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第46話 贖罪の口付け
しおりを挟む小さな天幕を一つ占領し、サイラスはリアンの服を脱がしにかかった。土で汚れているのは表面だけだったが、中に着ていた肌着が汗を吸って肌に張り付いており、これも全て取り去った。
すぐにヴェントが湯を張った木桶を持ってきたので、湯に浸して固く絞った手拭いで顔や首筋を拭いていく。全身を拭き終える前にラドガンが着替えを手に戻ってきた。新しい服を着せる間もリアンは目を覚まさない。先ほどより少し呼吸は落ち着いているが、まだ体温は高いままだ。
「気休め程度ですが、熱冷ましを飲ませてみますか」
ラドガンが携帯している薬袋には用途に応じた何種類かの薬が入っている。その中から蝋紙に包まれた粉薬を取り出した。柳の葉から抽出した成分で作られた解熱剤である。それを小さな器に入れた水に溶く。サイラスがリアンを抱き起こして飲ませようとするが、意識のない状態では飲み込めないのか何度も咳き込んで薬を吐き出してしまう。
「サイラス隊長、なんとか飲ませておいてください」
「俺たち後始末してくるから」
「あ、ああ」
ラドガンとヴェントが天幕から出て行った。ゲラートが荒らした天幕を片付けるためだ。魔獣の森にいる隊員たちが戻ってくるまでに使用人たちの手を借りて穴を埋め戻しておかねばならない。
サイラスは腕の中のリアンを見下ろした。
着替えのために脱がせた時、細くて頼りない体を見て思わず言葉を失った。エルガーから言われた通り、戦闘に不向きな彼は宿舎で待たせておくべきだった。いや、遠征になど連れてこなければ、と自分の過去の選択を後悔した。一緒にいたいと願い、他者に嫉妬した結果、一番大事にしたいはずのリアンを危険な目に遭わせている。厄介な男を捕まえるためとはいえ、わざとそばから離れたことも悔やんでいた。
「……リィ、リィ。すまない」
汗で張り付いた前髪を手のひらでそっと除けてから、サイラスは器をあおって薬を口に含んだ。そして、リアンの唇に自分の唇を押し当て、口内へと流し込む。吐き出してくれるなと願いながら唇を重ね続け、リアンの喉がこくりと小さく鳴ったのを確認してから顔を離した。顎に伝う滴を指先で拭う。
眠るリアンを見つめるうちに、サイラスの胸が締め付けられるように痛んだ。
ずっとこのまま自分の腕の中にいてほしい。早く目を覚まして元気に笑ってほしい。手の届くところに置いておきたくて、誰の目にも触れさせたくなくて、でも彼の自由を奪いたいわけではない。リアンの意志でそばに居て欲しいのだと、サイラスは己の身勝手な望みを自覚した。
「リィ、早く目を覚ましてくれ」
小さな声で囁くように懇願するが、リアンは目を覚まさない。薬は全て飲ませ終えたというのに、サイラスは再び眠るリアンの唇に口付けた。口移しではなく、愛情を伝えるための接触。悪意がリアンを蝕んだのなら、逆の感情をぶつければ相殺されるのではないかという願望がサイラスを駆り立てていた。
「うっ……」
「リィ!」
不意に、リアンが呻いた。意識が戻ったわけではない。熱にうなされている。サイラスの声に反応するでもなく、譫言のように何か呟いていた。耳を寄せて聞いてみれば、それは人の名前だった。
「……エルガー、さま、あぶない……」
リアンの意識は倒れる直前、つまりエルガーが魔獣に飛び掛かられた場面で止まっている。うなされながら、ずっとエルガーの身を案じていたのだ。
リアンの口から他の男の名前が出た瞬間、サイラスの中にどろりとした黒いものが湧き上がった。本来ならば、リアンの不安をやわらげるためにエルガーの無事を伝えてやるべきだと分かっているのに、あらゆる負の感情をぐちゃぐちゃに混ぜたような醜い感情が込み上げて身を焦がしてゆく。
しかし、暗い方へと向かいかけたサイラスの気持ちは予期せぬ出来事によって吹き飛ばされた。自分とリアンの二人しかいないはずの小さな天幕の中に突然見知らぬ少女が現れたからである。
「だ、誰だ……?」
栗色の長く艶やかな髪を巻いたドレス姿の少女が目の前の床にぺたりと座り込んでいた。まるで最初からそこにいたかと思わせるほどの自然体で傍らに座り、眠るリアンに気遣わしげな瞳を向けている。少女はそっと手を伸ばしてリアンの頬に触れ、輪郭をなぞるように優しく撫でた。
その時、初めて少女の顔をまともに見たサイラスが息を飲んだ。髪や瞳の色こそ違うが、顔立ちがリアンによく似ていたからだ。リアンに姉か妹がいるなんて話は聞いたことがないが、血縁だと言われたら信じてしまうほどだった。
「サイラス隊長、どうかしましたか」
「なんかあった?……って、えええ? 誰!?」
異変に気付いたのか、外で待機していたヴェントとラドガンが天幕に入ってくる。そして、少女の姿を見て足を止めた。何者かが近付いたり侵入した形跡はないにも関わらず天幕の中に人が増えていたのだから、驚くのも無理はない。
エクソンに建つ宿舎ならともかく、現在地は今の時期最も危険な魔獣の森に程近い騎士団の仮設拠点。こんな場所に不釣り合いなドレス姿で歩いていれば拠点を警備している衛兵が必ず気付く。運良く魔獣に襲われずに辿り着いたとしても、誰にも見咎められずに天幕に入り込むなど不可能だ。
三人に一瞥もくれず、少女はリアンの頭や顔、体をぺたぺたと触っている。その様子を見ても、サイラスは何故か腹が立たなかった。キャリーには即座に嫉妬心と対抗心を抱いた癖に、この少女の行為は少しも不快に思えない。顔立ちがリアンに似ているからなのか、初対面の少女に対して警戒すらしていない自分にサイラスは驚いていた。
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