタイを締め、ジャケットまで羽織り、髪はきっちり後ろに撫でつけている。

「ゼルドさん、カッコいい」
「ライルくんも似合っている」

 見立ててもらった服はスタンドカラーのシャツに丈の短いベスト、細身のズボン。こんなに仕立ての良い服を着たのは初めてで落ち着かない気持ちになった。
 最後に奥さんが僕の首にループタイを締めてくれた。刻印入りの綺麗な留め具が目を引く。

「おまえたちの装備はウチで預かっておく。うまくやれよ」
「帰りにまた寄ってね~」
「?ありがとうございます」

 うまくやれ、とはどういう意味だろう。
 バルネア様たちに見送られ、僕たちは家の前に迎えに来ていた四頭引きの馬車で貴族街へと向かった。
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