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本編

54話:カインの決意 2

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「騎士団長を辞して北へ行く」


 戦争後の燻りを完全に抑え込むため、カインは北の国境に戻ると決めていた。

 引き止めたいのに、何を言っても遅いのだとアデルには分かってしまった。国のため、平和のために自ら志願して行くのだ。笑顔で送り出さなくては。そう思えば思うほど何も言えなくなる。

 何度目かの沈黙。

 庭園に吹く風が二人の間を通り抜ける。木々が揺れ、葉がさわさわと音を立てた。向かいに座るカインの姿をぼんやりと眺めながら、アデルは無意識のうちに涙を流していた。頬を伝い、ぽたりと膝に落ちる。

 前回とは違う。
 一時的な別れではないと感じた。


「……カイン様。僕、カイン様が」

「言わないでくれ、アデル君」


 最後なら、せめて気持ちを伝えたい。
 そう思って口を開くが、カインが制した。


「君の言葉を聞けば、私はまた自分を抑えられなくなる。今も君を抱きしめたくて仕方がないのに」


 抱きしめてくれればいいのに、とアデルは思った。恐らくカインの気持ちはアデルと同じ。ならば何故抑える必要があるというのか。


「私は一年以上もの間、アデル君に無理を強いてきた」

「無理なんかじゃ」

「アランからの頼みを口実に、私は何も知らない幼い君に自分を刷り込み、心を縛った。現に君は『訓練』相手の私に情を抱いてしまっている」


 訓練の目的を考えれば、現在の状態は望ましいとは言えない。


「……僕の気持ちが、錯覚だと?」

「そうだ」

「そんなこと……!」


 気持ちを根底から否定されたように感じて、アデルはまた涙をこぼした。

 触れることを許されていたのは『快楽に慣らすための訓練』の間だけ。カインはあの日以来アデルに触れていない。今もテーブルを挟んで対面するのみ。


「だから、私はしばらく君に会わないように北に行くと決めた。距離を置いて時間が経てば、きっと君も冷静になる」

「僕に会いたくないならそれでも構いません。それなのに、どうして、よりによって危険な場所に行くんですか」


 カインを戦場から呼び戻したい、それだけのために多くの人の協力を得て元凶を捕まえたというのに。
 震える声で問うアデルに、カインは静かに首を横に振った。


「距離と時間が必要なのは私だ。近くにいれば君の気持ちにつけ込んでしまう。君はまだ子供だ。これからもっと良い出会いがある。私は君の可能性を潰したくない」

「そんなの……!」


 きっぱり子供だと言われてしまえば、それが事実なだけに反論も出来ない。

 未熟な子供だから相手にされない。
 幾ら好きでも信じてもらえない。
 気の迷いだと言われたも同然だ。


「君が大人になったら、それでもまだ気持ちが変わらないのなら、その時に改めて聞こう」


 この国では十五で成人と認められる。
 つまり、貴族学院を卒業した後。それまでの間、カインはアデルと会う気はないということだ。

 卒業まで約一年半。
 短いようで長い時間。

 アデルが後悔しないよう、ちゃんと考える時間を与えてくれるカインは誠実なのだと思う。フィリクスのように無理やり身体を繋いで支配下に置こうとする輩とは違う。自分の言動に責任を取れる年齢になるまで距離を置こうというのだ。
 その結果、アデルの気持ちが離れても彼は責めはしないだろう。

 勿論カインにも新たな出会いがある。しがらみのない相手なら幾らでもいる。
 北に行ったまま戻らない可能性もある。アデルが卒業する頃に王都に帰ってくるとは一言も言っていない。このまま離れて忘れるのを期待しているのかもしれない。


「……わかりました」


 これ以上何を言ってもカインの決意が覆ることはない。そう察したアデルは、物分かりが良いふりをして小さく頷いた。

 本音を言えば、みっともなく泣き喚き、縋り付いて引き止めたい。でも、子供の我が儘みたいな方法では繋ぎ止めることは出来ない。自分が子供だと認めるようなものだ。

 アデルは気持ちを必死に抑え込んで涙を拭いた。


「──では、元気で」

「はい。カイン様も」


 短い別れの言葉を残し、カインはヴィクランド侯爵邸の庭園から去っていった。
 ひとり四阿あずまやに取り残されたアデルは、彼がいなくなった後の席を見つめたまま、侍女に声を掛けられるまでその場から動けずにいた。
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