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本編
66話:嫉妬心
しおりを挟むカインを屋敷に呼んだのはアデルだ。
彼とは今後について大事な話をしなくてはならない。
「カイン様、どうぞ座って」
応接室のソファーに向かい合って座る。侍女はお茶の準備をしてから退室していった。
よく磨かれた一枚板のテーブルの上には数枚の書類があった。カインの側に向けて置かれている。
「アデル君、これは」
「カイン様にお願いしたい仕事や待遇についての契約書です。口約束で済ませるのも失礼かと思って」
「ふむ?」
訝しげな表情で、カインは書類を手に取って読み始めた。内容はまさに契約書で、仕事内容や住居、報酬に至るまで細々としたことまで書かれていた。
主な業務はアデルの身辺警護。
これは特使として隣国に赴く時のみ。それ以外の時はこれまで通り国境近辺の治安維持に従事することになる。
報酬は特使の護衛の度に発生し、襲撃等の対応があればその危険度に応じて増額。
次に、住居はこの屋敷に住み込みとなる。
アデルが特使としての役割を終えて王都に帰った後は、屋敷の所有権ごと譲渡する。
ここまで読んで、カインは首を傾げた。
「アデル君。屋敷の譲渡とは一体……」
「カイン様が北部でまだ居を構えていないと聞きましたので。今は兵舎で生活をしているんですよね。今日からはここに住んでいただいて、僕が任務を終えて王都に帰った後はこの屋敷を自由に……」
「……」
「こちらで所帯を持たれるなら、やはり住まいがないと」
にこやかに契約書の内容について説明してくるアデルに対し、カインは沈黙した。あくまで護衛の仕事の依頼主として接するつもりだと、その態度からひしひしと感じ取れる。
「アデル君、悪いがこれは受けられない」
「これでは不足でしたか。では──」
更に報酬を足そうとするアデルに、カインは契約書を突き返した。その表情は硬い。
「そうじゃない。……君は、私がこの地で所帯を持つと……妻を娶ると考えているのか?」
「ええ。アレッティ家のご当主から縁談を持ち込まれてますよね」
「全て断っている」
「情勢が不安定だったからでしょう。でも、今回のことでかなり改善されます。そろそろ真剣に考えてもよろしいんじゃないでしょうか」
「君からそんなことを言われるとは……」
「余計なお世話だと分かってはいるんですが」
アデルの声色は穏やかだが、言葉には僅かに棘があった。怒っているような、悲しいような。それでいて全てを諦めたような。
「まさか、そんなことを伝えるために呼んだのか?」
真っ直ぐ目を見て問えば、アデルの青い瞳が僅かに揺らいだ。そして、すぐに視線はそらされた。
少しの沈黙の後、アデルは重い口を開く。
「……すみません。お仕事でなら一緒にいてくださると思って」
「特使になったのも?」
「口実がないと、会いに来る勇気もなくて……」
目をそらしたまま、アデルは泣き笑いの表情を浮かべた。
会いたい一心でここまで来たはいいが、北部で想像以上にカインが必要とされている様を見て萎縮してしまったのだ。自分に縛り付けてはいけないと、アデルはそう思うようになった。
パーティー会場でも、アレッティ家当主がカインに身内の令嬢を紹介している場面に遭遇した。着飾った美しい女性と並ぶ姿を見て、お似合いだと思ってしまった。
「ごめんなさい。……嫌いにならないで」
小さな声で告げられた言葉を聞いて、カインはカッと血が昇るのを感じた。そんな言葉を言わせてしまった自分に対する怒りだ。
すぐさまソファーから立ち上がり、向かいに座るアデルの元へと歩み寄る。そして、彼の側に膝をついた。
「君を嫌うわけがないだろう」
「でも、僕、いつもカイン様を怒らせて」
「……それは、アデル君がいつも自分の安全を顧みないからだ。君はいつも進んで危険に身を晒す」
「だって」
とうとうアデルは涙をこぼした。また怒られたと思っているのだ。その様子を見て、カインはまた反省した。
どれだけ想っていようとも、伝わらなければ意味がない。
