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第43話 緊急事態
しおりを挟む翌朝、軽い朝食をとっている最中に護衛付きの荷馬車が到着した。ヴァーテイル男爵からの差し入れだ。仮設拠点を囲む柵がやや心許なかったため追加の資材を頼んでいたのだが、ついでに食材も送ってくれている。荷物を下ろした馬車はすぐにエクソンへと引き返していった。
元々衛兵を数人置いていたが、先ほど新たに人員が増やされた。魔獣の森の一斉掃討作戦中は拠点が手薄になる。柵の補強作業もせねばならず、増員はありがたい話でもあった。
「ヴェント様は起こさなくていいんですか」
「あいつは朝弱いからな。昨夜は遅くまで周辺の索敵をしてくれていたし、もう少し寝かせてやってくれ」
サイラスはヴェントの寝坊に寛容だ。風魔法による広範囲索敵は目視による見張りより遥かに精度が高い。ヴェントのおかげで昨夜は比較的安全に過ごせている。リアンも納得し、スヤスヤ眠るヴェントに毛布を掛け直してから天幕を出た。
「作戦内容は昨日と同じだ。潜んでいる魔獣を森の外に追い出して叩く」
レイディエーレ隊とヒューリオン隊が配置についた。魔獣の森は広い。少しずつ場所をずらして余すことなく潜む魔獣を叩き出すのだ。
しかし、ヴェントが不在の状態では魔獣の位置が正確に把握できない。風魔法の使い手は他にもいるが、ヴェントほどの熟練者は騎士団には存在しない。
「では、大雑把にやってみましょうか」
今までラドガンは視認できる場所またはヴェントに指示された場所のみを照らしていた。そのほうが効率が良いからだ。だが、正直なところ発動させる座標を細かく指定するほうが精神力が削られてしまう。故に、ラドガンが取った方法は『全体を照らす』ことだった。
森の上空に太陽と見紛わんばかりの巨大な光球が一つ現れた。地上から見上げる隊員たちは、その眩さに思わず手のひらで庇を作って光を遮っている。
「さあ皆さん、備えてくださいね」
ラドガンの言葉が終わると同時に巨大な光球が森へと落ちた。熱も質量もない、ただ眩しいだけの魔法だが、昼間でも薄暗い鬱蒼とした森に棲む魔獣にとっては得体の知れない恐ろしい攻撃となる。けたたましい鳴き声が其処彼処で上がり、茂みを掻き分けて逃げ惑う音が近付いてきた。
「……来たぞ!」
真っ先にエルガーが動いた。狼の魔獣が森から飛び出した瞬間、炎弾をぶつけて絶命させる。脚の速い狼を筆頭に次から次へと大小様々な魔獣が飛び出してくるが、待ち構えていた隊員たちによって順調に倒されていった。
ちなみに、ラドガンの元にも魔獣が押し寄せてくるのだが誰も助けに入らない。迫り来る魔獣を前に、ラドガンは腰の剣を二本抜いた。馬に跨ったまま剣先を交差させる。
「──誘い導き増幅せよ、“光刃”」
単体では攻撃力がない光魔法だが、重ねることで威力は何十倍何百倍にも跳ね上がる。磨き抜かれた刀身に光魔法をぶつけ、もう一本の剣に反射させる。反射を繰り返すうちに光は無限に増幅して熱を持つ。わずかに剣を傾ければ、魔獣の胴を光の帯が焼き貫いた。
「ラドガン様、すごい」
その光景を後方で見ていたリアンは思わず身震いした。魔法特化型とは彼のような存在を表す言葉なのだ。虫も殺さぬような穏やかな顔をしたまま躊躇なく魔獣を倒している。普段は周りに戦闘を任せているが、ラドガンは戦えないわけではなかった。むしろ今のやり方ならばサイラスの雷槍を凌ぐ威力が出せるだろう。
しばらくして、森から魔獣が出てこなくなった。辺り一帯の魔獣をほとんど倒し終えたようだ。
「リィ、魔力を頼む」
他の隊員たちに後始末を任せ、サイラスはリアンのそばまで馬を進めて魔力をねだった。
「昨日と今日だけで百匹以上は倒したんじゃない?」
「巡回して魔獣を見つけるより効率がいいな」
二人だけの時は敬語を外して会話をする。リアンは生成した魔力をサイラスに渡しながら、ちらりと森のほうに視線を向けた。
レイディエーレ隊とヒューリオン隊の隊員たちは馬から降りて剣を抜いて死骸を確認して回り、息のある魔獣は心臓をひと突きにしてとどめをさしている。魔獣は普通の動物より回復力が高い。きちんと仕留めておかねば意味がないからだ。
「……あれ?」
不意に、リアンは違和感を覚えた。死んでいるはずの魔獣が動いたように見えたからだ。その魔獣のそばにはヒューリオン隊隊長のエルガーとレイディエーレ隊の隊員アシオスがいる。彼らは別の死骸を確認しており、動く魔獣に背を向けていて気付いていなかった。
「エルガー様、アシオス様!」
リアンが叫ぶのと魔獣が起き上がったのは同時だった。大きく開けた口から乱杭状態に生えた牙が見える。血まみれの牙が二人を狙い、噛みつこうとする。名前を呼ばれて振り返ったエルガーが反射的に隣にいたアシオスを突き飛ばした。魔獣はそのままエルガー目掛けて飛び掛かる。サイラスも異変に気付くが、位置的にエルガーに当たる可能性が高いため攻撃魔法を放つことを躊躇してしまった。
「危ない!」
馬に乗ったまま咄嗟に手を伸ばしたものの、リアンには魔法が使えない。間に割り入ってかばいたくても距離が離れ過ぎている。それでも救わねば、という気持ちがリアンの中で膨れ上がった。
牙がエルガーに突き立てられそうになった瞬間、魔獣の動きがぴたりと止まった。飛び掛かる体勢のまま固まり、そのまま地面に落ちる。恐る恐るエルガーが近付いて確認すると、魔獣は既に事切れていた。
「……力尽きたか。危ういところだった」
ほう、と安堵の息を吐き出すエルガーに、助けられたアシオスが何度も頭を下げて礼を伝えている。騒ぎを聞きつけた他の隊員たちに注意喚起をしながら、エルガーは確認作業に戻っていった。
「驚いたな。怪我人が出なくて良かっ……」
安堵したサイラスが笑いながら向き直ると、リアンが真っ青な顔で馬首にすがりついていた。
「リィ、どうした!」
「うっ……」
突然の事態に慌てたサイラスが自分の馬から飛び降りた。リアンの馬に飛び乗り、力の抜けた体がずり落ちないように後ろから抱きかかえる。先ほどまで元気だったリアンが、今はガタガタと体を震わせて喋れなくなっていた。異変に気付いたラドガンもそばに寄り、リアンの様子をうかがう。
「いやあ、寝過ごしちゃいましたよ」
そこへ馬に乗ったヴェントがやってきた。彼は眠い目をこすりながら申し訳なさそうに笑っている。ついさっき起きたばかりのようで、騎士服のボタンが半分ほど留められていない。
「あなたがいれば防げたんですけどね」
「悪かったってば!」
ラドガンにはリアンの体調が急変した理由に心当たりがあるようだった。
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