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第13話 深夜の密会

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 ウラガヌス伯爵家の本邸に隣接している使用人専用宿舎内にリアンの部屋がある。窓辺に小さな机と造り付けの棚、壁際に置かれたベッドがあるだけの、他の使用人の部屋と同じ簡素な作りだ。

 本邸の明かりがほとんど落とされ、皆が寝静まった頃、リアンは自室から抜け出した。表門には不寝番ふしんばんが常駐しているため、使用人や業者用の裏口へと回り込む。音を立てぬようにそっとかんぬきを外してから敷地の外へと足を踏み出した。

 月明かりを頼りにしばらく進むと小さな広場に辿り着く。昼間は賑わう憩いの場だが、真夜中を過ぎれば誰もいない。ただ一人を除いては。

「リィ」

 低く穏やかな声に名前を呼ばれ、立ち止まる。リアンの視線の先、ベンチに座る赤い髪の青年は昼間の装いとは違う目立たぬ衣服を身に纏っていた。それでも、すらりとした長い手足や整った顔立ちを見れば平民ではないとすぐに分かる。

「サイラス様」
「様はやめろ。いつものように呼んでくれ」
「それはできません」

 赤い髪の青年サイラスは、未だ他人行儀なリアンの態度に悲しげに眉を下げた。

 高位貴族の跡取り息子と知った以上、今までのように馴れ馴れしく接するわけにはいかない。そうでなくてもリアンは気まずくて仕方がないのだ。自分の気持ちのこと。セレーネとの見合いのこと。どちらかの問題が消えれば友人としていられたのだろうかと何度も考え、もしもの話など無意味だと切り捨てていた。

 頑ななリアンの様子に、サイラスがうなだれる。

「夜中に呼び出してすまん。どうしても話がしたくて、ラドガン達に協力してもらったんだ」

 リアンが夜中に広場にやって来た理由は、昼間渡された紙切れを見たからだ。時間と場所だけではなく『来てくれるまで帰らない』とまで記されていた。高位貴族の跡取り息子を放ったらかしにするわけにもいかず、ラドガンに秘密を握られているリアンには無視するという選択肢すらない。

「随分と友人思いの方々ですね」
「ああ、いつも助けられている」

 当てこすった発言を言葉通りに受け止められ、リアンは面食らった。サイラスは素直で裏表のない性格だったと思い出し、苦笑いを浮かべる。

「それで、わざわざ夜中にソルトンこんなところまで来て何の用ですか」

 用件など分かりきっていたけれど、敢えて問う。謝罪を受け入れてしまえばラドガンとの交換条件はクリアできる。何より、リアンだって謝りたいと思っていた。サイラスの言葉に他意がないと誰よりも知っていながら、自分の置かれた状況や立場の違いを認めたくなくて八つ当たりをしただけなのだから。

「リィに謝りたかった」

 やはり謝罪か、とリアンは小さく息をついた。予想していた通りの流れに安堵し、ついでに自分の非礼も詫びてしまおうと考える。

「リィに嫌われたと思ったら食事も喉を通らないし、仕事にも身が入らん。ずっと後悔していた」

 騎士団の仕事中に上の空になっていたとラドガンから聞いてはいたが、食事が取れていないという話は初耳だった。言われてみれば昼間は顔色が悪かった気もするし、いつもと様子が違うようにも見えた。セレーネを通じて魔力付与をした後に精彩を欠く動きをしていた理由もそのせいなのかもしれない。

「……僕に嫌われただけで?」
「オレにとっては何よりも重大な事件だ!」

 思わず問い返すと、サイラスはベンチから腰を浮かせて目の前に立つリアンの右手首を握り、声を荒げた。驚きで目を丸くするリアンに目線を合わせる。

「ちょっと、声が大きいよ」
「すまん。だが大丈夫だ。ヴェントがいる」

 大声をとがめられたサイラスは、ちらりと広場の向こうを見遣みやった。暗くて目立たない場所に一台の馬車が停められている。ヴェントの風魔法で周囲の音を遮断していると教えられたリアンは唖然とした。自分と会うためだけに遅い時間に田舎街ソルトンまで付き合わせ、更に魔法を使わせるなんて、と考えているのが伝わったのだろう。「たまたまこの辺りの巡回任務があっただけだ」と返され、とりあえず納得する。

「リィ。先日の発言については謝る。許してくれ」

 サイラスは深々と頭を下げ、謝罪の言葉を述べた。言い終えてからも顔は上げず、ただ黙ってリアンからの返事を待っている。許してもらえるまでずっとこうしているつもりなのかと思ったら馬鹿馬鹿しくなって、リアンはすぐに降参した。

 離れた場所で待機している馬車には恐らくヴェントだけでなくラドガンも乗っている。彼らの前で隊長であるサイラスに頭を下げさせ続けるのも申し訳なく感じた。

「いいよ、もう。だから顔を上げて」
「許してくれるのか」
「僕こそ怒り過ぎた。君が言いたかったのはそういう意味じゃないって分かっていたのに、ごめん」

 謝罪に謝罪で返した途端、サイラスが掴んでいたリアンの手首を引き寄せた。思わず前につんのめったリアンの体を抱きとめる。
 
「リィ、悪かった。許してくれてありがとう」

 抱き締められながら聞いたサイラスの声は安堵と喜びで打ち震えていて、リアンはひどく狼狽した。自分の言葉に一喜一憂する姿に、むず痒いような嬉しいような複雑な思いが胸に去来する。

「離してくださいサイラス様」
「様付けをやめたら離す」
「それは、無理かも」

 仲違いが解消されても身分差は揺るがない。何も知らなかった時にはもう戻れないのだ。

 未だ敬称を外さないリアンに対し、今度はサイラスがわがままを通した。先日の失言を許されて気がゆるみ、甘えが出たのかもしれない。

「ならば、二人だけの時は今まで通りに」

 耳元で小さく「頼む」と言われてしまえば断れない。たっぷり数十秒悩んだ後、リアンは諦めの溜め息を吐き出した。

「分かったよ、……サイ」

 あの日以来初めて愛称で呼ばれ、サイラスはバッと体を離してリアンの両肩を掴んだ。嬉しそうに表情をほころばせ、目尻に涙をにじませている。そんな彼の姿に、リアンも自然と口元をゆるめた。

 巡回任務中に抜け出していたのは本当らしく、程なくしてラドガンが呼びにやってきた。別れを惜しむサイラスの背を押し、馬車に乗せる。再び任務に戻ってゆく彼らを見送りながら、リアンは一人考える。

 どうせ二人きりで会うことなどもう無いのだから先ほどの約束なんか無意味なのだ、と。
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