「……ああ、そうか。私はまだ君に何も伝えていなかったんだった」
アデルは最初から意思表示をしていた。
兵士養成学校で起きた事件をなかったことにしたのも、自ら囮となって戦争の黒幕を捕まえたのも、今回特使となって暗殺者に自分を狙わせたのも、全てはカインのため。
カインは何もしてこなかった。
それどころか、アデルの前から逃げ出した。
「君に会えて嬉しくないわけがない」
「本当に?」
「ああ。……好きだよ、アデル君。だから、もう私を試すようなことを言わないでくれ」
そっと手を伸ばし、アデルの頬を伝う涙を拭う。
二年前のあの日、別れを告げた時もこうして触れて涙を拭いてやりたかったと思い出す。
あれから連絡ひとつしなかった自分をここまで想い続けてくれたことに感謝しながら、カインは身を乗り出してアデルの身体を抱き締めた。
あの頃より少し背は伸びたが、まだ細い。カインの腕の中で、アデルはまた涙をこぼした。
「僕も、カイン様が好き」
言えなかった言葉をようやく伝えることが出来て、アデルはカインの胸に縋り付いた。嗚咽を漏らして泣くアデルの髪を撫でながら、カインは息をついた。
「距離と時間を置いても君を忘れることなんて出来なかった」
「ぼ、僕も。ずっとカイン様のことばかり考えてました。何度も会いに行きたくなって、でも、怖くて」
あんな風に別れた手前、用もなく会いに行くのは憚られた。伝え聞く噂でカインの現状を知り、それだけを心の支えにしてアデルは耐えた。
情報を集め、自分に出来ることを探し、色んな伝手やコネを使って現在の特使の立場を手に入れた。
「こんなところにまで押し掛けて、迷惑だとは思ったんですけど」
「私は、君が追いかけてきてくれたのだと自惚れそうになるのを必死に堪えていたんだ。……本当なら、もっと早くに仕事を終えて王都に帰るつもりでいたのだが、長引いた上に結局また君に助けられた。不甲斐ない男ですまない」
「そんなこと、」
自分を卑下するカインの言葉を否定しようと顔を上げたアデルが目にしたのは愛しい人の穏やかな笑顔だった。
「こんな私を選んで後悔は?」
「考える時間を下さったのはカイン様じゃないですか」
「そうだったね」
ようやく想いが通い合い、二人は笑った。
「さっきの所帯云々の話は妬いていたのかな?」
「……はい、すみません」
意地の悪い話の切り出し方をした自覚はある。アデルが素直になれなかったのは、やはり二年もの間なんの連絡もなかったからだ。
「それなら私も聞きたいことがある。アデル君、以前より取り巻きが増えていないか?」
「え」
「特に、ヴォーモスト公爵家の。彼は君との距離が近過ぎる。人前にも関わらず平気で額に口付けをしていた」
「アルタリオ君はいつもあんな感じなので」
「いつも???」
「それに、彼は僕の大事な友達です。友達って普通あんなものでは?」
「……そう、なのか?」
釈然としないが、アデルが友達と言い切るならばそうなのだろうとカインは無理やり自分を納得させた。
「僕が北に行くって言ったらすぐここに教会を建てる手配をしてくれて。盗賊団を釣る為の黄金の像も用意してくれたんですよ」
「それは……」
『普通の友達』はそこまでしないだろう、と心の中で突っ込むカイン。
実際アデルはアルタリオからの好意を利用してはいるのだが、アルタリオ自身もそれをよく理解した上で行動している。もし想い人とうまくいかなかった場合には横から掻っ攫うつもりで側にいるのだ。
それを察して、カインは冷や汗をかいた。
つまらぬ意地を張り続けていたらアデルを奪われてしまう、と初めて危機感を覚えたのだ。
アシオンも事あるごとに抱き着いていた。ラグロとは親密そうだったし、ディレンに至っては、わざわざ犯罪者収容所から引っ張り出したという。
「……君の友人にまで嫉妬してしまうのは大人気ないだろうか」
「いいえ、嬉しいです」
そう言いながら、二人は唇を重ねた。
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