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32話・揺れる気持ち

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 窓から射し込む太陽の光で目を覚ました。ゼルドさんはまだ眠っている。僕の身体を抱えるように回されていた腕は位置こそ変わっていなかったけれど力は抜けていて、そこから抜け出すのに大して苦労はしなかった。

 二人でくるまっていた布団から出ると、寒い季節でもないのにふるりと身体が震えた。ベッドから降り、床に膝をついてゼルドさんの寝顔を覗き込む。触れたいけれど、起こしてしまうから我慢する。

「……やっぱり好きだなぁ……」

 顔の左側にある目立つ傷、太い眉、シワの跡がのこる眉間すら愛しく思う。こんなにカッコよくて優しいんだから、好きにならないわけがない。

 でも、と気持ちが暗くなる。

 再会したタバクさんから感じたのは恐怖だけじゃない。二年前、彼に憧れていた気持ちも同時に思い出した。淡い恋心は彼の本性を知り、裏切られた悲しみで萎んでしまったけど、完全に消えたわけではなかった。

 あの頃から僕は何も変わっていない。
 優しくしてくれる人に惹かれ、依存してしまう。
 ゼルドさんに対する気持ちも同じだ。






 ダンジョン探索から帰還したら休息と次の準備に二、三日ほど充てる。今日は宿屋の中庭で洗濯をして、その後パン屋さんに行く予定だ。

 洗濯物が山盛りのカゴを抱えて中庭へと降りる。
 宿屋の中庭は周囲をぐるりと建物で囲まれた空間だ。それなりの広さがあり、陽当たりも良い。泊まっている部屋からは見えないけど、廊下側の窓から見下ろすことができる。

 井戸で水を汲んで桶を満たし、探索中に着ていた汗や砂埃まみれの服や手拭いを水に浸ける。一枚ずつ念入りに洗濯板で洗い、固く絞って水気をきってから干していく。全て洗って干し終えてから、借りた洗濯道具を井戸の傍に戻した。

「ここでも日雇いの雑用してんの?」

 突然頭の上から降ってきた声に、びくりと肩が揺れた。辺りを見回してから恐る恐る顔を上げると、三階の廊下の窓から男の人がこちらを見下ろしていた。

「……おはようございます、タバクさん」
「ああ、おはよ」

 タバクさんは眠そうにあくびを噛み殺した後、窓枠に足をかけて飛び降りた。結構な高さがあるにも関わらず、大きな音も立てずに着地し、何事もなかったように身体を起こした。身のこなしが軽いのは、さすがは冒険者といったところだろうか。見ているこっちがびっくりして心臓が痛い。
 彼の服装は昨日とは違い、鎧や肩当ては装備していなかった。襟付きのシャツとズボンという普段着だ。

「こ、この宿に泊まってたんですね」
「新しい宿屋に空きがなくてさ。飯屋に行く前に部屋取っとけば良かったよ」

 昨日の昼に定食屋で会った時まだ旅装で荷物を持っていたのは宿屋に行く前だったかららしい。まさか同じ宿屋に泊まっているとは思わなかった。拠点をオクトに移したと聞いた時点で思い至らなかったのは、やはり昨日は混乱して頭が回っていなかったからだろう。

「んで、なに?朝っぱらから洗濯?」
「は、はい」
「昨日の奴にコキ使われてんのか?」
「いえ、そういうわけじゃ」

 次から次へと質問され、勢いに飲まれてうまく答えられずに口籠もる。声が震えてしまいそうになるのを必死に堪え、笑顔を取り繕った。
 無意識のうちにゼルドさんの姿を探すが、早朝の中庭にいるわけがない。彼が目を覚ます前に洗濯を済ませるために一人で部屋を出てきたんだから。宿屋だからと油断していたのが仇となった。

「昨日ダンジョンから帰ったばかりなので」
「ふうん。……エッ、おまえがダンジョン!?」

 タバクさんは目を丸くして聞き返してきた。
 二年前、王都にいた頃の僕はダンジョンに行ったことなどなかったし、行きたいと思ったことすらなかった。それを知っているからこそタバクさんは驚いているのだ。

