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第47話 謎の少女
しおりを挟む栗色の髪の少女は無言で眠るリアンを撫で回している。
どうやってここに侵入したのか、そもそも何者なのか、何をしに来たのか。聞きたいことはたくさんあるのに、三人は動けなかった。彼女を下手に刺激しては駄目だという認識だけは共通している。リアンに危害を加えられるかもしれない、といった不安ではない。ただただ彼女自身の存在が得体が知れなさ過ぎるのだ。
同じ天幕の中にいたサイラスは、僅かな瞬きの間に少女が目の前に現れたと感じた。離れた場所にいたヴェントは風魔法で周辺の音を全て拾っていたが、天幕に現れる瞬間まで少女の息遣いや足音ひとつ聞いていない。ラドガンが放ったアルカンシェル公爵家の間諜からも少女の情報は一切入っていない。どこか離れた場所から瞬間移動してきたとしか思えなかった。彼らが知っている中で、生きた人間を別の場所に移動させるといった魔法が使える者は記録に残ってはいない。
「あなたは、まさか」
黙って見守るしかない状況で、ラドガンがある事に気が付いた。少女の姿をどこかで見た記憶があったからである。もしやという思いと有り得ないという思いが同時に押し寄せ、普段冷静なラドガンを混乱に陥れている。
脳裏に浮かんだのは肖像画。栗色の長く艶やかな髪を巻き、美しく着飾って微笑みをたたえている少女の姿が描かれたもの。目の前にいる少女と特徴が酷似しているが、肖像画に描かれた人物がそっくりそのままの姿で存在しているはずがないのだ。
何故ならば、描かれた人物は──
「……もしかして、アリエラ様ですか?」
ラドガンからの問い掛けに、ずっと無反応だった少女が目を見開いた。ぱちりとまばたきした後、顔を三人へと向ける。彼女は肯定も否定もせず、ただニコリと目を細めて微笑んだ。
そして、リアンの頬に触れていた手に力を込めた。
「うっ……」
途端に苦しみ始めたリアンの様子に、サイラスが腕を引いて少女からリアンを引き剥がそうとした。だが、動けない。見えない膜が体を包み込んでいるかのようだった。
「リィに何するつもりだ!」
焦ったサイラスが声を荒げると、少女は空いているほうの手で人差し指を口の前に立てて「シーッ」と幼な子のいたずらを軽くたしなめるみたいな仕草をしてみせた。毒気を抜かれたサイラスは浮かせかけていた腰を下ろした。
おとなしくなったサイラスに安心したのか、少女はリアンに向き直って不可解な行動を再開した。口の中でなにやら唱えながら体に触れている。その度にリアンが苦しそうな表情を浮かべ、サイラスの腕の中で身をよじらせているが意識はまだ戻らない。
続けるうちに、少女が触れた部分から黒いモヤのようなものがずるりと這い出してきた。濃縮された霧のような、重くてじっとりとした実体のない何かを少女が引っ張り出している。あまりの光景に、サイラスもラドガンもヴェントも言葉を発することすら出来ずにいた。
黒いモヤが全て取り除かれると、リアンは苦悶の表情を和らげ、安らかな寝息を立て始めた。熱も引いたようで顔色も良くなっている。その様子に、サイラスが安堵の息をもらした。
取り除かれた黒いモヤは少女の手によって少しずつ分解され、きらきらとした光の粒になって消えていく。ひとかけらも残さず消えた後、少女は三人に向かって微笑み、次の瞬間には姿を消していた。
「え、あれ?」
「どこ行った!」
慌てたサイラスが辺りを見回すが、天幕の中には痕跡ひとつ残されていない。出入り口を通るどころか、リアンの傍らに座ったまま、立ち上がる動作すら見せなかった。ヴェントも仮設拠点内の音を探るが、少女はどこにもいなかった。
「リアンさんを助けるために来たのかも」
茫然といった様子でラドガンが呟いた。サイラスの腕に抱かれて眠るリアンはすっかり回復している。取り除かれた黒いモヤ、恐らくは魔獣から奪った魔力が体調不良の原因であることは明らかだ。原因を取り除くだけでなく浄化までしてみせている。どんな種類の魔法なのかは不明だが、かなりの熟練者だとラドガンは確信していた。
「さっき名前を読んでたけど、知ってる子?」
ヴェントが尋ねると、ラドガンは苦笑いを浮かべた。
「直接は会ったことはありません。でも、先ほどのやり取りではっきり分かりました」
「えっ、誰だれ?」
「オレにも教えてくれ」
サイラスも興味津々といった様子で答えを待っている。二人から問われたラドガンは自分が導き出した少女の正体を口にした。
「彼女の名前はアリエラ・ウラガヌス。恐らく、リアンさんのお母様です」
ウラガヌス伯爵家の屋敷からドロテアの家へと運び込んだ際。ラドガンはアリエラの肖像画を見ている。間諜たちに顔を覚えさせ、居場所を探してもらうためにも必要だったからだ。
「うそ、せいぜい姉か妹でしょ!」
「リィと同じ年頃にしか見えなかったぞ?」
先ほどの少女がリアンの母親であるはずがない。アリエラ・ウラガヌスがリアンを産んだ時期は彼女が貴族学院を卒業した年……つまり十八の頃。肖像画が描かれたのは今から約二十年ほど前。その絵と寸分違わぬ姿を保つなど到底不可能。貴族の女性が年齢より若く見られることは珍しくないが限度というものがある。
だが、ラドガンには確信があった。彼女がリアンに向ける眼差しには愛情が満ち溢れていた。キャリーのような恋する乙女のものではない。母から子に対する慈愛に満ちた大きな愛情が感じられたからだ。
それに、アルカンシェル公爵家の間諜は『栗色の髪を持つ三十代後半の貴婦人』を探していたのだ。アリエラが今でも十代後半の外見を保っているとすれば見つけられなかった理由にも納得がいく。名前を呼ばれた時に初めて反応を見せたところも少女をアリエラだと確信した点だった。
「アリエラ様はきっとリアンさんの危機を察知して助けに来てくださったのでしょう」
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