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第16話 逆鱗に触れる

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 魔力付与と魔法の発動は問題なく成功した。文句のつけようもない。サイラスとセレーネの婚約も決まったも同然だとウラガヌス伯爵家の三人は確信していた。

 レイディエーレ侯爵家と姻戚関係を結び、同時にアルカンシェル公爵家とレクサンドール侯爵家とも親しくなれればウラガヌス伯爵家の格が上がる。アリエラの時に成し得なかった陞爵も夢ではないかもしれない。グラニスは奥歯を噛み締めることで、にやけそうになる顔を必死に抑え込んでいた。

「グラニス様、侯爵様が」
「か、閣下!」

 最初に気付いたのはリアンだった。レイディエーレ侯爵がいつもの険しい表情のまま、演習場を真っ直ぐ突っ切っている。ウラガヌス伯爵家の天幕まで自ら足を運んでいるのだ。慌てたグラニスが駆け寄り、二人はちょうど演習場の中央付近で合流した。少し遅れて、ゲラートやセレーネ、リアンも駆け付ける。

「いやあ、サイラス様の雷魔法は素晴らしい威力でございましたなあ! まるで若き日の閣下を見ているようで……」

 きっと今から婚約話を具体的に進めるのだと信じて疑わないグラニスは、ついつい饒舌にサイラスを褒め称えた。その魔法を発動させたのは娘セレーネのおかげなのだと言外に含ませている。もうすぐ親戚になるのだから多少の気やすさは許されると考えていたのかもしれないし、実際浮かれているのかもしれない。

 しかし、弾んだ雰囲気もそこまでだった。

「残念だが、此度の話は全て無かったことにする」
「はい?」

 レイディエーレ侯爵の口から出た言葉は期待していた内容とは真逆。婚約話自体を無しとするというものだった。

「な、な、なぜですか閣下!」
「そうですわ! わたし、ちゃんとサイラス様に魔力付与できましたのに!」

 まさかの展開に狼狽え、掴みかからんばかりの勢いでレイディエーレ侯爵に詰め寄るグラニスとセレーネ。侯爵家の護衛が間に立って接近を阻止するが、抗議の声は遮断できない。

 ゲラートはレイディエーレ侯爵に食ってかかるような真似をしない代わりに、側で立ち尽くしているリアンの足を軽く蹴って顔を近付けた。

「おいリアン。おまえ何か失敗したんじゃないか? そのせいで可愛い妹セレーネの婚約話が台無しになったんじゃないのか?」
「そんな」

 耳元で小さく囁かれた疑念の声に、リアンは顔を青くした。もし自分のせいで破談となったのならば、どれだけ責められるだろう、と。

 責任がリアンになかったとしても破談になった時点で三人から八つ当たりされることは確定している。ただでさえも良いとは言えない待遇が更に悪くなることだけは間違いない。

「彼のせいではありませんよ」

 ウラガヌス伯爵家の面々のわめき声を切り裂くような澄んだ声が演習場に響き渡った。声の主は長い銀髪を風になびかせた美しい青年、ラドガンである。彼は穏やかな微笑みを浮かべ、演習場の端に立っていた。かなり距離が離れているにも関わらず、ラドガンの声は全員の耳に届いている。

「驚きました? ヴェントの風魔法の応用です」
「そうそう。俺がやってまーす!」

 ラドガンの隣に立つヴェントが大きく手を振る姿を見て、グラニスたちは目を丸くした。

「風に声を運ばせて離れた場所にいる相手に届けたり相手の声を拾ったりできるんですよ。便利でしょ?」

 笑いながら魔法の解説をするヴェントの声は距離を全く感じさせない。遠く離れているのに、まるで目の前にいるかのようだった。

「……ここまで言えば分かりますよね?」

 ラドガンの声から温度が消えた。先ほどまでとは違う、侮蔑と怒りの感情が声色から伝わってくる。背筋に冷たいものが伝い、グラニスは思わず一歩後ずさった。

「演習場に来てからの貴方がたの会話は全てこちらに筒抜けだったのですよ」

 グラニスが喉奥で小さく呻いた。ゲラートとセレーネも顔色を失い、口元を手のひらで覆い隠している。リアンだけがその場に茫然と立ち尽くしていた。

「ウラガヌス伯爵。娘が魔力付与能力者だと偽ったな」
「かかかかか閣下ぁ、それは、その、」

 レイディエーレ侯爵から単刀直入に問われ、グラニスは必死に弁解を試みた。だが、ガタガタと全身が震えているせいかうまく言葉が出てこない。

「勘違いするな。私に取り入ろうと嘘を吐く者は珍しくもない。野心を持つことも悪くはない。故に、その件では怒ってはおらん」

 意外にも、レイディエーレ侯爵は寛容な態度を見せた。嘘を不問にしてもらえるかもしれないと、グラニスが一瞬表情をゆるませる。

 しかし、そうはいかなかった。

「だが、不誠実な娘をレイディエーレ侯爵家に嫁がせようなどと考えた時点で論外だ。恥じる気持ちを持ち合わせているのなら二度と顔を見せるな!」
「ひっ……!」

 グラニスとセレーネが同時に悲鳴を上げた。

 ヴェントの風魔法は一言一句を逃さず拾い、演習場を挟んだ向かいの天幕に届けていた。レイディエーレ侯爵がずっと険しい表情をしていた理由はウラガヌス伯爵家の面々の会話を全て聞いていたからだった。

 セレーネは男を顔や家柄で選り好みし、サイラスだけでなくラドガンやヴェントにも気があるような発言を繰り返していた。グラニスとゲラートは特に咎めることなく、むしろ同調していた。その態度こそがレイディエーレ侯爵の逆鱗に触れたのだ。

「もっ申し訳ございませんでしたァア!!」

 激昂するレイディエーレ侯爵に恐れをなしたグラニス、ゲラート、セレーネが地べたに這いつくばるようにして頭を下げた。

 レイディエーレ侯爵だけでなく、アルカンシェル公爵家のラドガンとレクサンドール侯爵家のヴェントにも知られてしまった以上、セレーネを魔力付与能力者に仕立てる手口はもう使えない。社交界で噂が広まれば、セレーネの縁談どころかゲラートの婚約自体も危うくなることだろう。三人はただただ平伏し、この場だけで話を納めてもらえるよう懇願し続ける他ない。

 リアンは立ち尽くしたまま、震えて縮こまる三人の姿を眺めていた。いつも偉そうに踏ん反り返っていたグラニスがダラダラと脂汗をかいて頭を下げている。セレーネは綺麗なドレスが汚れるのを構いもせず膝を地に着けていた。ゲラートもだ。

 彼らのこんな姿を見るのは初めてで、リアンは複雑な気持ちにさせられた。

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