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本編

42話:所有印

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 騎士団が北の国境に向かってから数日。
 公表されていないにも関わらず、その頃には隣国との戦争が差し迫っているという噂が王都中に広まっていた。

 百年間もの長きに渡り戦争と縁がなかったからか、あまり実感がないというのが国民の正直な気持ちだった。それ故に街も学校も普段通り。北の国境付近以外の地域は何の変化もなく平穏な日々が続いていた。
 それは貴族学院も例外ではない。一部の生徒が家庭の事情で休学した以外特に変わりはなかった。







 学院終了後、大聖堂にて司祭の務めをしていたアルタリオは、礼拝堂の片隅に座る金髪のクラスメイトの姿を見つけて後ろから声を掛けた。


「アデル君、来ていたのですか」

「──あ、お邪魔してます」


 腕を胸の前で組んで熱心に祈っていたアデルは、振り返って軽く頭を下げた。


「いいんですよ、ここは開かれた祈りの場ですからね。……それより、まさかずっとここで祈りを捧げていたのですか」


 とうに日が落ちた時間帯である。学院が終わってから来たのだとすれば、もう数時間は経っている。


「家にいても落ち着かなくて……あっ、ごめん。もう礼拝堂閉める時間だった?」

「いえ、時間はまだまだ大丈夫です。それより、ここは騒がしいでしょう。良かったら奥にいきませんか。あの部屋、お通ししますよ」

「でも、」

「私がアデル君とお話したいんです」

「……、……じゃあ」


 側廊の柱の陰にある扉を抜け、ぐるりと回り込むような長い廊下を進んだ先に例の部屋がある。鍵を持つ者しか入れない特別な場所。この大聖堂の御神体、女神像が安置されている部屋だ。


「表の礼拝堂、いつもより人が多かったね」

「ええ。街の様子に変わりがないとは言っても戦争の話が出れば不安にもなるのでしょう。皆さん平和を願いに来ておられるのですよ」

「平和……そうだね。まず平和を願うよね」


 アデルは祭壇の前に跪き、女神像を見上げた。以前と変わらず優しく慈愛に満ちた像を見て表情を緩ませている。

 そんな彼とは対照的に、アルタリオは心中穏やかではなかった。跪くアデルの後ろに立ち、彼を見下ろしながら眉間に皺を寄せている。

 以前、アデルの様子がおかしくなったことがあった。数日で元に戻ったが、それ以降、彼の纏う雰囲気が変化した。憂いを帯びた眼差しや、ふとした時に見せる表情、仕草。
 ひと言で表すと、色気が増した。

 誰が彼をそうさせたのか。想像しただけで嫉妬で焼かれそうになる。苛立つ気持ちを押さえ込みながら、アルタリオは出来る限り『普段通りの自分』を演じていた。

 だが、二人きりになればそんな仮面は容易く剥がれ落ちてしまう。


「アデル君」


 アルタリオは祭壇の前に跪くアデルに覆い被さるようにして、背後から肩を抱いた。


「誰のために祈っているのですか」

「……王国の平和のために」

「ここは女神像の前ですよ。嘘や誤魔化しなんてやめて、本当のことを教えてください。そうしたら、願いが叶うかもしれませんよ」


 狡い言い方だ。聖職者にあるまじき言動だと自覚していながら、それでもアルタリオは知りたかった。


「誰があなたにこんな痕を付けたんですか」

「あ、」


 アルタリオの綺麗な指先がアデルの首筋をなぞり、髪を掻き上げ、とある一点を指す。そこには小さな鬱血痕があった。


「あなたに触れて、痕までつけたのは誰?」

「こ、これは……」


 アデルは反射的に痕を手で覆い隠した。その上にアルタリオが唇を寄せ、手の甲に軽く歯を立てる。邪魔な手が退けば、すぐさま首筋に残る他者の所有印を上書きするつもりで。

 首筋の痕は数日前にカインが残したもの。自然に消えるならともかく、他の人に消されるわけにはいかない。首筋を庇うアデルの手が震えた。


「先程、礼拝堂で祈るあなたに後ろから近付いた時に見つけたんです。ちょうど髪に隠れる位置ですが、頭を下げた状態の時だけ見える。……ああ、腹立たしい。あなたは誰に触れることを許したのですか」


 いつもと違うアルタリオの様子に、アデルは慌てて腕を振りほどき、祭壇のない壁際へと逃げた。


「ど、どうしたのアルタリオ君」

「質問に答えてください」

「え」


 壁を背にして立つアデルに歩み寄り、アルタリオが再び問い掛けた。壁に両手をつき、小さな身体を閉じ込める。
 真正面から睨み付けられ、アデルは困惑した。いつも優しくて穏やかなアルタリオが苛立ち、怒っている。これまでそんな目で見られたことはなかった。

 アルタリオから友情以上の感情を向けられていることに、アデルは最初から気付いていた。将来有望な彼を側に置くために素知らぬ振りをして『制御できていれば問題ない』とまで考えていた。

 でも、カインへの気持ちを自覚して以来、それがどれだけ酷いことなのかを理解した。

 こうしてアルタリオを怒らせてしまったことで、アデルは後悔と罪悪感に苛まれていた。

 拒絶することも受け入れることも出来ない。

 全ては軽率で迂闊な自分のせい。

 壁際に追い詰められ、アデルはどうしたらいいか分からなくなって涙をこぼした。


「アルタリオ君、こわい」

「……っ」


 震える声でそう言われてしまえば、アルタリオはこれ以上アデルを問い詰めることなど出来ない。元より嫌われる覚悟なんかないのだから。


「す、すみません。怖がらせるつもりは……」


 謝りながらアデルの肩に額を乗せる。そのまま縋るように抱き着けば、いつものように小さな手がアルタリオの頭を優しく撫でた。


「僕こそ、逃げてごめん」

「謝らないでください。……私は、あなたに嫌われたくない。もう、怖がらせるような真似はしないから、……だから離れないで……」

「うん、……ごめんね」


 最後の謝罪は何に対するものなのか、アルタリオには分かってしまった。

 アデルがおかしくなって、そのあと急に雰囲気が変わった。ちょうど戦争の話がが出始め、騎士団が北に向かった頃だ。

 首筋の所有印。

 誰かのために祈りを捧げるアデル。

 これらが指し示すのは──


「アデル君のお相手は副会長ですか」

「違うよ!!???」


 何故そうなる!とアデルは思わず突っ込んだ。


「おや。副会長が北の領地に行ってしまわれたから悲しんでおられるのでは?」

「生徒会の先輩後輩の仲だから! そりゃあ心配はしてるけど、リトアール先輩と僕がどうこうなるワケないでしょ!!」


 必死に否定するアデルに、アルタリオは首を傾げた。どうやら本気でリトアールとの仲を疑っていたようである。アデルはなんだかおかしくなって、肩を揺らして笑った。


「あーおかしい。アルタリオ君たら早とちりが過ぎるよ!」

「ふふ、久しぶりに声を上げて笑う顔を見ました」

「え? ああ、そうかも。こんなに笑ったの久しぶりだよ。あはは、あーまだオナカ痛い」


 ひとしきり二人で笑った後、アデルはまだ自分がアルタリオの腕の中に収まっていたことに気が付いた。急に気恥ずかしくなり、身を捩る。


「あのっ、そろそろ僕、帰らなきゃ」

「そうですね。もう遅い時間ですから門までお送りしますよ」


 そう言いながらも、アルタリオはしばらくの間アデルの身体を離さなかった。 
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