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103話・本当の名前

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 馬車に揺られながら、ゼルドさんは僕に話をしてくれた。
 王都に着くまでに自分のことを可能な限り明かして僕の不安を取り除いておきたいらしい。今まで隠していたわけではないけれど話すタイミングがなかったこともあり、結局ゼルドさんが貴族出身で元騎士団所属ということしか知らない。

「私の本当の名はゼルディス。マーセナー伯爵家の長子だ。三年前に貴族籍から抜けたつもりだったが、どうやらヘルツが書類を止めていたらしくてな」
「ゼルディス……立派なお名前ですね」

 初めて聞く彼の本名。
 ゼルディス・マーセナー。

 この名前を捨てたから、フォルクス様はあの時すごく怒っていたんだ。単なる怒りというより悲しみのほうが勝っていたのかもしれない。

「何から話せば良いか自分ではよく分からない。ライルくんが知りたいことはないか」
「えっ?……うーん」

 気になることはたくさんある。少し迷ってから、僕は一番気になることを尋ねた。

「アンナルーサ様ってどんなかたですか」

 ゼルドさんの元婚約者で、現在はフォルクス様の正妻であるアンナルーサという女性。王都の実家に行けば、きっと彼女とも顔を合わせることになる。どんな人なのか先に知っておきたい。

「非常に気難しい女性でな。私との婚約が相当気に食わなかったのだろう。ツンと澄ました顔で視線をそらす彼女の姿しか記憶に残っていない。父が婚約話を持ってきたのは十数年も前の話だが、その頃から一度も笑い掛けてはもらえなかった」

 ゼルドさんの言い方からは寂しさが滲み出ていた。アンナルーサ様が心を開いてくれていたら、きっと家を出る選択はしなかっただろう。

「もしかして、アンナルーサ様のこと……」
「いや、そういった気持ちはない」

 ジト目で問うと、ゼルドさんは慌てて否定した。

「年齢差が有り過ぎてな。さすがに結婚相手として見ることはできなかった」
「お幾つ違うんですか」
「初顔合わせの時、私が十七で彼女は六つだった」

 勝手に同い年くらいの女性だと考えていたけれど、予想よりはるかに若かった。貴族の婚約ってそういう感じなのか。ゼルドさんと十一歳違いということは、アンナルーサ様は現在二十一歳か。

「僕のほうが年齢差ありますよ」
「君はもう大人だからいいんだ」

 いいのか。……いいのか?

ダンジョンの大暴走スタンピードで怪我をしたのは十年前なのに、どうして家を出たのが三年前なんですか」

 次に、家を出て冒険者となった時期について聞いてみた。怪我を負ってから家を出るまで約七年。その間ずっと寝込んでいたわけではないはずだ。

「父の喪が明けるのを待っていたんだ。先代当主である父は私を跡継ぎにしたがっていて、私が家を出ることを許さなかった。スルトで怪我を負って騎士団から辞したことを喜ばれたくらいでな」

 それは酷い、という言葉を飲み込む。

「怪我の治療を受けながら領地経営の補佐をしていたら父が病の床に伏してしまって……そのまま当主の仕事を代行をせねばならなくなり、家を出るどころではなくなった。フォルクスとアンナルーサ嬢の結婚を見届けてから父は亡くなり、私はようやく家を出た。それが三年前の話だ」

 本当はもっと早くに家を出たかったのだという。お父さんが亡くなって、ゼルドさんはやっと自由になれたのか。

「お母さんは?」
「母は私が貴族学院に通い始めた頃に亡くなった」
「そうでしたか……」

 ゼルドさんは両親を亡くしていたんだ。ということは、血の繋がった家族は、腹違いの弟であるフォルクス様だけ。

「冒険者をやめるつもりはないんですか」
「ない」

 でも、フォルクス様やヘルツさんは戻ってきてほしいはずだ。顔を出せば、恐らく引き留められる。

「三年前、しっかり話をしておくべきだった。私は今度こそフォルクスと話をつける。勿論ヘルツにも」

 ゼルドさんの瞳には強い意志が宿っていた。今回の王都行きは単なる里帰りや甥の誕生祝いではなく、自由を掴み取るためのもの。

「君と共に生きるためだ」
「……はいっ」

 膝の上に置いた手にゼルドさんの大きな手のひらが重ねられた。不安はまだ消えないけれど、僕に寄り添おうとする彼の気持ちだけは信じられる。

 次の町に到着し、まず宿を取る。
 荷物を置き、軽く食事をしてから付近の探索を始めた。未発見のダンジョンがないか確認するためだ。この町の周辺は草原ばかりで見晴らしが良かったため、数時間ほどで確認し終えて宿へと戻った。

「ライルくん、疲れただろう」
「いえ。動いてスッキリしました」

 早朝から昼過ぎまで馬車に揺られていたのだ。移動は楽だけど、固い座面のせいでおしりが痛い。自分の足で歩き回るほうが性に合っている。

「明日次の町に向かいますか」
「そうだな。近いから歩きにしようか」
「はいっ」

 オクトからこの町まではたまたま貸し切り状態だったけど、乗り合い馬車は他のお客さんと一緒になる場合がほとんどだ。気楽に話もできないし、乗車賃もかかる。まだ先は長いのだから節約しておかないと。

 残念ながら、この町の宿屋には浴室がなかった。湯を張った木桶を部屋まで運んでもらい、濡らした手拭いで身体を清める。

「背中拭きますね」
「頼む」

 鎧を外し、服を脱がせ、かたく絞った手拭いで大きな背中を拭いていく。ゼルドさんは気持ち良さそうにふうと息をつき、肩を回している。重い大剣を背負っているのだから、きっと凝っているのだろう。

「拭き終わったら肩を揉みましょうか」
「いいのか?」
「僕はゼルドさんの支援役サポーターですから」

 不快を取り除くのが僕の役目。
 それなのに。

「君も疲れているだろう。今日は私が」
「あ、待って。お湯がこぼれちゃう!」

 何故か体勢を逆転され、僕が肩や足、腰を揉み解されてしまった。

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