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59話・天秤

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 目の前で繰り広げられる言い合いに、僕もゼルドさんもただ茫然とするしかなかった。

「あ、あの」

 放っておいたら延々と口喧嘩が続きそう。畏れ多いと思いながら声を掛けると、二人はハッと口を噤んで居住まいを正した。
 そして、ひそひそと「私が先に話す」「やだ、オレが」と話す順番を争い始める。揉めるくらいなら最初から別々に時間を取ればいいのに。

「ライル、別の部屋に行こーぜ!」
「え、でも」

 話はまとまらなかったようで、痺れを切らしたダールがソファーから勢いよく立ち上がる。そして、向かいに座る僕の腕を掴もうとしたけれど、その手は触れる前に阻まれた。

「……すまない。つい」
「ゼルドさん」

 手を跳ね除けたのはゼルドさんだった。彼はソファーの座面から腰を浮かせ、間に立ち塞がっている。邪魔されたダールは小さく舌打ちをしてから一旦下がった。
 僕たちだけ場所を変えるという提案はゼルドさんに却下されてしまい、その場に止まることになった。

「いま『ゼルド』と言いましたか。兄上は家名だけでなくご自分の名前までも捨てられたのですか」
「……」

 貴族様が不機嫌そうに眉間にシワを寄せ、ゼルドさんを真っ向から睨みつけている。僕が迂闊に名前を呼んでしまったせいだろうか。

 名前を捨てたってどういうこと?

「私はもうマーセナー家とは縁を切った。だから名を改めた。それだけだ」

 ゼルドさんからキッパリと言い切られ、貴族様は目を見開いた後、つらそうに視線を落として唇を噛んだ。沈黙が執務室に流れる。その重苦しい空気を変えたのは、またしてもダールだった。

「いー加減にしろよフォルクス!行きの馬車で散々言ってたじゃねーか!『兄上が元気ならそれでいい』って」
「なっ……馬鹿者!それとこれとは!」
「うるせー!さっさとそっちの話を終わらせろ!」

 十年ぶりに会ったダールは良くも悪くも当時のまま、あけすけで勝ち気で回りくどいことが嫌いな性格をしていた。貴族様が相手だというのにかしこまることすらなく、対等な相手として扱っている。
 深刻そうなゼルドさんたちの空気がやや軽くなったのは、ダールの歯に絹着せぬ物言いのおかげだ。

「フォルクス」
「……ッ」

 ゼルドさんに名を呼ばれ、貴族……フォルクス様はビクッと肩を揺らした。気まずそうに視線を泳がせた後、こめかみを押さえながら何度か首を横に振った。

「……ええ。兄上が家を出たことを責めるために来たわけではありません。ご無事な姿を確認したい一心で参りました」

 フォルクス様はきっと兄であるゼルドさんを心から慕っているのだろう。王都から遠く離れたオクトまで来るほどなのだから。

「ここに来た目的はギルドの視察と兄上の無事を確認することですが、もうひとつ大切な報告があるのです」

 フォルクス様が顔を上げ、ゼルドさんを真っ直ぐ見据えた。先ほどまで動揺していたとは思えないほど冷たく凪いだ瞳をしている。

「私に子ができました。マーセナー家の跡取りとなる男児です」
「!」

 ゼルドさんが驚きで目を見開いた。すぐに気を取り直し「めでたいことだ」と祝いの言葉を述べる。

「王都からの手紙には書いてなかったが」
「まだ三ヶ月を過ぎておりませんので」

 貴族の子どもは生後三ヶ月のお披露目までは公にはされないという。ゼルドさんと手紙のやり取りをしている王都の友人はまだ知らなかったらしい。

「生まれたばかりの子がいるというのに何故こんなところまで来た。アンナルーサ殿に寄り添ってやらねばならない時期だろうに」

 アンナルーサというのはフォルクス様の奥さんの名前のようだ。咎めるようなゼルドさんの言葉に、フォルクス様が渇いた笑いをこぼした。

「ご安心ください。アンナルーサが産んだわけではありません。私が他の女に産ませた子です」
「なっ……」

 ゼルドさんの顔色が変わった。
 その反応を見たフォルクス様は愉快そうに口の端を歪め、更に言葉を続ける。

「兄上をコケにした報いです。あの女は今後も私が飼い殺しにしてやりますよ」
「フォルクス……!」

 怒りとも悲しみとも取れない表情でフォルクス様を睨むゼルドさんの姿に息を飲む。こんな怖い顔、初めて見た。

 怯える僕に気付き、ゼルドさんは気を落ち着けるために大きく息を吐き出してからこちらに顔を向けた。笑顔ではないけれど、少しだけ穏やかな表情に戻っている。

「私はもう過去には拘っていない。だから、おまえがそんな真似をする必要はない」
「兄上が許したとしても私が許しておりません」

 過去に何があったのか分からないけれど、アンナルーサという女性がゼルドさんのことでフォルクス様の怒りを買い、正妻でありながら軽んじられているということだけは理解できた。

 でも、その話をわざわざ言いに来た理由が分からない。優しいゼルドさんがこんな話を聞いて喜ぶはずがないのだから。

「兄上、王都に……マーセナー家にお戻りください。さすれば、アンナルーサの待遇を改善すると約束いたします」

 フォルクス様は最初からゼルドさんを連れ戻すために来ていたのだ。

 断れば、アンナルーサという女性が虐げられたままになってしまう。でも、話を受けたらゼルドさんは王都に行ってしまう。

 帰れる場所があるのなら帰ったほうがいいに決まっている。こんなところまで追いかけてくるほど気にかけてくれる家族がいるなら尚のこと。

 そうなれば、僕たちは一緒にいられない。

「…………ッ」

 どんな時でも即決断するゼルドさんが珍しく迷いを見せた。唇を噛み、つらそうに眉をひそめ、思い悩んでいる。

 彼が迷っているのは僕のせいだ。

「ゼルドさん」

 隣に座るゼルドさんに笑いかける。  
 できるだけ冷静に、声が震えないように気をつけながら、僕は何でもないことのように明るく言葉を紡いだ。

「王都に戻ってください」と。


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