「僕、いま支援役サポーターとして働いているんです」
「へえ~、ライルが支援役ねぇ……。そういや昨日の奴と組んでるとか言ってたな」

 顎に手を当てて呟きながら、まじまじと僕の頭から爪先まで見つめるタバクさん。妙な居心地の悪さを感じ、じりじりと後退する。

「二年も経つのに背ぇ伸びてねーし、相変わらず痩せっぽちだし、そんなんでちゃんと働けるのかぁ?」
「そっ……そんなこと……!」
「支援役って要は荷物運びと雑用だろ?冒険者ほどじゃなくても体力勝負の仕事じゃねーか。ライルに出来んのかよ」
「うぅ……」

 反論したいけど、自分の力不足を痛感しているだけに何も言い返せなかった。
 二年前に比べれば身長や体重は少しは増えたと思うけど、きちんと計ったことはない。タバクさんから見れば微々たる成長だろう。

「でもま、元気そうで良かったよ」

 そう言って僕の頭にポンと手を置き、わしわしと撫でる。これは王都にいた頃によくやられたことがある。仕事の面接に落ちて凹む僕を慰めるために、わざと荒っぽく髪を乱す撫でかた。

「急に居なくなって心配したんだ。どっかで泣いてんじゃないかって」
「タバクさん……」

 なんで優しい言葉をかけるんだろう。なんで普通に再会を喜んでいるんだろう。僕を騙して売ろうとしたくせに、まるで何事もなかったように平然としている。

 一番理解しがたいのは僕自身だ。
 あんなに恐れ、全てを捨てて彼から逃げだしたのに、こうして優しい言葉をかけられたたけで気持ちがグラつく。純粋に彼に憧れていた当時の気持ちが蘇ってしまう。

 あの日偶然聞いてしまった会話は何かの間違いだったんじゃないか。そんな風に思ってしまう。

「俺さ、スルトまで行ったんだぜ。もしかしたらおまえがいるかもって思ってさ」
「えっ……」

 思わぬ言葉に顔を上げると、笑顔のタバクさんと目が合った。いつのまにか距離を詰められていて、僕は壁際に追いやられていた。

「……あんな遠いところまで?」
「だって、他におまえが行きそうなとこ知らねーし。前にスルト出身だって言ってただろ?」

 確かに、王都にいた頃にそんな話をした覚えがある。話の流れで教えただけで、すぐ他の話題に変わったから、まさか覚えているなんて思わなかった。

「……ごめんなさい、僕……」
「気にすんな。拠点を移すついでに行っただけだし。結局他の奴に踏破されてまた拠点移す羽目になったのは笑えるけど」

 はは、と笑うタバクさんを見上げてふと気付く。

「そういえば、お仲間の三人は?昨日も見掛けませんでしたけど」

 昨日定食屋に居たのはタバクさん一人だった。飲食店は他にもあるし、別々で食事を済ませたのだろうか。

「いや、あいつらはもういないんだ。俺は今フリーで他のパーティーに加えてもらったりしてる」
「そうだったんですか」

 あの三人にはあまり良い思い出がない。居ないと聞いて少しだけホッとしてしまった。

「ライルに会えて良かったよ」

 そう言いながら、タバクさんは僕が背を預ける壁に手をついた。間近で視線が交わり、そらすことも出来ない。
 仲間と別れ、一人で活動するようになって寂しかったんだろうか。人恋しさから昔馴染みの僕を見つけて声をかけたといったところか。

 町の中心部にある教会から鐘の音が響き、タバクさんが顔を上げた。僕の顔の横の壁に置いていた手が離される。

「そろそろギルドに顔を出しに行かねーと。昨日は混んでたから後回しにしたんだよな」

 確かに昨日のギルドは混んでいた。別の町から移ってきた冒険者たちが拠点移動の申告をしていたからだ。

「じゃあな、ライル」
「は、はい」

 中庭から出て行くタバクさんの後ろ姿を見送り、小さくため息をつく。
 いつしか身体の震えは止まり、怯えや恐怖も感じなくなっていた。今のタバクさんからは敵意や害意は感じない。笑顔で親しげに話しかけられて、ずっと警戒し続けるなんて出来ない。

「……あれは勘違いだったのかな」

 二年前に聞いたタバクさんたちの会話。
 確かに彼らの声だったけれど、扉越しに聞いただけで直接話しているところを見たわけじゃない。何かの冗談や聞き間違いだったのかもしれない。

 そうであってほしいと僕は願った。

 
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